水童し

夏川 俊

第1話、帰郷

                       『 中点同盟 参画作品 』


 涼子の心は、乾いていた。


 優しい言葉や親切心などでは、到底、癒されない、吐き気を感ずるような乾き。

 自身に対する嫌気と、周囲からの期待・プレッシャー・・・

 煩雑な日々の仕事に加え、思うようにならない、家庭への憂鬱・・・


 脳裏に映るのは、閉鎖された狭い空間に立ち、外へ出ようとする自分の姿だ。

 しかも、頭上に両手を伸ばし、掴もうとしている外界の明かりは、心躍る未来を

 象徴するような明るいものではなく、どんよりとした、閉め切った部屋のよう

 な明かり・・・

 逃れても、現在の状況と、さほど変わらないような気がしてならない。


 涼子は、行き場の無い乾きに、もがいていた。

 乾いた心に、ツメを立てるが如く、声の無い叫びを発していた・・・



「 大婆さまの家って、ホント、久し振りに行くよね? お母さん 」

 列車の車窓から、外の景色を眺めながら、8歳になる娘、千早( ちはや )が言った。

 対面の座席に座っていた涼子は、窓枠に肘をつき、指先で、こめかみ辺りを触りながら面倒臭そうに答える。

「 前に行ったのは、いつだったかしらね・・・ 千早が、幼稚園の頃だったかな・・ 」

「 ゆり組の時だよ? お隣の綾ちゃんに、カブトムシ、持って行ってあげたもん! 」

「 ・・そう 」

 消え入りそうな返事をし、ぼんやりと外の景色を眺める、涼子。

 列車が緩やかにカーブし、徐々に、日の光が涼子に当たって来る。

 涼子は、眩しそうに目を細めると、言った。

「 カーテン、引くわよ。 お母さん、疲れてるから、ちょっと寝るね・・・ 」

「 ああ~ん、ダメだよぉ~! お外が、見えなくなっちゃう~ 」

「 何の変哲も無い、ビルばかりでしょ? 」

 千早の言葉を無視し、涼子はカーテンを引いた。

 つまらなさそうに、千早が言う。

「 ・・もう、お母さん、勝手なんだから・・・! 」

 ほっぺたを膨らましながら、不服そうな顔の、千早。

 涼子は、そのまま腕組みをすると、目を閉じた。


 『 君の仕事に、意見するつもりは無い 』

 数日前の、夫、誠一との口論が思い出される。

 『 じゃあ、もっと自由にやらせてよ! 来月から始まるプロジェクトは、あたしにとって能力を試されている、大事な仕事なのよ? 』

 『 僕が言っているのは、家庭だ。 ただでさえ、僕の仕事は出張が多い。 この上、君が毎日、夜中に帰宅していて・・ 誰が、千早の面倒を見るってんだ! 』

 『 やっぱり、あたしを束縛してるじゃないっ! 女は、家庭に従事してろって事? 』

 『 そうは言ってない! 僕のサラリーで、充分やっていけるんだ。 千早が、孤独にならない程度の仕事にしてくれないか、と頼んでるんだよっ! 』

 『 もう、いいっ! 』


 目を閉じながら、ため息をつく涼子。


 ・・涼子だって、好きで、千早を放っている訳では無い。

 ただ、自分を評価してくれる今の会社に、社員として最大限、貢献したいのだ。 千早も、2年生。 事情は、理解出来ているはずだ・・・


 口論の翌日、夫、誠一は無言のまま、北海道の出張に出掛けて行った。 自宅に戻って来るのは、1週間後だ。

 そんな時、母親の実家である長野県 大泉村 御諸の大姑、『 三方 ヤエ 』からの電話があった。


「 涼子ちゃんか? 久しいのう。 チーちゃん連れて、たまには来んかね? もう、夏休みじゃろが 」


 ヤエは、確か今年、83歳だ。 涼子の母親である淑子が、ヤエの三女にあたる。

( たまには、田舎で過ごすのも良いか・・・ )

 涼子は、千早を連れ、列車に乗ったのだった。


 母親の淑子は、涼子が高校2年の時、乳ガンで亡くなっていた。 享年、39歳。 若過ぎる他界である。

 その後、母親の温もりを知らずに育った、涼子・・・

 何事も、自分の力でやって来た。

( その気になったら、女でも、自分の道は切り開けれるのよ・・・! 自立心の無い人間は、女も男もダメ。 子供に必要なのは、甘やかした愛情より、自分でも出来るんだ、と言う『 チャンス 』を与えるコトなのよ。 それが、親としての務めだわ )

