【書籍試し読み増量版】転生少女はまず一歩からはじめたい 1 ~魔物がいるとか聞いてない!~

カヤ/MFブックス

プロローグ 女神の部屋 (1)

 いちくらさらは疲れていた。

 残業続きの金曜日、やっと明日は休めるという日だ。

 もっとも、今まで疲れていなかったことなどない。更紗は体が弱いわけでもないのに、幼い頃からいつも疲れていた。

「いまさら、か」

 幼稚園はともかく、小学校に上がると、元気がある子はもちろん、熱があるとか、せきが出るとかそんな病気の子を逆にうらやましく思ったものだ。更紗にあるのは、絶え間ないだるさと頭痛で、普通の子どもには縁のないものだったから、理解してもらうのは大変だった。

 なにしろ、まるで一日に使える体力が決まっているかのようなのだ。無理をしなければ大丈夫なのだが、少しでも活動量が多くなるとだるくなってしまう。

 症状もあいまいで、どの病院に行っても原因が見当たらない、そんな更紗を学校も親も持て余し気味であったし、何より更紗自身が持て余していた。

 動けないほどではないから休めない。休めないとだるくなる。だるさが極まると動けなくなる。

 しまいには母親は、

「そういう体質なのよ。そういう体質」

 ときっぱり言い切った。

「今は学校だから大変だけれど、大人になったら有給休暇というものがあるの。週五日だけ働いて、大きいお休みまで入れたら、だいたい週四日だけ働けばいいのよ。弱くたっていいじゃない」

 更紗にそう将来のことを語ってくれた。週四日働いて、三日休んでよい。それなら更紗にもなんとかできそうな気がした。

「仕事を選べば、学校でいう部活動、つまり残業だってないし、宿題だってないのよ。生きていく分だけお金を稼げれば、ちゃんとやっていけるから」

 学校で疲れ果てていた更紗にはそれは希望であったし、社会人になっても、なんとかその言葉どおり毎年有給を使い切りながら、数年はちゃんと働いていくことができた。

 限られた自分の体力を効率よく使う方法を覚え、趣味の手芸や細かい手仕事もできていたし、社会人になってから数年が一番人生で楽しかったかもしれない。

 しかし、最近の人手不足で、この半年ほどで一気に残業が増え、かなりきつくなってきたことは確かだ。

「だるくないってどんな感じなんだろうなあ」

 やっと帰ってきた自分の部屋で、沈み込むように眠りについた更紗の頭に最後に思い浮かんだことがそれだった。


 更紗が次に目を開けたときには、なぜか白い部屋にいた。

「あなたは異世界に転生することになりました」

 そして目の前に立つ、白いドレスを着てキラキラ輝く女神のような人がそう言った。

 夢だな。

 寝転がっていたまま目を開けた更紗は、そのまま目を閉じた。

 目を閉じて見えないはずのところで、なぜか慌てた気配がした。

「いえ、待って。ねえ、そこは『転生特典は何ですか』って聞くところよね」

「てんせいとくてんはなんですか」

「棒読み? せめて目は開けようか。ねえ、もっとこう、夢や希望を持って?」

「あー、はい」

 夢や希望を、ましてや疑問を持つには更紗は疲れすぎていた。

 女神がため息をついて、更紗のそばにしゃがみこむ気配がした。

「ふざけている場合じゃなかったわね。最近はみんな喜んで転生していくものだから、そうじゃない人がいるってことを忘れてたわ」

 そう言ってそっと肩をたたいてくれた。

「時々ね、生まれる世界を間違える人がいるの。私はそういう人を、正しい世界に導くのが仕事なのよ。といっても、主に地球から私の世界へと移動させるだけなんだけれどね」

「生まれる世界を、間違える?」

 とんでもないことを聞いたような気がする。

「そう。例えばあなたは、魔力を必要とする体なのに魔力の薄い地球に生まれてしまったの。だからいつも魔力不足でだるかったでしょう」

 更紗は今度はしっかり目を開けた。だるさには理由があったの?

「ほら。今はどう? ここには魔力があるから、だるくはないはずよ」

 更紗は起き上がってみた。頭痛もない。疲れていたはずなのに、いつになく体力も気力もあふれているような気がして、今すぐにでも動けそうだ。

「このまま地球に戻っても、短い命よ。私の世界に移って、元気に暮らしてみない?」

「でも」

「私の世界はね、地球と違って魔力があふれていて、逆に困っているくらいなの。だからあなたのように大量の魔力を吸収できる人が必要なのよ。あなただけじゃないわ。何人も地球から移動しているし、ただそこにいてくれるだけでいいの。空気清浄機みたいなものよ」

