第一話 おっさん、異世界に転生す (3)

 落ちている魔石を回収し移動を始めてから三時間後、疲れたように歩き続けた聡は川に出る事に成功した。透明度が高い湧き水が川となり、水中を泳ぐ魚すら見える。

「解体かぁ~、どうしたものか。山田さんに手解きを受けただけだからなぁ……」

 空腹感には耐えきれず、川の直ぐ傍で解体を始めようとする。

 ゲーム時の解体ナイフも再現されたようで、幸いにも狩りの経験があり解体は出来るが、一人での作業は初めてである。その上、周囲は野生の世界であり、いつ魔物が襲って来るかが分からない。

 じっとしていたら、また魔物に襲われかねない。

 聡は心を決めていざ解体しようとした時、目の前には驚くべき光景が広がっていた。

「待て……僕は、いつ解体したんでしょうかねぇ!? 全く記憶にないんだが……」

 そう、フォレスト・ラビットがいつの間にか、綺麗な肉に取り分けられていたのである。

 しかも毛皮には血の一滴すらついていない。明らかに異常な事態に困惑した。

「仕方がない。もう一羽を解体……なっ!?」

 フォレスト・ラビットを持ち上げた瞬間、聡の腕は無意識に反応したが如く、美味しそうな肉に解体してしまった。それも恐ろしく正確な速度をもってだ。

 見ていた本人も驚愕するほどである。

「これは、もしかして……職業スキルが関係あるのか?」

 彼のスキルには【狩神】や【解体補正】が存在している。このスキルでは狩猟に対しての補正が大幅に引き上げられるのだ。オンラインゲーム時の職業スキルは、主に【士】もしくは【見習い】、【師】、【鬼】、【帝】、【神】の五段階に分けられ──例えば剣士になるには、スキルの【剣術】を極め【剣師】【剣鬼】と、段階を踏まなくてはならない。職業によって呼び方は異なる事もあるが、概ねこれが基本である。

 そこに個人が所有する身体スキルが加わる事で、技の威力が格段にアップする事になる。

 職業スキルも上位になる事で補正も大幅に変わり、聡の職業スキルは全て【神】。大概のスキルは既にカンストしているので、その実力は達人の域をぶっちぎりで超えてしまうのである。

 正に神業の速度で解体するその精度は、他の追随を許さぬほどに洗練された匠の技であった。

「これはもう、人の領域じゃない……。どこかで隠遁生活の方が良いのでは? 常識的に考えて非常識の塊だしなぁ……」

 相当の場数を踏まねば上がらないスキルが、異常なまでに高い。それだけゲームにのめり込んでいたという事実なのだが、それが現実になると話が変わってくる。

 どこかの国に目を付けられたら、それこそ面倒な事態になるのは確実である。

「厄介事は遠慮したいしなぁ、可能なら結婚も……。こんな化け物じゃあ無理かねぇ? ハァ……」

 未だ独身の聡には、どちらも切実で深刻な問題であった。

 若返るための秘薬も作れるほど素材はあまっているが、今の状況では作る事は叶わない。

 更に言えば、この世界の金がないのが問題であった。

「まぁ、この世界の通貨基準が、日本円と似ているのは救いですが……」

 脳内に後付けされた知識を検索すると、通貨の表示は一ゴルが一円。そこから五ゴル・十ゴル・五十ゴル・百ゴル・五百ゴルと上がっていく。

 全てが金貨だが、その大きさによって価値が違うようである。一千万ゴルともなると最早金の延べ棒であり、錬金術師が必死に金を錬成しているのがこの世界の常識のようだ。

 地球とは異なり、金は比較的安価で手に入りやすい環境だったが、それを知るのは後の事である。


 森が闇に包まれ、世界が夜行性の動物の活動時間に変わり出す頃、焚火の前でウサギ肉を焼きながら一人、物思いに耽るおっさんの姿は正直寂しい。

 それでも、何とか孤独感を紛らわす聡。

「ラノベ知識を参考にすれば、この世界は命の値段も安そうだ。盗賊が出て来たら殺せるのか? ハァ~、頭の痛い問題ばかりだなぁ~。けど、覚悟はしておいた方が良いだろうし……」

 ゲーム内の設定やラノベなどを現実に置き換えて考えれば、この世界も複数の国家が乱立している事になる。その中で、自分がどこの国に所属するかによって扱われ方も異なってくるのだ。

 ある国では魔導士が冷遇され、ある国では亜人種達が差別対象となり、ある国では軍事強化のために強制的に軍属にさせられる。設定ではあるが、現時点で決してあり得ない話じゃなかった。

