恥は書き捨て、読む情け

紫月メイ子

恥から始まるものもある

「本を出したい」

と、私は言った。

そして数秒の沈黙の後に私は自分に聞き返した。

「どうやって?」

そこから、私の果ての見えない冒険が始まった。


旅に行きたい。

そう思ったとき私は、まず図書館に行く。

ガイドブックのコーナーには立ち寄らない。

私が行くのは、いつだって小説本の並ぶ書架だ。

私は京都のガイドブックの代わりに古典文学の本を取り、ロンドンのガイドブックの代わりにファンタジーを捲り、ベルサイユ宮殿に行く代わりにロマンス小説を借りる。

私にとって旅行とは活字の中の虚構を脳内で再編する行為であり、それは、どんな絶景よりも美しい光景なのだ。

かくして、本の虫である私は、人魚の住む古の深海からアンドロメダの果てで聞くロボットのテクノポップまでいろんな場所を旅し、いろんな事を見聞きした。


新聞の書評はあまり読まない。

いつだって先入観を持たず、予備知識だけ持って物語に入る。

昨日は、一人の男が丸善に檸檬を置いて愉快そうに帰っていったのを見てから、汽車に乗り三等客車で、夕日の中の弟たちに窓から蜜柑を投げ渡してやる娘を見た。

物語の終着点につくと、私はいつものように物語から上がる。

プールで泳いだ後のように疲れることもあれば、海で穏やかにシュノーケリングを楽しんだ後のようにさわやかな時もある。

時には、本当に水に潜った後のように水滴が頬を伝って流れ落ちることもある。

そういう時は流れ出るままに涙を流す。


そんな、旅を何度繰り返しただろう。

まるで、前人未到の秘境を夢見るように私はぽつりとつぶやいた。

「本を出したい」と。


いやいや、待て待て、少し待て私よ。

「本を出したい」だって?

なんでそんなことを思ったんだ?

小学校の作文ですらちゃんと書けなかったんだぞ?

魔が差してそんなことを思ったんだろうが、いささか無理がありすぎないか?

どうなのだ?私よ?

できない理由を私が並べ立てるのをまるで機関銃の掃射のごとく言い返し撃ち砕く私がいた。

そして、しばらくの銃撃音の後。

立っていたのは、本を出したいとつぶやいた私だった。

薬師丸ひろ子も真っ青な力強さで機関銃をぶっぱなし、否定文を並べる私に端の煤けた白旗を振らせた。

我ながら自分に無茶苦茶な奴だと慄いた。

一体、只の本の虫である私のどこにこんな強い気持ちがいたのだろうと。


それからしばらくして、私は小説の書き方、や、物語の作り方、果てには今すぐ漫画が描ける本など、とにかく自分の中に出来上がっていた何かを本に変換するための手引書を読み漁った。


鉄は熱いうちに打てなどと先人は言い、私は、PCのキーで文字を打った。


そして、恥は書き捨て読むは情けと、訳のわからないことをタイプして投稿ボタンを押した。

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