【書籍試し読み増量版】治癒魔法の間違った使い方 ~戦場を駆ける回復要員~ 1/くろかた

くろかた/MFブックス

プロローグ

救命団ノ掟

~戦場での心構え~


一、救命団は人命の救助が最優先と心得るべし

一、味方のみならず己の命も護るべし

一、自己犠牲精神の勘違い野郎は殴ってでも退かせるべし




プロローグ



 ひどい雨の日だった。

 空から落ちてくる雨粒が地面を打ち、周りに絶えず音を鳴り散らかす。けたたましいほどに鼓膜を打つ音を煩わしく思いながら、人であふれかえった昇降口をぼんやりと見つめる。

 午後になり急に降りだした雨。天気予報を見忘れた僕が都合よく折り畳み傘なんて持っているはずもなく、今日のような急な雨の時に備えて昇降口に置いておいた傘を取ろうと、傘立てまで歩み寄る。

「傘がない」

 そこにあるはずの傘がない。

 多分、誰かが持っていってしまったのだろう。朝までそこにあった、目立つ黒色の傘が跡形もなく消えている。

「ついてない……」

 ここは怒るべきなのかもしれないが、そんな気持ちが少しもわいてこず、ただただ振り続ける雨を昇降口の屋根の下からゆっくりと見上げる。

 湿気のせいか、はたまた暗くなる感じがそう思わせているかは僕自身にも分からないけど、雨の日は決まって自分を見つめ直したいような心情になる。

「明日も学校か……休みになればいいなぁ」

 ぽつりとそんなことを愚痴る。

 学校に通う自分。

 それなりに友達もいるし、成績も極端には悪くないし、運動も苦手じゃない。

 自分の長所と短所を挙げろと言われてもすぐに思いつかないし、これといった趣味もない。

 さとけん、ウサトという変わった名字から一転して、ケンという地味な名前も僕という存在を表しているといってもいいだろう。

 自他ともに認める普通──それが僕。

 普通に甘んじている僕だけど、自分の現状に満足しているかと言われればそうでもない。毎日の生活に何不自由ないというならば何が不満なんだと疑問に思われるかもしれないけれど、僕が満足していないのはもっと根本的なところ──。


 僕は現実とはかけ離れた『非現実』に憧れている。


 自身を取り巻く日常が劇的な変化を遂げればいいと。

 何でもいいから月並みなことから離れて、たまには普通の人とは違うこともしてみたかった。

 ウサトって地味だけどいい奴だな、なんて言われて苦笑いしか返せない自分とはおさらばしたかった。

「……はぁ」

 でもそれは難しい話だということは分かっている。

 現実はどこまでも現実で、どうあっても虚構やファンタジーにはなり得ない。

 人は漫画やアニメみたいにそう簡単には変わらない。劇的な切っ掛けがなければずっとそのままなのだ。僕はいつまでも普通のままで、一生死ぬまでこのままの人生を送っていかなくてはならない。僕が頭の中で描いている理想は、絶対に現実と交わることはない。

 たとえそれを嘆いていても、現実は変わったりしない。

 僕は普通だから、だからそれであきれるほどに諦めてしまっている。

「……何考えてるんだろ」

 今さらながら結構恥ずかしいことを考えているな、僕は。

 すっかりひとの薄れてしまった昇降口の壁に背を預け息を吐く。そこに激しい雨音と僕の呼吸音だけが響く。

「しばらくここで雨宿りするか」

 誰に言うでもなくそんな独り言をつぶやきながら、雨を見る。

 無理をして帰りたいほど、急いではいないしね。


「……やまねぇッ!?」

 そのまま一時間過ぎても一向に雨がやむ気配はない。

 時刻は五時半を過ぎたあたり、部活動に励んでいる人達は片づけを始めている時間帯だ。

 かくいう僕も、このままでは暗い中ずぶれになって帰らなくちゃならない。

 いっそのこと、傘立てに残っている誰かしらの傘を拝借してしまおうか……いや、なんか申し訳ないし後々面倒くさいことになるのは嫌だからやめておこう。

 こういう時も小心な自分に嫌気がさしながらも、もうしばらく待つことにした。

「さすがにこれ以上暗くなるのは……ん?」

 僕以外に人のいない昇降口に一組の男女が現れる。

 その二人を一言で言い表すならば、美男美女というのが相応ふさわしい。

 男のほうはクラスメートのりゅうせんかず。一樹と書いてカズキと読むカッコイイ名前を持つ男。高身長で顔もカッコイイという非の打ちどころがない、ギャルゲーも真っ青な主人公気質の男。そのルックスと性格で我が校の女子をとりこにしているイケメン。