 ましてや犯罪者相手に躊躇ためらうようではこの先も生きては行けず、時に断固とした決断が要求される事もある。少しでも低いリスクで生きるためには目立たない方が良い。


「まぁ、今考えても仕方がないか……。食事を済ませよう。いつ魔物に襲われるか分からんし」

 そう言いながら焼き上がったウサギ肉を口に運ぶ。

「美味い……けど、白いメシが恋しい」

 広大な深緑地帯の片隅で、おっさんが一人孤独に肉を食らう。

 無言で狩ったウサギ肉を貪る様は、まるで原始時代に戻ったような哀れな姿であった。

 だが彼は食事を続ける。それだけ空腹だったのであった。その後は木の上にロープで自分を括り付け、就寝する事にする。

 地上で寝るよりは安全と判断したのだが、翌朝、尻が痛かったためにこの方法は止める事にした。


 サバイバル生活二日目。

「正直、寝心地は最悪だった。尻が痛い……」

 何か、別の事と勘違いされそうな言い方である。

「今日も狩りをしながらスキルの把握をしていこう。剣の方はどうなのか? 自分の力を使いこなせなければ意味がない。最悪、うっかり人を殺しかねない」

 今持っている武器の類は、威力の面では申し分ない。寧ろ過剰戦力のように思える。

 腰に差した二振りの剣は、見た目は地味だが凶悪な武器である。装備自体は地味なために目立つ事はないが、同時に他者からは侮られそうである。

 何しろ、彼の見た目はいかにも冴えないおっさん魔導士だ。しかし最強装備ではないが、ゲーム内では異常な強さで無双していた。そんな非常識な力を実際に持つ人間がいたとしたら、周囲の人達に恐れられるのは明白だろう。羨望と嫉妬の目で見られるのも遠慮したいが、孤独のまま生きるのも避けたい。寂しい人生は何としてでも防がなければならない。

 ならば極力実力を出さずに相手を圧倒するしかなく、それも無難な立ち位置で手加減してだが、肝心の標準基準が分からない。

「結局は、今の体に慣れるしかないか……。面倒だなぁ……」

 十年近く田舎でスローライフを送っていたために、彼は率先して何かをしようとする事には消極的である。もう、『俺TUEEEEEEEEEEEEE!!』などと浮かれるような歳ではない。

 ごく普通の家庭くらいは持ちたいという細やかな夢のためにも、彼は自分の力を把握するしかなかった。

「どこかに良い相手はいないものか……」

 そんな事を言っていると、彼の警戒領域に何かの生物反応が感じ取れた。

 こうしたアクティブに反応するスキルは実に重宝する。

 ───ガサ……。

 草木がすれる音に耳を傾け、同時に腰の剣を手に携える。

 姿を現したのは豚の頭部を持つ肥満体の魔物。お馴染みのオーク種である。

「【ミート・オーク】……これは食べられた筈。倒しますか……」

 俗に言う食べられる魔物。ミートなだけに、肉として美味しく頂ける魔物なのだ。

 同時にファンタジー界のエロモンスターとしても有名で、それはこの世界でも変わりはない。

 繁殖力が強く、雌のオークが幾らいても足りないほどに性欲が強い。ゲーム内でも大量繁殖をして、大規模戦闘に発展するイベントが頻繁にあった。

 好戦的で雑食性なために、常に討伐され続けている魔物だが、このミート・オークは人型というよりは四足歩行の豚に近い姿である。

 足が短く、両腕が物を持つより地面を走るための前足に近い形をしており、オーク種の先祖と言われると納得出来る姿であった。無論道具も持てるだろうが、三本の指は太く不器用なのは間違いない。

 人型には見えないために、聡は食う事に躊躇いはなかった。

 聡は瞬時に間合いを詰めると、一瞬にして両手の剣でオークを斬り殺した。

「手加減して瞬殺……。コレは何と言うか、僕はどれだけ化け物なんでしょうかねぇ?」

 オークは聡に気付いていた。しかし、それでも反撃が間に合わなかったという事は、聡の攻撃速度が速い事を意味する。まるでどこかの流浪人だ。増々自分の力が分からなくなる。

 手早くオークを解体して移動を開始する。魔物を見つけては返り討ち、そんな行為がしばらく続き得た結論は、『強過ぎて洒落にならない』という事だけが判明した。

「食料は確保出来たが、流石に肉ばかりでは……どうにも」

 三食肉ばかりでは飽きてくる。栄養が偏るので山菜など探してみたが、何故か薬草やたねの類しか見つからない。【ブラッディ・ベラドンナ】など、猛毒以外に使い道がないのだ。

「この毒性が薬効成分に変わるんだが、機材がない以上は宝の持ち腐れだな。魔導錬成という手段も残されてはいるが……製作した魔法薬を収める入れ物がない」

 今のところ、無駄な物が増えていくばかりであった。

「せめて……せめてパンがあればなぁ~。あぁ……白いご飯が恋しい……」

 サバイバル生活二日目にして、聡は早くも音を上げていた。

 元々リーマンから転職した農家で、多少の不便さは我慢出来るのだが、こんな陸の孤島のような場所での流浪のサバイバルは正直キツイ。現代人に原始的生活は無理だろう。

 歩けば出て来るのは原住民ではなく、自分を餌と思って襲い掛かって来る凶悪生物ばかりなのだ。死んでしまえば楽になれるのではと本気で考えてしまうくらい、高い頻度で接触する。

 素材は増える、食事事情は変わらない。そんな殺伐とした状況に嫌気が差していた。

「何故、山菜などの野草が見つからない。肉ばかりでは栄養が偏るじゃないか……」

 スキルの【植物探査】が役に立たず、愚痴ばかりが口から出る。

「神なんて信じられない……。奴等は敵だぁあああああああああっ!!」

 ───GYUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!

 神を侮辱した罪か罰か、ソレは空から飛来した。

 緑色の鱗に覆われた、長い首を持つ空の魔物。二本の足に鋭い爪を持ち、口の中には鋭利な牙が生え揃っている。

「ワ、ワイヴァーン!?」

 ワイヴァーンは聡を執拗に追い駆け、彼を腹に収めようと幾度も一撃離脱を繰り返す。

 流石に空からの魔物が相手では、慣れない体で対処するには無理があり、何度も攻撃を避けながら逃げ続けるしかなかった。


 森の中に降り注ぐ、ワイヴァーンのブレスと響きわたる爆発音。

 命懸けの鬼ごっこは、日が暮れるまで続けられるのだった。

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