 そんなこと言われても、地球に残していく家族や知り合いはどうするのだ。それに知らないところでどうやって暮らしていけばいい。

 更紗は大変現実的な性格だった。

「生活はどうしたらいいんですか」

「基本的には地球と変わらないのよ。あなたを最も必要とする人のそばに送るから。きっと大切にしてもらえるわ。地球に残した家族にはうまく説明しておくから」

 女神の言っていることにはまったく具体性がなかった。それに、そんなことはすぐに決断できることではない。

「迷っている時間はないの。さ、それではトリルガイアへ送るわね。そうそう、体をトリルガイアに合わせるために、一〇歳くらいにしておくわ」

「え、待って!」

「いってらっしゃい」

 いってらっしゃい、じゃないでしょと叫ぶ間もなく更紗の意識は闇に沈んだ。


 次に更紗の目が覚めたのは、ひんやりした風がほおに当たったからだ。

「ん、窓が開いてる? え」

 しかし目を開けると、目の前にあったのはどこまでも広がる草原だった。

「私、座ってる」

 そして木で作られた階段のようなところに腰かけている。慌てて振り向くと、山小屋のような建物のドアが見えた。

 つまり更紗は、どこかの山小屋の入り口の階段に座っている状態で転生させられたらしい。

「せめてベッドに寝ているとかさ、知らない天井とかさ、そのくらいの夢があってもいいんじゃないかと思うんだ」

 更紗はぶつぶつ言ったが、誰も聞いてやしないのだった。

 手元を見ると、女神の言ったとおり、小学生の頃のように一回り小さくなっている。

 服装は動きやすそうな少年のものだ。顔の横からサラリと落ちている髪は黒色で、大人だったときと同じようにあごの下くらいで切りそろえられている。

 立ち上がってみても、めまいはしない。だるさもない。今からでも全力疾走できそうだ。

 周りを見渡してみると、小屋は高い山の中腹に建てられているようで、家の前の道は緩やかな下り坂になっており、はるか遠くに小さく町のような影が見えた。

「ハイジの山小屋みたい」

 視線を手前に動かせば、何かの動物の群れが道を横切っている。

「鹿かな。大きい角があるような気がする」

 そして空を見上げれば、大きな翼を広げて何羽か鳥が舞っていた。

わし、か、たかかなあ。初めて見た。ずいぶん自然が豊かなところに落とされたなあ」

 更紗は自然が好きなのでわくわくした。しかし、飛んでいる鳥をよく見ると、なんとなく翼が小さいような気がして、ちょっと首をかしげてしまう。

「キエー」

「キエー? 変な鳴き声。さすが異世界の鷹。え」

 大きな鳥は翼をたたんだかと思うと、急降下した。向かう先はさっきの動物の群れだ。

「ええ? さすがに鹿は大きすぎるでしょ!」

 しかし鳥はどんどん大きくなり、逃げ始めた鹿を足のかぎづめでがっしり捕まえた。そしてそのまま飛び上がろうとした瞬間、何かがきらりと光った。まるで鏡が日の光を反射したかのように。

「ギエー」

「な、何?」

 その声とともに、大きな鳥は鹿ごと地面に倒れた。

 いつの間にかそのそばに一人の人が歩み寄り、しゃがみこんで鳥と鹿の生死を確認しているようだ。鮮やかな赤い髪を後ろで一つにまとめ、遠目からでも豊かな体つきのその人は。

「女の人、だ」

 その人が手を伸ばすと、鳥と鹿はふっと消え去った。

「ど、どこに消えた?」

 疑問も解決しないうちに、その女性はすたすたと山小屋に歩いてきた。剣を腰に差している他は軽装の、美しい人だ。そしてその女性の後ろには何かが見え隠れしていた。

「危ない!」

 見え隠れしていた生き物は鹿ではない。たてがみのある大きな犬の群れだ。更紗の声に刺激されたかのようにその女性に飛びかかった犬は、しかし次の瞬間にはくうを飛んでいた。

「キャウン」

 と情けない声をあげながら。

「殴った? あんな大きな犬を?」

 剣に触れもしない。女性が軽くこぶしを振るっただけで、犬は飛んでいった。

 残りの犬がひるんでいる間に、その女性は山小屋までやってきた。どうやらこの山小屋のあるじらしい。更紗は階段から下りて、挨拶しようとした。

「あの、初めまして。私。え、ちょっと」

 しかしその女性はちらりと更紗を視界に収めると、そのままふいと視線をそらし、やや更紗を避けるように大回りをして階段を上っていった。きれいな緑の瞳が見えた。

 バタン。

 そしてそのまま小屋に入ってしまった。

「無視? え? 私、一番必要としてくれる人のもとに落とされたんじゃなかったの?」

「ウウー」

 ぼうぜんとドアを眺めていると、背後から不穏な声が聞こえた。

 そういえば確か、さっきあの女の人が犬を殴っていたなあと更紗は思い出した。

 そしてその犬は?

 飛んでいったが、倒されたわけではない。

「しかも、群れだったよね……」

「ウウー」

「わ、わああ」

 更紗は後ろを振り返らずに階段を駆け上がり、ドアをバンバン叩いた。

「開けて! 犬が! 後ろに! わあ!」

「ガウ」

「ぎゃああ」

 だめだ。いてくれるだけでいいとか言っておいて、転生初日にもう死んでしまうなんて。更紗はしゃがみこむと目をつぶって手を組んだ。

「短い人生でした」

 せめて反撃を?

 無理。

 何かを叩いたことなんて、せいぜい枕くらいしかないのに。

「おい」

「せめて痛みがありませんように」

「おい!」

 更紗は目を開けた。

 目の前ではドアが開いており、さっきの女の人が困ったような顔で立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る