二話 転生薬学者と異世界 (2)

「ファルマ様は水の神術の使い手でした。まさか神術を忘れましたか?」

 あんなにお得意でしたのに! と、彼女の顔がみるみる青ざめてゆく。

「もし、このまま使えなければ俺はどうなる?」

「考えたくもありませんが……」

 神術とやらが使えることが貴族階級の証で、神術を使えなければ貴族として認められず、屋敷を追われ平民として放逐されるそうだ。

「私、内緒にしておきます! 何も知りませんっ! お菓子をいただいたご恩もありますし! ああっ、これは大恩です!」

 ロッテは両手を振って、何も知らないと目を瞑る。何をしていても彼女には愛嬌がある。

「そんなに恩にきなくても。どうするかな。少し一人にしてくれない? 思い出してみるよ、神術ってやつ」

 思い出すために一人にしてほしいというよりは、状況を整理するために一人にさせてほしかった。

「そうですね。ゆっくり静養くださいませ。……そういえば、水の生成は心に水の姿を思い浮かべることによって発動し、その手に湧くってファルマ様がご自身で仰ってました。何か参考になりますか?」

 と貴重な情報を言い残し、洗濯物や言いつけの買い物を済ませてくるからと彼女は部屋を立ち去った。


 ◆


「はー、困ったことになったな」

 神術が使えないと周囲にバレようものなら、屋敷を追い出され、食いっぱぐれ野たれ死ぬのだろうか。もし、屋敷を追い出されるようなことでもあれば、路頭に迷う前に職で身を立てなければならない。この世界で、何ができるのだろう。有事の際には戦争にでも行かないといけないのか、そう思うとファルマは気が重い。

 というわけで、彼はダメもとで神術の回復に取り組むことにした。

「水……!」

 彼はお椀型にした両手に意識を集中し、水を脳裏にイメージする。

 水。日本の薬学者であった彼の、水分子への理解は深い。化合物の性状から、分子の状態などすみずみまで理解している。しかし今、その知識が何になるだろう。

(だめか?)

 水を造ろうとして、随分と時間が経ったような気がする。すると、血流によって熱を持ったのだろうか、腕の痣に異変が起き始めた。気づけば痣は青白く力強い、ネオンのような強烈な光を放っていた。

(何だ、この発光は)

 緊張と驚きで、ファルマの両手に汗が滲み出てくる。汗にしては大量だ。

「汗……違う、水、水だ!?」

 湧き出す水は止まらない。彼の体内からというより、異次元の力を呼び込んでいるような感覚だ。部屋を水浸しにしてはならないと、彼は慌てて窓の外に走り手を外へ突き出した。気が抜けたと同時に、噴水のように大量の水が噴き出す。

「やめ、やめ、ストップ! 止まれ!」

 止め方が分からない。とにかく水のイメージを脳裏から完全に引き剥がすと、ようやくのことで生成は終わった。

「ふう……何とかなった」

 ファルマはほっと救われたような気がして、大きな大きな溜息をつく。


「ファルマ様ー!」

 外からソプラノの瑞々しい声が聞こえてきた。窓の下を覗き込むとロッテがハーブ畑の中から見上げて手を振っていた。こちらを見上げ、こぼれるような、幼さと無垢を体現した笑顔で手を振っていた。

「そのお水、もしかして! 思い出せたんですね」

「ごめん、濡れた?」

「濡れましたっ! 涼しくていーい気持ちです! 着替えてすぐそちらに参ります!」

 雨が降ってきたので、お庭のハーブの水やり助かりました! とロッテは破顔する。ずぶ濡れになったにもかかわらず、彼女はファルマの快復を喜んだ。いい子だな、とファルマは思う。

「よかった。しかし……何だ、この世界は」

 一息つくと、ファルマは段々と怖くなってきた。自分の身に起こったことの荒唐無稽さに、驚きを通り越して恐怖を覚え、鳥肌が立つ。

「だって、手から水が出るんだぞ? おかしいだろう! 人として」

(空気中の水蒸気を集める能力がある? でも手から湧いたし……体液って量でもない)