 自分の経験から、そう悟った涼子。

 母親となった現在、千早と接する時にも、その意志は、反映されているのだった。


 列車を乗り継ぎ、ローカル線に乗る。

 辺りは、一面の田園風景。 田に伸びるイネの緑が、目に鮮やかだ。 遠くの山々が、淡い藤色に霞んでいる。

 コトコトと、一面の緑の中に敷かれた単線路を、ゆっくり走る1両編成のディーゼルカー。

 やがて線路は、山間部へと入って行った。

「 お母さん、見て見てっ! 川を、お船が渡って行くよ! 」

 窓に、へばり付くようにして外を見ていた千早が、叫ぶ。

「 川なんて、ドコにでもあるでしょ? ・・・早く、お弁当、食べなさい 」

 先程の、乗り換え駅で購入した駅弁を食べながら、外も見ずに答える涼子。

 普段、山のある景色を見ていない千早は、目を輝かせながら言った。

「 あっ、牛さんだ! 牛さんがいるっ! お~い! もお~、もお~! 」

 窓ガラスを、ペチペチ叩きながら、はしゃぐ千早。

 外の景色に目をやりながら、呟くように、涼子は言った。

「 ・・変わらないわねえ、この辺りは・・・ 」

 箸先で煮物を掴み、口に持って行きつつ、涼子は続ける。

「 千早。 大婆さまのお家に行ったら、ナンにも無いからね? 」

 へばり付いていた窓から手を離し、座席に座り直すと、弁当のフタを開けながら、千早は言った。

「 ゲームセンターも? 」

「 当たり前でしょ。 田舎なんだから 」

 弁当の漬物を、ポリポリと食べながら答える涼子。

「 レストランは? 」

「 無い 」

「 本屋さんも? 」

「 無い 」

「 ふ~ん・・・ 前に行った時のコトは、忘れちゃった。 そんなに、何にも無かったかなあ~? 」

「 千早は、小川で遊んでたから、覚えて無いんじゃないの? 」

 割り箸を、ペチッと割りながら、答える千早。

「 そう、そう! お魚が、い~っぱい、いたんだよ? まだ、いるかなぁ~? 」

「 そりゃ、いるでしょ。 田舎なんだから 」

 素っ気無く答える、涼子。

 千早は、ワクワクしながら言った。

「 やった! ・・ねえ、お魚、捕まえてもいい? 」

「 千早なんかに、捕まえられるワケ、無いでしょ? 」

 食べ終わった駅弁のフタを閉じ、缶入り緑茶を飲みながら、涼子は言った。

「 捕まえられるよ! あたし、手、大きくなったもん! 」

 もみじのような、小さな手を広げて見せる、千早。

 涼子は、小さく笑いながら、憂鬱そうな目で、外の景色を見た。


 青空に映える、緑の山々が眩しい。

 その山々の木々を見ながら、ふうっと、ため息をつく涼子。


 時折り、ディーゼルカーは、短いトンネルに入った。

 トンネルを出る度に、目に映る景色からは、都会の煩雑さを象徴させるモノが、消し去られて行く。 商業看板、近代建築の民家、工場・・・ 道路標識すら、あまり見かけなくなって来た。

 目に映るのは、青い空と山、川・・ 時折り、古いたたずまいを見せる、旧家のような家屋・・・

 山間に見える、細く白い農道を、編み笠を被った老人が、クワを担いで歩いていた。

( 時間が止まっているみたいね、この風景は・・・ みんな、何の目標も持たず、ただ生きているだけなのかしら・・・ )


 自分は、違う。

 やるべき事・・・ 自分をステップアップする指標が、自分にはある・・・!


