【書籍試し読み版】用務員さんは勇者じゃありませんので 1

棚花尋平/MFブックス

序章 拉致と強奪の果てに

 ──市立桜ケ丘高等学校の用務員、はせ蔵人くらんどが召喚されたのは、文化祭で出たゴミの処理を校舎裏でしていたときのことだった。

 ちょうどクラスのゴミを運んできた生徒たちとそれを引率していた教師数名と共に……。


 一瞬で、世界が光に覆い尽くされた。

 そう誤解してもおかしくないほどの爆発的なせんこうの直後、高所から飛び降りたときの、内臓が持ち上げられるような不快感に襲われる。しかしまぶたを突き刺すような光も、内臓に感じた不快感も、すぐに消えた。

 ふと感じた人の気配にあんし、蔵人はうっすらと瞼を開いて視線を巡らせる。

 生徒たちがざわざわとし始め、何人かの教師が動揺しながらもそれをなだめていた。奇声や嘆きの声が早くもあがり始めていた。

 ここはどこなんだ──と。

 なぜこんなところに──と。

 帰してくれ──と。


『お聞きなさい、世界のはざに漂う者たちよ』


 脳内に声とおぼしきものが響いた。

 不思議と落ち着く、絶対の母性とでもいうべきなにか。

 それはその場の者たちすべてに届き、奇声や叫び、ざわつきさえも収めさせた。


『残念ながら貴方あなたたちは、召喚されてしまいました』

 不思議と言葉そのものはすっと理解できた。

 理解できたが、その意味がわからない。


『ここではない別の世界で、その世界には存在しない世界間召喚を、才あふれる未熟な者が戯れに行い、奇跡的な偶然で成功させてしまいました』

「ふざけるなっ、私たちを元の世界に返せっ!」

 一年Aクラスの体育教師が怒鳴り声をあげる。

 それを皮切りに生徒たちも次々と声をあげ始めた。


『地球はすでに私の管理下になく、あちらの世界も私の管理するところではありません。ゆえに、私には貴方たちを地球に返すことはできません。今こうしていられるのは、今の貴方たちが誰の管理下にもないからです』

