第27話 イギリス密航 5

 あまりの船の揺れに気持ち悪くて吐きそうでも、船員は容赦なく二人を呼びつけた。


 吐き気も辛いが、後で船員たちに殴られるのも嫌なので、俊輔たちは急いで仕事についた。


 船の綱を持つというのは見た目より大変な作業だ。


 すぐに手の皮など擦り向けて真っ赤になる。


 海の男たちは長年の経験でもう手の皮が厚くなり、持ち方も心得ているが、経験の全くない俊輔たちは手がボロボロだった。


 それでも死にたくないので、必死に船の仕事をした。


 船が落ち着いても、海水で汚れた体を洗うことも出来ない。


 なにせ海水以外の水が無いのだ。


 飲み水も雨水を貯めているほどで、それも貴重だから体を洗うのになど使えない。


 もちろん、水夫に着替えなどない。


 船が大波に揉まれて沈没しそうになるのをなんとか耐え、吐き気も手や体の痛みも耐えて得られるのは、死なずに済んだということだけである。


 しかも、体を洗うことも温かい食事を取ることも出来ない。


 それでも二人は頑張った。


 長く船に乗った経験もないのに、いきなり一番下っ端の水夫扱いをされて、何か月も口に合わないものしか食べさせてもらえず、心身共に弱い人間なら精神的に参って海に飛び込むか、体を壊して亡くなっているところである。


 二人は、特に聞多はそれなりの家の生まれの子にもかかわらず、非常にがんばった。


 ところが、マダガスカルを越え、喜望峰を過ぎたあたりで、俊輔が体を壊してしまう。


 あまりに悪い衛生状態と慣れない食事と疲れのせいで、お腹を壊してしまったのだ。


 今のフェリーならばきちんとしたトイレがあるが、ペガサス号にはトイレなどない。


 船から海面に突き出た木に乗って、ようを足すのである。


 水洗トイレなどないので、そのまま海に向かってするということだ。


 大きな波が来たり、船が揺れたりしたら、簡単に落ちてしまう。


 そのためトイレタイムはとても緊張の時間だった。


 だから出来るだけギリギリになるまでしたくないものだが、お腹を壊したら、そうはいかない。


 下痢げりでただでさえ弱っていて危ないのに、何度もトイレをしないといけない俊輔のため、聞多はロープを借りてきた。


「俊輔、これを体に巻き付けておけ」

「これは……?」

「命綱だ。こっちのほうは船の柱に縛り付けておく。そうすれば波にさらわれたり、足をすべらせても海から落ちずに済む」


 俊輔は言われるままにロープを体に巻いたが、まだ不安だった。


「大丈夫かな、これ……」

「安心せい。船の柱に結び付けたロープが外れたり落ちたりしないよう、俺が必ず見張ってやる。お前がする時はどんな時でも必ずついて行ってやるから」


 その言葉通り、聞多は嵐の時でも、腹を壊した俊輔に付き合ってくれた。


 最初にも書いたが、聞多は藩主の小姓を勤めるくらいの家柄で、百姓だった俊輔とはまったく身分が違う。


 しかし、聞多は俊輔のほうが身分が低いのだからという扱いはしなかった。


 それどころか、嵐になれば俊輔の命綱を持つことで一緒に海に落ちてしまうかもしれないのに、付き合ってくれた。


 俊輔は心から聞多が一緒だったことに感謝した。


 一方、ホワイト・アッダー号に乗っていた勝たちも同じように水夫扱いをされていた。

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