 しかも生徒会の副会長でもある。どこから見ても設定盛り込みすぎの完璧超人だ。

 正直、爆発すればいいと常々思っています。

 やべ、こっち見た。

「……おや」

「どうしましたいぬかみ先輩」

「彼は……」

 こちらに気付いたのは女子の方。犬上すずである。

 彼女は三年生の先輩で生徒会長、黒髪で整った顔がしい美少女だ。

 頭脳めいせき、運動神経抜群、それに美人もついた二次元も真っ青の才色兼備な彼女は、学校中の男子生徒達の憧れの存在である。一部の特殊こうの女子生徒達にも人気。僕からすればたかの花、というべき存在だろう。

 うわさでは、龍泉と付き合っているとかいないとか。

 そんな彼女が、箱の前で途方に暮れている僕を見ると龍泉と共に近づいてくる。

「君は傘がないのかな?」

「えっ、まぁ……はい」

「なるほど、だから雨がやむまでここで待っていたのか……しかしもうすぐ完全下校時刻になることだし……」

 もうそんな時間になっていたのか。僕は携帯を開いて時間を確認しながら、外を眺める。

 親に迎えに来てもらうという考えも頭の中にはあったが、共働きなのでどちらにも頼れない。

 犬上先輩にそのことを言うと、彼女は腕を組み悩むような仕草をする。

「……ずぶ濡れのまま帰らせるのは生徒会のけんに関わる」

「なら先輩、俺の傘を兎里君に貸しますよ?」

 折り畳み傘を持っているから、とフレンドリーなノリでこちらに傘を手渡す龍泉。

 なるほど、この人柄の良さが女子生徒に人気なのか。

 同じクラスになって初めて話したけど、何というかすがすがしい奴だなと思った。なにげに僕の名前を覚えてくれていたところにも少し感動した。

「ありがとう、龍泉君」

「おいおい、同じクラスなんだから君付けなんてむずがゆいぜ。気軽にカズキって呼んでくれよ。俺も……えーと、兎里? いや……ケン?」

「ウサトでいいよ」

 ケンとかたくさん学校にいるしね。

 僕自身、兎里って名字は結構気に入っているから、呼ばれるならケンよりもウサトの方が好きだ。

 でもまさか学校一のイケメンに友達として名前を呼ばれる日がこようとは、明日はファンの女子達の注目(殺気)を集めちゃうな。

「それじゃあ私もウサト君と呼ばせてもらってもいいかな?」

「え……か、構わないですよ?」

 明日は男子の嫉妬の視線の心配もしなければならないなッ。

 でも学校一の美人さんに名前を呼ばれるなんて、もう死んでもいいです。

 いやー、今日はなんかついていない日だと思っていたけど、逆だった。学校の人気者と友達になれるなんてね。滅多にないことだ。

 雨最高、もっと降ってくれてもいい。

 雨に対してのてのひら返しが忙しい僕であった。

「じゃ、早く帰ろうぜ?」

 仲良くなれたのがよほどうれしいのか、カズキはややテンションを上げて僕も一緒に帰るように誘った。

 この男、そっち方面の人かと心臓をわしづかみされる気分になったが、単に男友達が増えて嬉しいだけだったらしい。

 疑ってしまった自分に軽く自己嫌悪しつつ、内心謝る。

 犬上先輩も特に反対しなかったので、僕も同伴させてもらうことにした。


「ウサト君は、今後の進路とか考えてはいるかな?」

 不意に犬上先輩から投げかけられた質問に曖昧に答える。

「いえ、まだ二年生なので」

「先輩、俺にもその質問しましたよね?」

「ふふっ、私にはないからな。他の人のそういうものが気になるのさ」

 雨音と水をはじきながら歩く音が周囲に響く。その音を聞いて「なんか平和だ……」とそんなことを思う。

 二人と話していると、不思議と心が穏やかになってくる。実はこの二人、マイナスイオンでも放出しているんじゃないのか? 僕がいつも話す友人共の時とは明らかに空気が違う。あいつらの時は暑苦しい空間だが、二人の場合は爽やか空間といってもいいだろう。