 その言葉に生徒たちは息をのんだ。

 さらに体育教師が何か言おうとしたが、脳内に響く声がそれを遮った。


『これから貴方たちの降り立つ世界は、日本のように平和ではありません。人も、そしてそれ以外も、種として貴方たちよりはるかに強力な力を持っています』

 その優しくも厳しい、まるで幼子をしかる母親のような声に誰もが声を詰まらせる。


『あちらの世界で貴方たちはあまりにも無力なのです。命の精を宿してもおらず、それに耐えうる身体も持たず、それを生かす言葉も知らないのですから』

 だがまるで召喚者たちの不安な様子を察したかのように、声は一転して柔らかなものとなった。


『そんな場所に貴方たちを放り込むのは、あまりにも忍びなく思うのです。ですから貴方たちに最低限の力を授けましょう。まず、言葉と、適応できる身体を──』

 全員が青く光る。


『そして、その身を、仲間を守るちからを──』

 白くボゥとした光をたたえた剣や十字架にも似た何かが、ひとりひとりの前に浮かび上がった。

 全員が警戒することなく自然とそれを手にしていた。


『最後に、強く願いなさい。心の底から、魂が求めるものを。それがもしかしたら、貴方たちの力になるかもしれません。ああ、もう時間がありませんね……』

 声の主は悲しげに、だが何よりも、誰よりもいとおしそうに最後の言葉を告げた。


『それではお行きなさい、我が子たちよ。せめて健やかならんことを願っています』


 その言葉に、誰が何をと問う間もなく、全員の身体が黒く輝きだした。

 どこかに引っ張られるような感覚を全員が感じた。

 その時であった。

 蔵人の手から剣がひったくられる。

 そして、その生徒は走ったままあっという間に黒い光の中に消えていった。

 名前は思い出せなかったが、その背中と雰囲気で蔵人はある一年生だと気づく。

 入学した頃に教師の間でうわさになった、どこかの社長の息子。勝気で、不遜な、素行の悪い生徒。

 皮肉なことに、そんな生徒だからこそ蔵人は覚えていた。でなければ入学して半年しか経っていない生徒の背中を見て、誰なのかわかるはずもない。

 蔵人は怒りを向ける相手を失い、ぼうぜんとするしかなかった。

 どうしていいかわからずに視線を彷徨さまよわせていると、離れたところにいる一年生担当の体育教師と目が合った。しかし体育教師は、失笑とも苦笑とも取れるような表情をして黒い光の中に消えていった。

 他に目の合った生徒や教師も、同じような顔をして消えていく。

 自分だけがちからとやらがない状態で召喚され、見知らぬ危険な土地に放り出されることを考えると、死の足音を聞いた気がした。


 死にたくなかった。

 蔵人は徐々に強くなる黒い光にあらがうように白い空間にとどまり、めまぐるしい速度で考え始める。

 普通の人のように、普通に生きてこられたわけじゃない。

 なんとか三流私大を卒業するも社会とは適合できず、就職に失敗し、バイトや派遣社員待遇で清掃員、警備員、そして用務員をして食いつないできた。

 用務員といっても正社員ではなく契約社員。期限は三年で延長なし。手取り十二万弱である。

 努力が足りないのだと言われれば否定できないし、我慢が足りないのだと言われれば、そのとおりだとも思う。些細な不正に抗議などせず、黙っていればよかったのかもしれない。

 だが、だからといって死にたくはなかった。

 社会の端っこにしがみついてなんとか生きてきたのだ。

 他者に蹴落とされて死を待つことなど許せるわけがない。

 あの生徒が剣を奪わなければこんなことにはならなかったはずだ。

 許せそうになかった。

 いや、許す気などなかった。

 力を、取り戻したい。

 願い、とやらがかなうなら。

 あれは自分のものだ。

 返してくれっ。


(……だが、それができないのなら、もう関わり合いたくない)

 怒りも見せず、愛想笑いで消えていった奴らとも一緒にいたくなかった。

 しょせんは契約社員の用務員である。時給相当の仕事は真面目にしていたのだから、別の世界に行ってまで生徒の面倒を見る気になどなれなかった。ましてやその生徒に奪われたのだからなおさらだった。

(どうせ行くなら雪山か、砂漠か、辺境の一歩手前、わずかに現地の人間がいるそんな場所がいい)

 蔵人は雪国出身で雪への郷愁も、反対に雪が一切ない砂漠への浪漫も、両方持ち合わせていた。

 こんな時だが、いやこんな時だからこそ、見たことのないその世界で、絵を描きたいと思ってしまった。食いにもならない、そんな程度の絵ではあるが、蔵人にとっては重要だった。絵があったからこそ、社会を完全に否定せずにいられた。

 普通に考えれば雪山や砂漠などの過酷な環境を願うなど自殺行為であるが、大事なものを盗まれて、自暴自棄にもえんせい的にもなっていた。嫌な奴らと一緒にいたくない、と短絡的にもなっていた。

 だが、それが今感じられる、自分の最も強い願いだった。

 あとは、しばらく生きていけるだけの食料と水。

 最低限、雨風をしのげる拠点と衣服。雪山や砂漠で屋根もなく裸で生活するわけにもいかない。

 危険だという世界で生きていくための力や道具。

 奪われて何もないのだから、せめてそれくらいは欲しかった。

 切実にそう願った。

 強く、強く、恨みも、憎しみも、嫌悪も、反発心も、すべてを込めて、心の底から願った。

 黒い光が、強くなる。

 奪われた力を取り戻すことと学校関係者との決別、そして雪山や砂漠などのへきでの生活を何度も願いながら、蔵人はついに召喚された。


 ──その日、市立桜ケ丘高等学校、一年生二十五名、二年生二十五名、三年生二十五名、教師三名、用務員一名、計七十九名は、地球から別の世界に召喚された。

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