 などと考えても、辻褄が合わない。

「どんな原理でこうなっているんだ、異世界人って」

 窓から顔をひっこめて、やはりここは異なる物理法則の働く異世界なのかもしれない、とファルマはまざまざと思い知る。

「それにしてもこの能力って、水だけなのか?」

 じっと、自分のものとは思えない小さな両手を見る。

 集中して水の構造式を思い浮かべただけで、水が生成できるだなんて。それが水でなくてはならない、ということもないような気がした。

「イメージで具現化できるなら、ほかの化合物も造れるんじゃないか?」

 ベッドの脇に置かれた銀のコップが、ふと目に留まった。

「やってみるか」

 毒を盛られたときにすぐ変色して危険を知らせるよう、地球では高貴な身分の人間は銀の食器を使ったものだ。

 彼はコップを取ると、先ほどより流し込む力をよほど手加減して、銀のコップの中にあるイメージを送り込む。すると、化合物を受けたコップはたちまち黒く変色を始めた。銀と反応する、硫化物の生成の証だ。

「……できてるよな。何なんだよこれ。あ、どうしよう黒くなった」

 大事な食器を汚してはロッテに迷惑をかける。場合によっては彼女が毒を盛ったという嫌疑もかかるだろう。

「消えろ、消えろ! 〝硫化物〟消えろ!」

 無意識につかんだ服の袖で磨きながら、何気なく発した言葉だった。

 すると、コップの中にこびりついていた硫化物は簡単に消え去り、艶やかな銀の光沢が戻る。拭いたから消えたのではない。勝手に黒ずみが消えた。

(消えた!?)

 ファルマはコップを投げ出した。

「物質を、思い通りに出せて、消せる? そんなバカな」

 何度か硫化物を出して消しているうちに、そう結論付けざるを得なかった。

 今度は劇物でなく砂糖を造って舐める。甘かった。

 塩を造って舐めてみた。しょっぱい。

 鉄塊、鉄の味。

 金塊、歯型がつく。

 ほかにも色々と試した。

 手に送り込んだイメージの量だけ、物質ができる。

「マジか……」

 ファルマは目の前で次々と起こる奇蹟に驚愕する。これまで彼の培ってきた常識が追いついていかなかった。とはいえ、化合物の構造が明確にイメージできないもの、つまり複雑すぎるものは、具現化できなかった。

 左手で造り出したものは、右手で消せる。

 左手が創造、右手が消去。

 具現化して出したものでなくても、元素が分かれば消せる。つまり、そこに存在しているものも、単純化合物であれば消せる。地球上にあった元素はそのままの性質を持っているように見える。

「す……、すごいな!」

 原理は分からないながら、物質創造能力と物質消去能力が備わっているのは間違いないようだ。

「これ、神術が使える人間は皆こうなのかな」

 自分だけができるものとも思えなかった。

「日本に持って帰って原理を分析したくなる能力だ」

 もし日本でこの能力が使えたら、さぞかし研究が捗っただろうに。

 あの研究も、この研究も。

 この能力の原理を突き止めて、有用な活用ができるかもしれない。希少金属や合成の難しい化合物もコストを考えずに創造できる。という具合で、仕事のことばかり考えてしまう。

「でも……、帰れないのか」

 彼はひとしきり妄想した後、脱力して両手を眺めた。そして、あることに気づいた。

「ん? なんだこれ?」

 左手首に、研究室で装置の測定が終わった時間のメモが書きつけられていた。「RUN4 3:42」と鏡で映したように逆さ文字で書かれている。逆さまだということを除けば、研究室で最後に残したメモ、そのままの彼の筆跡だった。

(うわ……俺の字だぞこれ)

 ファルマはその数字を見てじんわりと郷愁が込み上げてきた。たった一つだけ、地球とつながっている証拠がそこにあるような気がした。

「でも俺、右手首に書いたよな。俺左利きだし」

 水性ペンで書かれたメモは、少し皮膚を擦るとすぐに滲んで消えた。地球とのつながりが消えるのは、何ともあっけないものだった。

(俺は確かに、地球から来た地球人だったんだよな。でももう、戻ることを諦めるしかないのか……)

 この世界がどこの宇宙にあるのかすら、彼には分からない。そして、そんな場所に来てしまったからには、どれだけ未練があったとしても、もう地球に戻れはしないのだ。

「前世のことは忘れて、この世界に馴染めるよう切り替えよう」

 この世界で新たな人生を生きる、彼はそう心を決めるしかなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る