第8話

「あぁ〜ぁあ、馬虎ウマトラのせいで、とんだ骨折り損のトラウマ塗れですわ〜〜」

 未来世界へと帰還したポムは、ぼやく声まで婀娜っぽい。それでも、自治寮の一室にて、「古代パルシファル王朝時代におけるスパイスを用いたレシピとその効能について」という論文の仕上げに取り掛かった。商品化は断念するとしても、論文のネタにするには十二分だろう。

 ただし、完成したところで、発表する当ての無い論文である。

 時空を超越する手段が存在するという事実は、未だ公認されてはいない。よって、ポムのような若手の研究者が、他の時空で得た知見を論文化したところで、「論文の体裁で描かれたファンタジー」などとレッテルを貼られて、不本意かつ不名誉な扱いを受けるだけだろう。

 ポムが執筆したものの、発表を保留している論文なら、他にいくつもある。「中世におけるアニヨメサキス食中毒の症例報告」に、「魔素カビを用いた食育の可能性」、その他諸々である。

 ポムはそれらを、「ルージュの黙示録」と名付けたフォルダにまとめており、自分の死と同時に公表する手筈を、とっくに整えているのだった。

 ポムはやがて、執筆作業が一段落すると、紙媒体の資料を手にした。

 その資料とは、古代の男性が、自身の初恋に関して記した回想録の写しだった。マクミナル博物館に長年収蔵されていたそれの著者が、実は古代の大哲学者であるチィタ・ニャートンであるという鑑定結果が、つい先日公表されたことで、世間の話題をさらっているのだった。

 ちなみに、大哲学者の初恋のお相手は、幼少期に出会った、薬師の女性なのだという。

 ポムは、二人の最初の出会いの場面を読み進めていた。

「私は、彼女の美しい笑顔、中でも艶やかな唇が開閉する様に心を奪われて、いつしか息をするのも苦しいと感じていた。彼女は、ほんの子供であった私を侮ることなく、何やら難しくもためになる話をしてくれていたようなのだが、誠に申し訳無いことに、途中で逃げ出してしまった私は、その内容を思い出すことができずにいる」

 これは、すぐにもラチェットに見せなければ!——ポムはそう意気込んだ。

 人助けの実績を積むべくチィタに接近したポムであるが、その際の接し方、特に話題の選び方については、かの宮廷魔術師に後日こってりと絞られてしまった。しかし、当のチィタは、何の話かも覚えていないなりに、好意的に受け取ってくれているではないか!

 さらに、チィタは、恋しい薬師の言葉の中から、特に印象深く一字一句忘れられないというものを記していた。

「あのね、私はいつか、究極の惚れ薬を作りたいと思っていますのよ。それはね、自分のことを好きになれるお薬なんです。そんなお薬は、まだまだできそうにはないけれど、万能とは言い難い自分のことでも、ちょっとは好きになってあげないと、実力を発揮することもできずに、叶うはずの夢まで叶わなくなってしまいましてよ」

 いつそんなことまでチィタに話したのかしら〜?——ポムは、すぐには思い出せずに、小首を傾げた。もしかしたら、今後も定期的に彼を診察してゆく中で話すことになるのかもしれないが……

 なんだか、自分の心の内を、自身で口に出すよりも先に、大哲学者によって言語化されてしまったようで、どこかくすぐったい気分だった。

 ポムは天才であると自認している。しかし、そもそもエルジオン医科大学は、綺羅星の如き天才たちの巣窟なのである。仮に天才の最高ランクが五つ星だとしたら、自分はせいぜい四つ星程度の存在に過ぎないのではないかと、嫌気が差すこともしばしばあるのだ。

 ところで、ポムは別段気にしていないのだが、チィタ・ニャートンの回想録には、あってはならない記述が散見されると、疑問視する学者たちもいるようだ。

 例えば「注射器」、あるいは「聴診器」等々……古代パルシファル王朝時代には、未だ発明されていなかったはずの道具について、具体的に言及されていることが、彼らにとっては大問題であるらしい。

 ただ一点だけ、ポムがしみじみと納得したのは、「浣腸器」についてである。当時はまだ存在していなかったため、「カンチョー」が子供相手のキラーワードとなり得なかったというのは盲点だった。

 なんにせよ、ポムはアルドの仲間だ。つまり、時空を超越してナンボである。彼らが通った後に多少のオーパーツや、それを知る人々が遺されてしまっても、それは例えば、換毛期の猫が歩けば抜け毛が落ちる……といったことと同程度の自然現象に過ぎないだろう。

 その時、部屋のクローゼットが、やおら大きな音を立てた。クローゼットの扉が、忙しなくノックされたのである——それも、内側●●から……

 さしものポムも、両眼を限界まで見開きながら、悲鳴を噛み殺す。

「ドクター!本日の講演の開始時刻が迫っているぞ!遅刻するようなら、先日の羽箒で、寄ってたかってくすぐり倒してやる!絶対に目的とする情報を引き出してやるからな!我々は皆、待ちきれないのだ!」

 ポムは、時間が経つのも忘れて、危うく大切な約束に遅れるところだったのだ。全くもって、大哲学者チィタ・ニャートン恐るべしである。

「お願い、早まらないでくださいまし!この建物はオンボロですの!あなたがたほど腕力にも体格にも恵まれた来客は想定されていませんのよ!

 なんなら、羽箒の責めは、本日の講演にご満足いただけなかった場合に、後からお受けしますからぁ♡」

 ポムは、クローゼットの中にまで迫り来た客人を必死に宥めつつ、「ルージュの黙示録」の中から、本日の講演に必要なファイルを、素早くピックアップする。

「本日は、アニヨメサキスについてですわよぉ!あなたがたの生体パーツにも感染し得る寄生虫ですし、そもそも合成鬼竜さんまでもが、中世で着水した際に痛い目に遭われた経験者です。

 せっかくですから、対人間用の生物兵器、翻って、対合成人間用の生物兵器としての応用についても考えてみましょう!

 死にはしない程度の生物兵器で、お互いに虐め合うぅう♡……それって一興ですし、人間と合成人間が共存する適度な距離感を探る一助になると思いましてよ!」

 そう淀み無く言い終えるころには、ポムは、準備万端、自室のクローゼットの前に立っていた。

 扉を開けると、そこは、合成鬼竜の艦内だった。

 簡易的な時空の穴によって、強引に空間を繋いであるのだ。

 合成鬼竜が、水虫やアニヨメサキスに悩まされた経験から、「プレゼント」と称して、適宜ポムを呼び寄せられるように、そんな場所に時空の穴なぞ開設したのである。

 待ち構えていた合成人間たちのうち、注射器を装備した者は、それをポムに向かって高く掲げて挨拶した。まるで独自の様式の敬礼のようだった。

 ポムもまた、彼らに負けないほど大きな注射器を掲げることで、挨拶を返す。

 人間社会で公表できない論文だからといって、合成人間のために役立ててはならないという法なぞ無いだろう。無いに決まってる。あってたまるか。

「さあ、今日も行きますわよぉう、さらなる愛を求めて♡」

 二足歩行の知恵の果実は、どうやら、愛し愛されることによって、より大きく結実するようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ルージュの黙示録 如月姫蝶 @k-kiss

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