 ゴンゴンと、鉄橋を渡るディーゼルカーの振動を感じながら、涼子は、そう思った。



『 みもろ~、みもろ~ 御諸に到着です~。 お忘れ物など無いよう、お願い致します~ 』

 運転手のアナウンスが、車内に流れた。

「 着いたわよ、千早。 暑いから、ちゃんと帽子被って 」

 赤いリボンの付いた、小さな白い帽子を被り、千早は言った。

「 さっき、川があったよ! お魚、いるかな? 」

「 知らないわよ、そんなの。 ・・さあ、早くして。 行くわよ 」

 ガコン、という音と共に、ディーゼルカーが停止する。

 プシュー、というエアーの抜ける音がし、扉が開いた。

「 とうっ! 」

 千早は、車両の出入り口のわずかな段差を大げさに飛び、無邪気にホームに降り立つと、早速、ホームの隅に向かって走り出した。

「 ドコ行くの! コッチよ、千早! 」

「 お母さん、バッタがいるぅ~! 見てぇ~、ほらぁ~! 」

 ホームの囲いの、脇にある草を指差し、千早が言った。

「 そんなの、ドコにだっているわよ。 早く、来なさいってば! 」

 ディーゼルカーの運転手に、窓越しに切符を渡して、千早を呼ぶ涼子。

 やがて、プシューという音と共に扉が閉まり、ディーゼルカーが動き出した。 薄いベージュ色の車体が、涼子を追い越して行く。 車体上部から薄い排煙を上げ、川沿いに続く単線路を緩やかにカーブしながら、ディーゼルカーは、駅から20メートルほど先にあるトンネルに入って行った。


 列車の音と交代に、周りに茂る木々から、蝉の声が聞こえて来る。

 夏の日差しに、ジリジリと照らされたプラットホームの朽ちかけたコンクリート。

 ムッとするような草の匂い・・・

 涼子の額には、汗がにじんで来た。


 プラットホーム脇に生え揃った夏草の向こう側に、鬱蒼と木々が生い茂る山肌があった。 反対側を見やると、迫る山々をバックに、盆地のようになった田畑がある。

 見上げる空は、真っ青な夏空のみ・・・

( ・・ホント、何も無いわね )

 手荷物を手に、駅の出口の方へと歩き出す涼子。

 駅と言っても、30メートルくらいのプラットホームが設置してあるだけだ。 木製の長ベンチと、その上に、ひさし程度の小屋根があるだけのプラットホームである。 当然、無人だ。

 古い木材と、錆びたトタン屋根で出来た、駅の改札口・・ U字を伏せた形をした真鍮製のパイプが、ヒビ割れたコンクリート製の階段を数段降りた先に埋め込まれているだけの簡素なものである。

 夏の強い日差しが、プラットホームに白く照りつけ、トタン屋根の影とのコントラストを、より強く演出していた。 改札口の影の向こうに、青々とした稲が、夏風に揺れている・・・

 都会の駅で、よく見かけるポスター類などの広告物も、何ひとつ無い。 改札横に、錆びた鉄パイプで出来た掲示板があり、唯一、盆踊りの案内が張り紙してあった。

 『 御諸水神大社 納涼盆踊り 』

 横目でその案内を見流し、手荷物を持ち直した涼子は、ふと、改札口の向こうに、1人の老婆が立っている事に気が付いた。

 モンペに割烹着姿。 低い身長に、少し小太り気味の体型。 頭には、白い布巾を被っている。

「 ・・大婆さま! ご無沙汰してました。 わざわざ、迎えに来て下さったのですか? 」

 涼子が言うと、老婆は、シワだらけの顔をクチャクチャにして笑いながら言った。

「 久しいのう~、涼子ちゃん。 はるばる、ようこんな田舎に来てくれたのう~ 」

 確か、ホーム脇には、ヤエの地所があり、小さな畑があったはずである。 おそらく、野良仕事をしながら、列車が来る様子を見ていたのだろう。

 涼子は、まだホーム脇の草むらでしゃがみ込み、虫を突付いている千早の方を振り向き、呼んだ。

「 千早ぁ~! 大婆さまが、お迎えに来て下さったわよぉ~? 早く、ご挨拶なさぁ~い! 」

 持っていた草の葉っぱを放り出し、涼子の方へ駆け寄って来た千早。

 ヤエは千早を見ると、シワで隠れた細い目を更に細くし、言った。

「 おう~、おおう~! チーちゃんかね? 大きくなったのう~ 」

 お行儀良く、ぺこりと頭を下げ、千早は言った。

「 大婆さま、こんにちは! 千早です。 お世話になりまっす! 」

「 ん~、ん~、ん~・・・ お利口さんじゃの~ ご挨拶、出来るんかい? 婆じゃ。 よう来たのう~ 」

 千早の頭を撫でながら、嬉しそうなヤエ。

 千早が、目を輝かせながら言った。

「 大婆さま、バッタが沢山いるねえぇ~! 殿様バッタ、いないかなぁ? 」

「 こんなトコじゃのうて、原っぱに行きゃ、沢山おるぞえ? 」

「 ホントっ? 凄い、凄ぉ~い! 」

 ワクワク顔の、千早。

 涼子が、苦笑いしながら言った。

「 3・4日、ご厄介になります 」

「 ん~、ん~・・・ 何日でも、いたらええ。 なぁ~んにも、無いトコじゃがのう~ 」


 ヤエは、曲がった腰の後に両手を組み、改札口から続く小道を、トコトコと歩き出した。

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