短編集:ゴミ箱と愛情

上春かふか

鮮血と貴女

それは、屋上のプランターに彼岸花が咲き誇っていたころのことだった気がする。

緋色に溢れたそれは、どこか、廃れた青い春を思い出させていた。



「……ねえ、私と一緒に死んでくれないかしら」

会社のビルの屋上で、煙草の煙を吐いていた俺__日比谷枻斗__は、思わず入口のほうを振り返った。

十七階建ての、真新しいビルの屋上。

そこには、一人の少女がいた。

胸元までかかる程度の綺麗な黒髪と、それにとても似合っている、綺麗な顔。

どこか、哀愁と懐かしさが漂う匂い。

「……何で初対面の女の子まで俺のことをこき扱うんだよ。意味わかんねえ、俺そんなに何でも屋に見えんのかよ」

俺は、軽口をまくしたてた。敢えて、内容には触れずに。

少女はそれに、ふっと微笑んだ。

「話を聞いてたかしら。私と一緒に死んでくれない?」と、そう続ける。

「このクソ暑い日に。勘弁してくれ、そんなことできるわけねぇだろ」

敢えて、突き放したつもりだったが、自分でも驚くほどにとがった声音が出る。

多分、暑さと忙しさのせいだ、と、勝手に決めつけた。

「死ぬなら、一人で勝手にやってくれ」

「……へえ、冷たいのね。」

「なんだ、人の態度に冷たさを感じれる程度には、余裕あるんだな」

俺は精いっぱいの皮肉を投げかける。

「その冷たさだったら、他人のことを凍死させられそうだわね」

少女は笑って、空を見上げた。

目には光が宿っている。まるで、明日の希望を見る少年のように。

「じゃあ、また」

「……もう会うことはないだろうが、来世で逢えたらな」

そう言うと、名前も知らないその少女は、フェンスへと歩いて行った。

俺は耳を完全に遮断したつもりになって、吸いかけの煙草を投げ捨てた。

「気が向いたら、葬式にでも出てやるか」

思ってもないその言葉を吐き捨てると、ビルの入り口の扉を開けた。



「お前、まだいたのかよ」

「……足が踏み出せなくて」

翌日、昨日と同じように、仕事をさぼりに屋上に来た俺は、まだ地にもまみれていない少女の姿を目の当たりにした。

「やっぱ、余裕あるみたいだな」

「張り詰めている訳でもないし。叔父様は五月蝿いわね」

反抗的なその様に、どこか懐かしさを覚えて、俺はからかい続けた。

「まだ二十九だし。煙草吸ってみるか?」

ライターと煙草を取り出し、少女の目の前でちらつかせた。

「馬鹿じゃないの……。これだからアラサー社畜は」

「うるせえよ」

少女はそっぽを向き、天を仰いだ。

そろそろ帰るか、とも思ったが、もう少しで定時になる。

デスクに戻るのは超面倒だな。……もう少しここにいるか。

俺はそう決めると、少女が座るところから少し離れた場所に座り、そっと、同じように空を見上げた。ぼんやりと、オレンジがかっていて、幻想的ともいえた。

体感五分くらいだろうか、沈黙に嫌気がさしたのか、それとも、根負けしたのか、少女は口を開いた。

「……飛び降り、るわよ」

「そうか」

あまりにも短い会話、いや、会話とも取れないことばの交わしあいに、少しばかり、笑いそうになる。

「……昨日も言ったけれど、随分と興味がなさそうわね」

「どうせいつか死ぬんだ。なら、死に様も自由だろ」

煙草の先端に付いている灰が、留めていた姿を崩し、重力に従うように地面へと零れた。

「……自己満足、ね」

「そういうこった」

彼女は、「吸わせて」と、手で合図してくる。

俺は頷くと、ライターと煙草を一本、彼女に渡す。

先端に火をこぼすと、2本の指に挟まったそれを、口元へやった。

「……ふあ」

「画になるな」

漏れ出たように息を吐く彼女は、空間と同化したかのように、透き通っていて、綺麗だった。

すると、ポケットの中の携帯が大きく鳴り響く。

「やべ、磯山さんから電話だ」

「貴方の上司?」

「ああ、デスクに戻るわ」

「いってらっしゃい」

次から、煙草を余分に、一箱、持って来ようと思った。



「んで、なんでまだいるんだよ」

それが、彼女へ対する毎日の一言目になっていた。

毎日と言っても、まだ5日目だが、俺は、「屋上」へ行くことを繰り返していた。

「うるさいわね……、貴方の方こそ、何故今日も来るのよ。私に惚れているの?」

「お生憎様、俺は無性愛者だ」

俺がそう言うと、彼女は驚いたように、目を見開いて呟いた。

「……ふうん。そうだったの」

今まで、カウンセラー以外に誰かにこの話をしたことは、一度とない。

すこし、頭の奥で、ピシッと、痛みが走った気がして、俺は俯いた。

気のせいだったと、思う。

「無性愛者って言ってわかるんだな」

「一応、なんとなくは。あまり理解はできないけれど」

そう言う彼女は、いつものように空を仰いでいる。

俺はそれになぜか懐かしさを感じながら、煙草の尖に火をつける。

吐き出した煙は、空に昇っていく。どこまでも、どこまでも。

「……理解も、同情さえも要らない。どうでもいいんだ、そんなこと」

深く吐いた煙に乗るように、言葉が溢れた。

その時、彼女がどんな顔をしていたかは、今でもわからない。



風邪を引いた。

夢を見た。

遠い昔の、誰かの夢。

それは、君の心に焼き付いて、離れなかった人の夢。

でも、君はきっと、思い出すことができない。

彼岸花は、もう、涸れてしまうから。



目が覚めたことに、何故か俺は、不快感を覚えた。

汗が滴り、タオルケットに零れる。

「今まで俺、何してたんだっけ___」

ふと、ベッドから出ようとして、崩れ落ちた。

体が、鉛のように重い。上手く、身動きが取れない。

おまけに、目が霞む。これはひどいな。

「会社、夏風邪で休んでたのか」

だんだんと意識が、覚醒していく。

本能的に、傍にある携帯を手に取り、日付を確認した。


9/27。


「まさか、彼岸、終わったのか」

体は、あの屋上に行けと、そう全体で伝えているのが分かる。

あの、鮮血のような彼岸花が咲き誇るあの場所へ。

気づいたとき、俺の体は動きだしていた。



「なんでいないんだ」

鉛のような重い体を打ち、やっと屋上まで来るのに、2時間弱かかったなんて、俄かにも信じられない話だ。

ただ、そこには、彼女の姿が見えない。

「やっと、死んだのか」

死体を確認したいわけでもなく、俺は、その場所へ座り込んだ。

何故か、肩の荷が下りたような、そんな感覚だった。

保護者でもないのに。そんな感覚になるのは初めてのことだと思う。

俺は、スーツの内ポケットから、震える手で煙草を取り出す。


火をつけるが、何故か吸いたいという気にはならない。

ただ、漂っている煙が、空に昇ろうとしないのに、俺はなぜか違和感を覚えなかった。

「なんでだろうな」

理由はわかっていた。


どこへ行っても、結局のところ、自己満足でまかり通っていた。


酷くて、最低で、綺麗だった。


ふと、暑苦しい風が、体を、殴るように吹き付けた。

煙草の火は、いつの間にか消えている。

プランターに咲いていたはずの彼岸花は、違う花と植え替えられている。

もう、貴方に届くことはないのだと、自分勝手に、そう考えた。

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