"The decisive moment"
「あ、自分カメラ持ってないんだった!」
「いいよ全然、幽霊部員でもいいって言ったでしょ。てかスマホでもいいんだけど。」
「でも、折角入ったんだし、なんていうかカメラ始めてもいいかなって。特にこれといった趣味なかったし。」
あーちゃんの顔が急に真剣になる。
「それ、本当?」
「というか、あーちゃんは何使ってるの、カメラ。」
一瞬の沈黙が訪れる。
「見ても引かない?」
「う、うん、引かない。」
「持ってくるわ。ちょっとかかるけど待ってて。すぐ戻るから。」
そう言ってあーちゃんは走って出て行ってしまった。
私は1人写真室に取り残された。鍵が机に残されている以上、防犯的にはあーちゃんが帰ってくるまで自分がこの部屋にいなければまずい。
「静かだ。」
締め切った窓からどこかの運動部の走り込みの掛け声が聞こえる。廊下の向こうでは吹奏楽部の無秩序な音出しが現代音楽のようなシュールさを聞かせている。
ふと、今日写真室に来なかったらどうなっていたかを考える。これまでと同じように1人電車で早めの帰宅をして、布団にでも潜っていたかもしれない。
(にしても、まだかな)
時計のない部屋で待たされるというのは、意外と慣れていないものだ。いつも時計の針が進むことを希望に授業時間を乗り切っている身からすると、余計に辛いものがあった。こういう時、自分は活字を探す。何か文字を読んで脳を紛らわせるのだ。
ふと机に目がいく。そこには『
(読んでも怒られないよね)
恐る恐る表紙をめくるとそれは写真集だった。全編モノクロで、ヨーロッパの街並みとそこにいる人々があった。昔の写真らしい。今まで写真集なんてろくに見たこともない。見ようと思ったこともない。ただ、時間潰しのはずだった。
それなのに、ページを捲る速さはどんどん遅くなっていく。
映っている人々、その表情。着ている服。ついている皺。見つめる眼差し。シルエット。光と影。
全て計算されているかのような完璧さはないのに、それが逆にその場所の臨場感や人間味を感じさせた。そこにはそこに生きる人たちがそのままあった。そう感じた。
「これが、写真」
「そうだよ。これが、フィルムの力。」
びっくりして振り返るとあーちゃんがいた。両手にはすっぽり収まる金属の小ぶりのボディーと銀色に輝くレンズがあった。とても古そうなカメラだ。
「これが私のカメラ。祖父のお下がりなの。写真部に入るって言ったらくれたやつ。」
そう言うと彼女はカメラを構え、私にレンズを向けてシャッターを押した。
カチャッ
突然のことに私は唖然とした。
「撮らないでよ!」
私は思わず叫んだ。
彼女は飄々とカメラの底蓋を外して言った。
「ごめん。空シャッターだから許して。フィルムも入ってないしさ。」
「どういうこと?」
「音がしただけで撮ってないってこと。驚かせちゃったならマジでごめんって。」
しばらくの沈黙。
言葉を選ぶ。
「それ貸して。自分もやる。仕返し。やらせてくれないとさっきのこと許さないし入部しない。」
しばらくの沈黙。お互いに目を離さない。
彼女が先に目線をカメラに逃した。
「いいよ。ここを回すとチャージするから。」
彼女は慣れた手つきで教えてくれる。
「ここを覗いて、レンズを回して二重像が合致するまで回すの。」
「そうしたらここを押してシャッターを切る。」
カメラが手渡される。レンズを彼女に向ける。ファインダーを覗く。
「あ、1m以内だとピント合わないからちょっと離れるね。」
彼女が後ずさる。
私はシャッターを切る。
カチャッ
私は巻き上げのノブを回す。二重像を一致させる。
彼女は動かない。
私はシャッターを切る。
カチャッ
彼女は動かない。
私はアングルを変える。
私はシャッターを切る。
カチャッ
カチャッ
カチャッ
カチャッ
カチャッ
カチャッ
カチャッ
「気が済んだ?」
「全然。」
カチャッ
「楽しいでしょ。」
カチャッ
「めっちゃ」
「ね」
カチャッ
「私にも、決定的瞬間、撮れるかな。」
カチャッ
「向いてるよ。」
カチャッ
私はフィルムカメラを始めることにした。いろいろ調べたけど、あーちゃんが使っているフィルムカメラが何なのかはわからなかった。
(おそろがよかったのにな、でもあんな古いのもう売ってないだろうし。) (聞けばいっか)
と、スマホを取り出したところで、気づいた。
(ライン交換してないや)
(そういえば、『
私は検索した。いろいろあの写真集についてわかってきた。
撮影者はH
そして彼の愛用したカメラがライカだ。彼自身を写した写真でよく一緒に写っているのが
レンズは焦点距離によって写る範囲が変わる。いわゆる標準レンズとよばれるものは35mmと50mmだが、ブレッソンは50mmにこだわる写真家だ。
「同じカメラって売ってんのかなあ。って、本当に売ってるの!?」
驚くべきことに近くの中古カメラ屋でこのカメラとレンズの在庫があることがわかった。天啓としか言いようがない。
「にしても、合わせて17万円か〜」
「あの手を使うか。」
私は不登校から復帰したことと写真部に入ったということを口実に親をゆすって金を手に入れた。「ちゃんとした趣味だしいいけど買ったカメラ壊すなよ。」と言われた。ちなみに流石にフィルムカメラに17万円も出してもらえず、値切って値切って13万円が予算になった。仕方なく、レンズを妥協する。
「今年の誕生日はプレゼントなしだからな。」
「はいはい。」
「すいません、このライカM3と
「お嬢ちゃん、お目が高いねえ。操作はわかるかい。」
「一応は。」
レンズを取り付け、
裏蓋を開いた状態でシャッターを切る。
カチャッ
(よし。1/1000は開いてる。)
カチャッ
カーチャッ
(1秒も問題ない。)
「買います。」
「あいよ。」
「あとフィルム一本ください。」
「まいどあり。」
私は店を後にするとすぐに梱包を破りレンズを取り付け、フィルムを装填した。やり方はすべてネット情報だが、イメージトレーニング通りだ。
空シャッターを何枚か切る。
チャッチャッ
カチャッ
チャッチャッ
カチャッ
フィルムカウンターが0になる。全ての準備は整った。
(自分にしか撮れない写真を撮ろう、決定的瞬間を)
巻き上げレバーを親指でかけて、私は大須商店街の雑踏にレンズを向けた。
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