 のほーんとした気分のまま、犬上先輩に気になったことを質問してみる。

「犬上先輩は……進路とか決めてないんですか? 三年生なのに」

「決めてないよ」

「それって結構まずくないですか?」

 しつけだけど、僕の素直な感想を言ってみた。犬上先輩は三年生、そろそろ進路を決めなくてはいけないはずなのに。

 僕の反応に先輩は苦笑いする。

 なんだか自虐的な笑みだ。生徒会長として全校生徒の前でりんとしている犬上先輩には似合わない。

「そうなんだけどね。私にはやりたいことが見つからないんだ……これといって目標を決めてもすぐに達成してしまう。なんだかね、ここは私のいる場所じゃない、そう考えてしまうときがあるんだよ」

「すごい先輩だよな」

「確かに……」

 彼女は運動も勉強も何でもできるイメージがある。

 僕とは真逆のことで悩んでいるんだな。ベクトルは違うけど似たものがあるのかもしれない。

「あ……今のは、嫌味とかそんなんじゃないよ?」

 分かってますよ、とカズキと顔を見合わせ笑う。

 頬を朱に染めた犬上先輩は、怒ったようにそっぽを向いてしまった。

「そういえば、カズキと犬上先輩は付き合っているんですか?」

「は? なんだそれ? 俺が先輩と……? そんなわけないじゃないか」

「そうだぞ。周囲には誤解されがちだが、生徒会という仕事上一緒にいることが多いだけだ」

 なん……だと?

 きょうがくの事実。僕も付き合ってると思ってたのに。

うそでしょ?」

「なんでここでそんな嘘つくんだよ。俺と先輩はそんな関係じゃないよ」

 信じられないとばかりの表情を浮かべた僕に苦笑いするカズキ。

 噂は完全なデマだったのか。

 でも分かったのは、カズキは僕が思っていたよりずっとフレンドリーだったということだ。思えばクラスで女子と話していても、困ったように苦笑いしているようにも見えた。

 リア充この野郎、と友達と共に妬みの視線を送っていたけど、少し認識を改めなくちゃな。

 少しとっつきにくい人だと思っていた、と彼に言うと、苦笑いしながら「ウサトには言われたくないよ」と言われた。なぜに……。

 確かに僕は普段決まった友人としか話さないから、そう思われても仕方ないといえばそうなるけど、とっつきにくいのはなんだか納得いかないなぁ。

 そのまま何気ない話題で会話を広げながら歩を進めていくと、不意に犬上先輩とカズキの足が止まる。

「……何だ?」

「ん?」

 不思議に思って背後を見ると二人とも耳を澄ますように、耳に手を添えている。

「え、どうしたの?」

「……ウサト、今何か聞こえなかったか? ごぉーんって」

「僕には何も……」

「私にも聞こえた。これは……鐘の音?」

 鐘の音と犬上先輩は言うが、この近くには鐘を鳴らすような建物なんてない。

 僕だけ聞こえないことに軽い疎外感を感じる。

「大丈夫ですか?」

 気になり、立ち止まった二人の近くに歩み寄る。

 二人に近づいたその瞬間、僕達の足元──コンクリートの地面に、幾何学的な文様が急に浮かび上がった。


 突如、足元に現れた文様。

 ややゲーム脳の僕の灰色の脳細胞は、光の速さでその文様を言葉に表した。

「魔法、陣?」

 科学が支配するこの世界で魔法陣とはいかなることか。

 パニックになりすぎて逆に冷静になった頭で現状を見る。

 地面に魔法陣、それが脈打つように輝いている。

 これは、異世界への道が開かれるのではないか?

 平凡な世界からの脱却を──。

 非日常への転換を──。

 今までの僕とは違う道を──。

 胸躍る冒険の始まりを──。

 ぐるぐると頭の中を巡る思考に混乱しながらも、隣にいたカズキに大きな声で言葉を投げかける。

「カズキ、イセ……異世界ってどう思う!?」

「えっ、いきなり何を言ってんだよウサト!? それより何だよこれ! 何かの撮影!?」

 しまった、カズキには僕の言語はまだ早すぎた。

 楽観的な僕とは違い本気で混乱している彼を見て、事態の危険さをようやく理解する。

「ウサト君! 異世界には魔法とかモンスターとか……ゆっ、勇者とかいるのだろうか?」

「なんだか犬上先輩とすごく仲良くなれる気がしました」

 予想外、犬上先輩こっち側の人だ。

 ラノベとかを読んでいる人だ。

 しかもかなり俗っぽいぞ!!

 やけに冷静な笑顔でそう言い放った先輩の言葉で、また我に返ってしまった。


 そうこうしているうちに、魔法陣が目がくらむくらいに輝く。

 そのまぶしさに思わず目をつぶった僕は、突然襲ってくる吐き気と浮遊感と共に意識を失った。

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