第一話 辺境最南端貧乏貴族家 (2)


    *   *   *


「我がバウマイスター騎士領内は、実はその領域の広さでいえば大公領に匹敵するほど広いんだ」

 朝食後、俺は同腹では一つ上の兄エーリッヒから、自分の実家であるバウマイスター騎士領内の実情について説明を受けていた。

 この現当主アルトゥル・フォン・ベンノ・バウマイスターが治めるバウマイスター騎士領は、主家であるヘルムート王国領内の南端にある。

 現在ヘルムート王国の仮想敵国は、王国のあるリンガイア大陸をほぼ南北で二分しているアーカート神聖帝国だけであった。

 更にこの両国、ヘルムート王国は南方未開拓領域の開拓に、アーカート神聖帝国は北方の未開拓領域の開拓に資金と労力を多く費やしている。

 戦争は不毛で、その分の金があれば開拓に回した方が何倍も利口だからだ。

 二百年ほど前に停戦が結ばれてからは、両国の間で貿易も始まり、今では極一部の強硬派を除いて、戦争などという言葉を口にする者はいなくなってしまったそうだ。

 五歳の子供が急にこんな難しい質問をするとおかしいと思われる心配もあったが、新しい両親も含め、他の兄弟や使用人たちも特に違和感を覚えてはいないようだ。

 というか俺は、この温和で知的な顔をした五男エーリッヒよりも十一歳も年下な、っかす扱いの八男なので、今まであまり注目もされていなかったのであろう。

 味噌っかす扱いなのも、時としては助かることもあるようだ。

「では、すべてを開拓すれば父上は……」

「開拓できたらだけど……。そう……辺境伯は堅いだろうね」

 ただ兄エーリッヒの口調は鈍く、もし開拓できたらということらしい。

 我が新しい故郷バウマイスター騎士領内は、東部と南部が海に面している。

 だが、我々が辛うじて開いている土地と海の間には、広大な未開地と森が広がっていた。

 内外の人間から『魔の森』と呼ばれるこの森には、様々な自然の食材や薬草、一部では鉱物や宝石などを産出する場所があるなど、ばくだいな富が眠っている。

 だが、同時にこの森は魔物の宝庫でもある。

 魔物とは、普通の野生動物が巨大・凶暴化したり、明らかに自然の生態系から逸脱したような生き物のことを指す。当然、発生のメカニズムは明らかにされていない。

 魔物は繁殖力が高く、その強さは最弱のものでも普通の人間では歯が立たない。

 その代わりに、それらを倒すと毛皮や牙、肉などといった高級な素材や食料が手に入る。

 だからこそ、魔物の討伐を専門とする冒険者たちと、彼らを支援・管理する冒険者ギルドが存在するのだが、問題なのはその冒険者ギルドにすら支部設置を断られるほど、このバウマイスター騎士領が辺境にあるということであろう。

「確かに、魔の森は強い冒険者にとっては実入りが大きいのかもしれない。一代で財を成すのも夢ではない。けれど、あのくらいの魔物の巣は、大陸中に何千箇所も存在していてね……中央部でも手付かずの領域があるのだから、辺境の地にはとても手が回らないのさ」

 リンガイア大陸には、このような魔物の住まう領域というのが大小何千箇所も存在しているらしい。

 それは、荒野だったり、平原だったり、川や湖沼だったり、うちのように森だったりと様々だ。

 とにかく一定の領域が魔物のテリトリーとなっていて、そこに侵入する人間や他の動物たちを見つけると容赦なく排除してしまう。だが、逆になぜか自分たちのテリトリーからは一歩も出ようとはしないという。

 先ほど、父アルトゥルが話していたブライヒレーダー辺境伯軍の悲惨な最期は、魔物の縄張り意識を軽視した結果のようであった。

「ブライヒレーダー辺境伯軍の最期に関しては、あれは父上も先代ブライヒレーダー辺境伯も焦りすぎたというのが……。あとは、中央の王宮側の判断もかな?」

 いっかくせんきんを求めて魔物の領域へと侵入する人間と、それを排除しようとする魔物たちとの死闘がある。

 よって、いくら多くの人が冒険者となっても、その分消耗もするので、リンガイア大陸にはいまだ中央部にも手付かずの魔物の住まう領域が多数存在している。

 当然これら領域の開拓など不可能なので、ヘルムート王国もアーカート神聖帝国も魔物の住まう領域を『大陸のあざ』と呼んで悩みの種としていた。

「考えてもみるんだ。いくら辺境とはいえ、たかが騎士爵しか持たない我がバウマイスター騎士領がなぜ広大な領域を有するのかを」

 バウマイスター騎士領の起こりは、王都でくすぶっていた無役の貧乏騎士がスラムなどから数十名の貧民たちを連れ、この地に農村を開いたのが始まりらしい。

「王宮は、まさかこの地に人間が農村を開けるとは思っていなかったようで、ご先祖様が村の設置に成功したと報告を受けるとすぐにバウマイスター騎士領の成立が認められたとされているね。北・西部の領域境を走る山脈のふもとに開いた三つの村に、人口が約八百人。主産業は農業とわずかな狩猟・採集物のみ。あとは、少しだけだが鉄と銅が採れるのが救いかな」

