対ゴセンチツシマヤマネコ

宮上拓

対ゴセンチツシマヤマネコ

 テレビの上を小さなネコがひょこひょこと通り過ぎていったが、僕は特に気にもとめなかった。というのは、一つにはテレビなんかつけていても僕はまるでそれを見ていなかったからであり、もう一つには、彼が僕の部屋に居ついてからはもう三年ほど経っていたからである。そのときに僕が彼のことを気にするべき理由は、何一つ見当たらなかった。彼は波打ち際の防砂林のように、この上なくシステマチック存在であったのだ。システムのことを気にしだしてしまったら、システムの意味がなくなってしまう。

 彼は本当に小さなネコだった。並大抵の小ささではなかった。あるいは、あなたは小さなネコなんて何度も見たことがあると言うかもしれないが、もちろん彼の小ささはそんなものではない。なにしろ、彼は体長がほんの五センチしかなかったからだ。

 ほんの五センチ。

 もちろん体長五センチのネコにも名前はある。「あまから」というのが彼の名前だ。僕が台所でひき肉とたまねぎの甘辛炒めを作っているときに、彼は初めてその姿を僕の前に現したのだ。あまからは調味料いれの詰まった棚の中に潜んでいて、僕が醤油の容器を取り出すと、それと一緒にころりと転がり出てきた。体全体にうっすらとした斑点模様のある、とても綺麗なネコだった。

「ツシマヤマネコに似てる」と、ちょうど遊びにきていた友人は彼を見て言った。

「普通はもっと大きいけど……とにかくこの模様はツシマヤマネコみたいだ」

「これはほんの五センチぐらいしかないけどね」

「ほんの五センチしかないにしろ、とにかく似てる」

「ゴセンチツシマヤマネコだ」と僕は言った。

 その五センチのうちに、あまからはネコの要素をみっしりと詰め込んでいた。ネコらしさで言えば、あまからほどネコらしいネコも珍しかった。体の隅々まで神経の行き届いた機敏な身のこなしや、CDプレイヤーの排熱口の上で満足げに丸くなっている彼の姿を見ていると、僕はあまりの可愛らしさに涙さえ出そうになったものだ。なにしろ、あまからはほんの五センチしかなかったのだ。彼は五センチの完璧なネコだった。

 しかし、僕が一番最初にあまからに対して行わなければならなかったことは、まず台所の洗い物の中に落ちた彼の体からしっかりと油を落としてやることだった。台所を友人に任せて、風呂場にあったボディーソープで注意深く体を擦ってやると、彼は「右のわき腹にまだ油が残ってる」と言った。彼はなにしろ利口なネコなのだ。


 彼と一緒に生活し始めて一週間で分かったことだけれど、あまからは基本的におそろしく物静かなネコだった。放っておけば一日中口を開くことがないということも珍しくないし、体を動かしていてもほとんど物音は立てることはない。それから彼は同時にひどく気の利いたネコでもあって、僕の恋人が部屋にやってくると、三十分ばかり彼女にもてあそばれてやってから不意にどこかへ姿を消し、彼女が帰る頃になるとまたひょっこり本棚の隙間から現れるという行動を何も言わずに黙々とこなしてくれた。

「ねえ、なんだかあまからくんって、私たちの邪魔をしないように気遣ってくれてるみたいに見えるわ」

「そう?」

「うん。とても頭のいいネコよね」

 もちろん僕には、あまからが裏で「なあ、そりゃあんたの勝手なんだけどさ、あの女はちょっとひどいよ。なにしろ遠慮ってものがないし、あの腰の太さは犯罪的じゃないかな」なんて言っているのを教える義理はない。それに、彼女の遠慮のないのはそれはそれで魅力的だし、腰だってそんなに太くないと思う。

「うん、あまからは頭のいいネコだよ」と僕は言った。あまからは横目で「やれやれ」という表情を僕に送ってよこした。

 このように、あまからは基本的に物静かではあるけれど、一度批判を始めるとそれを止めることのできないネコでもあった。例えば彼はアメリカ主導の世界経済には批判的であり、日本の選挙制度についても批判的であり、ヨーロッパの統合についても否定的で、遠慮のない女と腰の太い女に(誓って言うけれど、僕の恋人の腰は全然太くない)対してはもちろん否定的だった。ニュース番組でそういった特集を組んでいると、必ずそれについて彼なりの意見を一席ぶったものだが、そういった時間の多くを僕はもちろん聞き流すことに費やした。彼の意見は鋭く、攻撃的で、いくらかの含蓄さえ感じさせたが、結局のところそれは一九六〇年代に失敗した闘争の名残のようなもので、実にネコ世界の論理だったのだ。

「なああんた、聞いてるのか?」

「聞いてるよ。でもネコの世界と人間の世界じゃ、いろいろと事情が違うってこともあるだろう」

「ふん、ネコだって人間だって、そんなに変わりゃしないさ」

「本当に?」

「ああ」

「だとしたら」と僕は言った。「僕は明日にでも役所に行って、ネコへの変種届を出してくるよ」


 ときどき僕は考える。五センチのツシマヤマネコであることと、一八〇センチの人間であることの違いはどこにあるのだろうか? それが分かれば、全てのピースがカチッと音を立てて完璧な姿を現すのではないだろうかと思えることがある。あるいは、それも一九六〇年代の名残のようなものなのかもしれない。だとしたら答えは簡単だ。五センチのツシマヤマネコであることと、一八〇センチの人間であることには大した違いはない。

「そうさな」とあまからは言ったものだ。

「ホントに、あんたと俺との間には大した違いは無いさ。あんたは椅子に座って一日中ぼけっとしているし、五センチのネコだって排熱口の上で一日中ぼけっとしている。そのむさくるしいひげを毎日剃らなくてもいい分、ネコの方がマシってもんだ。もっとも、セックスは一年のうちで決まった時期しかできないがね」

「オーラル・セックスも?」と僕は言った。

「オーラル・セックスも無しだ」と彼は言った。

 僕はふむとうなずいて、それからおもむろに電話の受話器を取り、番号をプッシュした。あまからは例の「やれやれ」という表情をした。

「もしもし、僕だけど」と僕は言った。

「なあに?」と僕の恋人が受話器の向こうで言った。

「今から遊びに来ないかい? 五センチネコも君のことを待ってる」

「そうねえ」

「うん。三十分ばかり五センチネコと遊ぼう。それから五センチネコは抜きで二人でゆっくりする」

「晩御飯は?」

「僕が作る。今日はピーマンの肉詰めにしようと思うんだけど」

「なかなか良さそうに聞こえるわね」

「どれぐらいかかる?」

「十五分」と彼女は言った。「十五分ぴったりで行くわ」

 受話器を置いてテレビの上を見ると、あまからは既にそこから姿を消していた。もちろんそうだ、と僕は思った。僕は五センチネコなんかに負けているわけにはいかないのだ。引き分けたって納得はできない。僕はあまからのことが好きだったけれど、それとこれとは別の問題なのだ。

 そのようにして、百八十センチの人間が勝ち残った。


(了)

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