Aパート

面談

10月31日。

「どうして教室に行けなくなったんだと思う?」

 長机を挟んだ向こうの女性教諭が尋ねた。

「上手く言葉にできないんですけど、なんていうか、自分の代わりを誰かができるんだろうなあって思えちゃって。中学の時だったら信じられないような順位や点数を取ったんですよ。」

しばらくの沈黙。

「で、クラスに友達もできなくて、まあいないわけじゃないんですけど、お互いにお互いを一番だと思ってるのが親友じゃないですか。そういうのが出来なくて。」

 唾を飲み込む。

「自分っていなくてもいいのかなって。」

 また、しばらくの沈黙。

「まあ、こういう学校だし君みたいな生徒はいっぱい見てきたけど、結局自分はそういうものだと自分で認めてあげるしかないんだよね。」

 私はぶっきらぼうに言い放たれた。


 私は不登校の生徒だ。話は数か月前に遡る。

 中三一年での地獄の予備校生活を経て、そこそこの田舎の故郷の中学から、県内でいわゆるトップ校と呼ばれる公立高校に進学した私は、家族や親戚からの期待を一身に受け、学業も順調に、高校生活を満喫するはずだった。

 ところが高校デビューに失敗して友達と呼べるクラスメイトはできず、放課は突っ伏せる日々。おまけに一学期中間テストでの順位は下から数えたほうが早いという屈辱的なものだった。

 曲がりなりにも周囲には勉強のできる才女扱いだったのがプライドだったのに、それが砕かれたことはショックだった。それでもクラスが楽しければやっていけただろうが、それも友達が一人もできないせいでうまくいかない。

 それでも一学期は何とか持ちこたえたものだった。長い夏休みが二学期との間に挟まった。それがかえって決定的だった。「学校に行かなくて済む」という安心感が日がたつほどに不安に変わり、夏休みの堕落した生活リズムと相まって、終盤はとめどなく加速する憂鬱に変わった。

 9月1日。初めて自発的に学校を休んだ。親には体調が悪いふりをした。

 9月2日。学校に行った。保健室から出られなかった。

 9月3日。学校を休んだ。体がだるいといった。

 土日。

 9月6日。学校を休んだ。体調が本当に悪いふりをした。

・・・

合唱祭、欠席

確か文化祭の時は行った。教室には行かなかった気がする。

体育祭、欠席

・・・

 10月30日。学校を休んだ。親は行くか行かないかだけを聞く。本当に体調が悪いのか、そういうふりをしているのか自分でも見分けがつかない。午後になって電話があって、明日面談があるから来いと言われた。


 ふと振り返っていたら、面談は終わっていた。担任がやってきて、担当科目である数学だけでも来たら、と声をかけてくれたが、「体調が悪いので帰ります。」と言って荷物をまとめて学校を後にした。


 乗っている電車が動き出した。自分がなぜ引きこもっているのか言葉にした気持ち悪さと、ぶっきらぼうな返答を反芻した。

(自分はそういうものって認めて誰かより劣った何かとして惨めに生きていくぐらいならいないほうがいいんだ)

(誰にも負けないって胸を張れるもの、そんなものが自分に一つでもあれば成績が悪くても友達がいなくても堂々と生きていけるのに!)



 引きこもり生活は思わぬ形で終焉を迎えた。「今日休むと留年です」という電話が早朝にかかってきた。1月の雪の降る日だった。それまで心療内科に連れて行ったりカウンセリングを受けさせたりと同情的だった両親がその日は怒鳴り込んできた。

 私は布団を被った。普段はそっとしてくれる父親が布団を無理やりはがした。父親が私の腕をつかんだ。

「行かないって言ってるでしょ。」

「行かなかったら施設に送る。無理にでも更正してもらわないと困るからな。」

 私は言い返せない。目も合わせなかった。

 しばらくの沈黙。

「よく考えろよ。」そう言って父親は部屋を去った。


(どうしよう)

 考えないでいたこと、目をふさいできた問題に、突然決断を迫られた。


『退学か留年するか、嫌でも復帰するか。』


 考えた。考えても怖かった。考えるのも怖かった。考えるな。体よ、動いてくれ。

 本当の緊急事態を悟った私の体は、ついに考えているだけの役立たずな脳をきっぱり無視して制服に着替えて、母の部屋に行った。

 車に乗った。

(何も考えるな)

 電車に乗った。

(何も考えるな)

 学校に着いた。

(何も考えるな)

 教室に入って自分の席に着いた。周りは少し驚いた反応をしている気がし(何も考えるな、感じるな!)


 結局その日はあらゆる感情とそれにまつわる思考を気合でシャットダウンすることで何とか乗り切った。そのまた次の日も同じように、そのまた次の日もそうやって乗り切った。

 慣れというものは恐ろしい。気づけば復帰していた。学校はまったく楽しくないけど、冷静になれば留年しちゃマズい。幸いにも友達いないのでクラスでは突っ伏してれば時間が過ぎるので助かる。昼以外は。

 その昼のことだ。たいてい購買で昼飯を買って、帰ってくると席がなくなっていることがある。いじめとかではなく、グループで食べる人たちに机や椅子が持ってかれるからだ。長い間休んだせいで自分のがそういう枠になってしまったのだろう。

 注意するのも億劫だし、そもそも教室が好きじゃなかったので、仕方なく中庭で食べるか、どこともなくぶらぶらと歩きながら時間を潰すか、そんなことをしながら昼休憩を過ごすのが日課になった。寒そう?セーターの下にはカイロ貼りまくってるからセーフ。

 

 ある晴れた2月のことだった。

(友達とかいなくても案外何とかなるもんだなあ)

 その日もこんなことを考えながら一人中庭で揚げパンを食べていると、赤縁の眼鏡をかけた二つ編みの少女がビラを配っているのが見えた。スリッパの色を見たら、   同じ一年生だった。

(何やってんだ?)

 立ち上がって近づいていく。少女の声がだんだんとはっきりしていく。


「しゃ・・・に・・ませんか!写真部に入りませんか!」

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