 隣人には、うちに関わって痛い目を見たブライヒレーダー辺境伯領が西部に、北部にはうちと同じような弱小領主連合の領地が固まっているそうだ。

 ただ、北・西部には飛竜が群れを作って生息する山脈が走り、他にも魔物が多数生息するので、彼らとの交流は数ヵ月に一度訪れる商隊との交易のみであった。

「辛うじて護衛付きなら通れる細い山道が存在するらしい。ただその分、外部からの輸入品は高く付いてしまうんだ」

 更に、こんなへんな村まで、しかも飛竜まで襲ってくる可能性がある商隊の護衛任務は冒険者に人気がないそうだ。

 当然報酬は弾まないといけないのでその分商品の値段に乗っかるかたちとなる。おまけに父アルトゥルは領主の権利とも言える関税すら掛けられない状態にあるらしい。

「関税なんて掛けたら、ここに来る商隊なんてゼロだろうからね」

 兄エーリッヒは苦笑しながら説明を続けてくれたが、要するに四方を魔物の住まう領域に囲まれ、その地も含めて膨大な未開地が領地として王国から認められているものの、まず開拓など不可能な状態にある田舎の弱小領。

 これが、俺の新しい家であるバウマイスター騎士領の現実のようであった。


「じゃあ、僕はこれから剣のけいがあるから」

「ありがとう、エーリッヒ兄さん」

「なあに、わいい弟のためさ」

 エーリッヒは俺に一通りバウマイスター家についての説明をし終えると、剣の稽古があると言って屋敷を出ていってしまう。

 エーリッヒ兄さんはあまり剣が得意ではないようで、下級とはいえ貴族のたしなみとして早く剣を覚えようと自主的に訓練を重ねているとのことだ。

 とはいえ、外敵がいないため、領内そのものにすごうでの剣士や戦士がいない。

 こんな魔物に四方を囲まれた領地なのでみんなリアル・○ンハン状態なのかと思いきや、実はそうでもないようだ。

 それは、魔物が絶対に自分のテリトリーから出てこないからである。

 隣に魔物の住まう領域があるが、領域に踏み込まなければ魔物の脅威にはさらされない。

 更に、言っては悪いがこのバウマイスター騎士領は貧しい農村であり、当主である父アルトゥルや跡取りである長男クルトを除けば、全員が何かしらの仕事を割り当てられているのだ。

 さすがに自ら畑を耕すことはなかったが、いまだ手付かずの魔物が住まない平原の開拓を行い、普通の野生動物しか住まない森などで肉を得るために狩りを行い、川で魚などをり、空いた時間に剣や弓矢などの武芸や、乗馬などの稽古を行う。

 どこの地方下級貴族家も、実情は似たようなものらしい。

「あれ? 貴族としての礼儀作法や、字の読み書きや計算などは習わないのですか?」

「私たちのような辺境の下級貴族が、礼儀など習ってどうするのです? 叙任以外で、王都に用事などないのに」

 意外と稽古の内容が少ないので、貴族の奥方なのに縄作りに精を出している母に聞いてみたのだが、彼女はいぶかしげな表情をしながらそう答えた。

 要するに、このバウマイスター騎士領では、当主が代替わり叙勲で王都に行く時以外、貴族としての礼儀作法など特に必要はないということらしい。

 それにその叙勲も、代々バウマイスター家に伝わるよろいを着て謁見の間へと行き、

『我、ヘルムート王国国王ヘルムート○○世は、なんじ、○○に第七位騎士爵を授けることとする』

『我が剣は、陛下のため、王国のため、民のために振るわれる』

 という一連のやり取りだけで終わってしまうらしい。

 王国には騎士が沢山いるので、忙しい王様が長時間相手などしないのであろう。

 俺の新しい母は、器用に縄をいながらそう説明してくれた。

 確かに、一生に一回、このやり取りだけならば礼儀作法も必要ないであろう。

 高級貴族や、中央で官職に就く法衣貴族は別としてだ。

「それで、文字の読み書きや計算なのですが……」

 これも、あまり必要性がないらしい。貴族なのにと思ってしまう俺であったが、そういえば中世ヨーロッパでも、文字が書けない貴族というのはかなり存在していたそうだ。

 自分の名前くらいはサインできたが、領地の税の計算などを村長や名主連中に任せきりにしていたので、全く必要性を感じなかったと何かの本で読んだ記憶があった。中央の王宮にいる貴族がそれでは駄目だが、治安維持や戦争での活躍に重きを置く地方貴族にとっては、さして問題にもならないらしい。

 どうせ普段は自分の領地にこもっているので、そのスキルを披露する機会もないのだから。

 礼儀作法も、中世欧州でも肉をづかみで食べるような貴族もいたようであったし。

 話を戻すが、うちも全員名前くらいは書けるようだが、そこから先は人によってまちまちらしい。

「そういえば、ヴェンデリンは簡単な文章を読み書きできたわよね?」

 俺が乗り移る前のヴェンデリンは、労働力として数えられていなかったせいか一人書斎に篭って大人しく本を読んでいるような子供であったらしい。

 味噌っかす八男の一番の仕事は、仕事をしている家族の邪魔にならないことであった。

「はい、少しですけど」

「もっと頑張らないと」

 母にせっつかれてしまう。今後のことを思えば当然であろうか。

「書斎で本を読んできます」

「そうね」


 母との話を終えた俺は、急いで書斎へと向かった。

 みんなそれぞれに忙しく、しかも俺は恥かきっ子で味噌っかすでもある。

 兄たちとは年齢も離れていて、特に長男・次男とはまるで会話すら存在しないのだ。

 これは別に俺を嫌っているということではなく、あまりに年齢が離れすぎているので接点がないというのが正解なのであろう。

 書斎へと行く途中に顔を合わせたが、特に会話などはなかった。

「へえ、意外と蔵書の数が多いな」

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