第一話 辺境最南端貧乏貴族家 (3)

 母との話を終えた俺は、急いで書斎へと向かった。

 みんなそれぞれに忙しく、しかも俺は恥かきっ子で味噌っかすでもある。

 兄たちとは年齢も離れていて、特に長男・次男とはまるで会話すら存在しないのだ。

 これは別に俺を嫌っているということではなく、あまりに年齢が離れすぎているので接点がないというのが正解なのであろう。

 書斎へと行く途中に顔を合わせたが、特に会話などはなかった。

「へえ、意外と蔵書の数が多いな」

 貧乏貴族家でもそれなりに歴史があるので、父の書斎にある蔵書の数は多かった。

 分野も、歴史や地学から、文学、数学、鉱物、生物、魔物学などの平成日本で言うところの高校卒業レベルから、簡単な童話や絵本に、料理の本まで。料理の本があるのにうちの飯は貧しいような気もするが、その料理に使う材料が確保できないのであれば諦めるほかないというものだ。

「普通に読めるな。というか、日本語だ」

 家族と日本語で会話が成り立っているのでそんな予感はしていたが、この世界は日本語が共通言語になっている。ただ、若干の違いはあるようだ。

 まず、庶民や中央の王宮に縁のない下級貴族などが少しは読み書きができるという文章。これは、全く漢字が使われていなかった。漢字部分をひらがなで、ひらがなの部分がカタカナで記載されているのだ。

 この世界に普及している大半の文章がこの形態らしく、俺にはかえって読みにくく感じてしまう。

 次に、王族や皇族、高級貴族、中央政府で発行される公文書や、教会や各種ギルドの上層部、各分野の学者や学会など、要するに、偉い人たちが使用しているのが普通の日本語の形態に近い文章であった。

 俺には、ものすごく読みやすかった。

 見慣れたものではあったのだが、一部に意味不明な部分も存在している。

 なぜか、一部名詞に英単語が交じっているのだ。あと、日本語をローマ字表記したものとかだ。

 英単語は難しくても高校レベルだし、大半の文章は日本語なので問題なかったが、本によっては漢字で書かれた名詞の読みがローマ字表記だったりと、イマイチその法則は不明であった。

 更に、美しい失礼のない公文書とは、ひらがなとカタカナが七割、漢字が二割、その他が一割というのが黄金比率らしい。

 正直どうでもいいような気がするが、そんなことを気にするのがどこの世界でも官僚や役人という生き物なのであろう。

 とりあえず今は五歳児なので、できる限りの体力作りや武芸の訓練に励み、後はこの書斎の本を読んでこの世界の知識を蓄えるのがいいであろう。

 そう考えながら本棚の端に目を向けると、そこには俺が今一番見たいと思っていたジャンルの本が並んでいた。

「初めての魔術、中級魔術、上級魔術、錬金術の基礎、初めての魔道具作り。おおっ! 魔法って本当にあるんだな!」

 俺は、もしかしたら魔法が使えるかもと心を躍らせながら本を手に取るのであった。


    *   *   *


 本を読み始めたところで昼食の時間となってしまい、俺は断腸の思いで屋敷の食堂へと向かった。

 昼食のメニューは、朝と同じく黒パンと塩だけで味付けをした野菜と細切れ肉のスープであったが、この世界では飯が食えるだけ幸せと考え、食事を口に運んでいく。

「魔法かい?」

「はい、魔法です」

 一通り食事を食べ終わった俺は、隣の席に座るエーリッヒ兄さんに魔法について尋ねた。

 ちなみに、両親や上二人の兄たちは新しく広げる開墾地の相談で忙しいらしく、俺のことなど気にも留めていないようだ。

「魔法関連の本は、父上の書斎に大体のものが置いてあるよ。魔法の修練に使う水晶玉もあるし」

 この世界では、特に魔法技術が世間から秘匿されているということもないらしい。

「水晶玉もそうだけど、魔法関連の書物は他の分野と比べ格安で流通しているのさ」

 その理由は簡単で、魔法の才能がある人間が極端に少ないからだそうだ。

 しかも、魔法の才能には遺伝性がない。いきなり農民の子に天才的な魔力を持つ子供が生まれる可能性も高く、とにかく庶民にでも魔法関連の書物が手に入りやすい環境を整え、自分に魔法の才能があるのを知らずに人生を終えるのをなくそうとしているのだそうだ。

 ちなみに、その助成は王国が行っている。

 優秀な魔法使いとは、それだけ国家に利をもたらす存在だからである。

「どんな人間にも微弱な魔力が存在する。でも、その程度の魔力では魔法は使えないんだよ。魔法が使える人間は、千人に一人と言われている」

 しかも、その中の半分は、火種が出せる、一日にコップ一杯程度の水を出せる程度のことしかできないらしい。

「魔物を焼けるファイヤーボールを出せる魔法使いなら、王族や貴族がこぞって高給で雇うだろうね。そんな人は、滅多にいないけど」

 そこまでいくと数千人に一人くらいなので、なかなか見つからないのであろう。

 本からの知識でこの国に住まう人間の数は、約五千万人とわかっているので、計算するとそれなりの魔法が使える人間は、多くて五万人くらいしかいない。

「あとは……」

 魔法使いには、いくつかの傾向があるらしい。

 火の玉、氷の矢、岩のとげ、カマイタチなどの攻撃魔法の使い手。

 攻撃力、防御力、びんしょう性、対魔法防御などをかさげして肉弾戦で戦う者。

 遠く離れた人間に通信を送ったり、会話をしたり、高速で目的地まで移動したりと戦闘系以外で活躍をする者。

 そして最後に、鉱石から高純度の金属を精製し、魔力をめ込む魔晶石を使用した便利な魔道具の作製を得意とする者など。

 後者になればなるほどその人数は少なく、極論すれば稼げる存在になれるらしい。

「魔法ですか。夢が広がりますね」

「まあ、そうだね……」

 俺の発言に、兄エーリッヒは微妙な笑みを浮かべていた。

 まさに夢見る子供そのものだと思われたのだろうが、さすがに中身は二十五歳なのでそこまで夢を見ているわけではない。ただこういう態度を取っていれば、大人たちも俺をほほましく見てくれるであろうという一種の計算がある。

「僕も、ヴェルくらいの頃には毎日魔法の練習をしていたのを思い出すよ」

 昔を思い出すように、エーリッヒ兄さんは話をする。

 ヴェルとは俺の略称というかあだ名のようなものであるらしい。

 ヴェンデリンを、どう縮めるとヴェルになるのかは不明であったが。

「早速、魔法の練習をしてみます」

「頑張れよ」

 素早く食事を終えた俺は急ぎ書斎へと向かうが、それに言葉をかけてきたのはエーリッヒ兄さんだけであった。

 他の家族は剣の訓練や新しい開墾地の話に夢中で、俺に関心など持っていなかったのだ。

 役立たずの子供を最低限食わせてくれているし、過酷な労働を課すわけでもないのでひどい家族ではないのだが、今はただ早く独り立ちしたいと願うのみ。

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