第三話「魔術教本」 (1)

 俺が転生して、約二年の歳月が流れた。

 足腰もしっかりしてきて、一人で二足歩行ができるようになった。

 この世界の言葉もしゃべれるようになってきた。


    ★ ★ ★


 本気で生きると決めて、まずどうしようかと考えた。

 生前では何が必要だったか。

 勉強、運動、技術。

 赤ん坊にできることは少ない。せいぜい抱き上げられた拍子に胸に顔をうずめるぐらいだ。

 メイドにそれをやるとはあからさまに嫌そうな顔をする。

 きっとあのメイドは子供嫌いに違いない。

 運動はもう少し後でいいだろうと考えた俺は、文字を覚えるため、家の本を読み始めた。

 語学は大切だ。

 日本人は自国語の識字率はほぼ一〇〇%に近いが、英語を苦手とする者は多く、外国に出ていくとなると尻込みする者も多い。外国の言葉を習得しているということが、一つの技能と数えられるぐらいに。よって、この世界の文字を覚えることを、最初の課題とした。


 家にあったのはたった五冊だ。

 この世界では本は高価であるのか、パウロやゼニスが読書家ではないのか。

 恐らく両方だろう。数千冊の蔵書を持っていた俺には信じられないレベルだ。

 もっとも、全部ラノベだったが。


 五冊とはいえ、文字を読めるようになるのには十分だった。

 この世界の言語は日本語に近かったため、すぐに覚えることができた。

 文字の形は全然違うのだが、文法的なものはすんなりと入ってきた。

 単語を覚えるだけでよかった。言葉を先に覚えていたのも大きい。

 父親が何度か本の内容を読み聞かせてくれたから、単語をスムーズに覚えることができたのだ。

 この身体の物覚えの良さも関係しているのかもしれない。

 文字がわかれば、本の内容は面白い。

 かつては勉強を面白いと思うことなど、一生涯ないと思っていたが、よくよく考えてみれば、ネトゲの情報を覚えるようなものだ。面白くないわけがない。

 それにしても、あの父親は乳幼児に本の内容が理解できるとでも思っているのだろうか。

 俺だったからよかったものの、普通の幼児なら大ひんしゅくものだ。大声で泣き叫ぶぞ。


 家にあった本は次の五冊だ。


『世界を歩く』

 世界各国の名前と特徴が載ったガイド本。


『フィットアの魔物の生態・弱点』

 フィットアという地域に出てくる魔物の生態と、その対処法。


『魔術教本』

 初級から上級までの攻撃魔術が載った魔術師の教科書。


『ペルギウスの伝説』

 ペルギウスという召喚魔術師が、仲間たちと一緒に魔神と戦い世界を救う勧善懲悪のおとぎばなし


『三剣士と迷宮』

 流派の違う三人の天才剣士が出会い、深い迷宮へと潜っていく冒険活劇。


 最後の二つのバトル小説はさておき、他三つは勉強になった。

 特に魔術教本は面白い。

 魔術の無い世界からきた俺にとって、魔術に関する記述は実に興味深いものである。

 読み進めていくと、いくつか基本的なことがわかった。


一.まず、魔術は大きく分けて三種類しかない。


『攻撃魔術』──相手を攻撃する。

『治癒魔術』──相手を癒す。

『召喚魔術』──何かを呼び出す。

 この三つ。そのまんまだ。

 もっと色々なことができそうなものだが、教本によると魔術というものは戦いの中で生まれ育ってきたものだから、戦いや狩猟に関係のない所ではあまり使われていないらしい。


二.魔術を使うには、魔力が必要である。


 逆に言えば、魔力さえあれば、誰でも使うことができるらしい。

 魔力を使用する方法は二種類だ。

『自分の体内にある魔力を使う』

『魔力のこもった物質から引き出して使う』

 このどちらかだ。

 うまい例えが見つからないが、前者は自家発電、後者は電池みたいな感じだろう。

 大昔は自分の体内にある魔力だけで魔術を使っていたらしいが、世代が進むにつれて魔術も研究され、高難度になり、それに伴って消費する魔力が爆発的に増えていったそうだ。

 魔力の多い者はそれでもいいが、魔力の少ない者はロクな魔術が使えなかった。

 なので、昔の魔術師は自分以外のものから魔力を吸い出し、魔術に充てるという方法を思いついたのだ。


三.魔術の発動方法には二つの方法がある。


『詠唱』

『魔法陣』

 詳しい説明はいらないだろう。口で言って魔術を発動させるか、魔法陣を描いて魔術を発動させるか、だ。

 大昔は魔法陣の方が主力だったらしいが、今では詠唱が主流だ。

 というのも、大昔の詠唱は一番簡単なものでも一分~二分ぐらい掛かったらしい。

 とてもじゃないが戦闘で使えるものではない。

 逆に魔法陣は一度書いてしまえば、何度か繰り返し使用できた。

 詠唱が主流になったのは、ある魔術師が詠唱の大幅な短縮に成功したからだ。

 一番簡単なもので五秒程度まで短縮し、攻撃魔術は詠唱でしか使われなくなった。

 もっとも、即効性を求められない上、複雑な術式を必要とする召喚魔術は、いまだに魔法陣が主流だそうだ。


四.個人の魔力は生まれた時からほぼ決まっている。


 普通のRPGだとレベルアップするごとにMPが増えていくものだ。

 しかし、この世界では増えないらしい。

 ほぼ全員が職業戦士だという。ほぼ、というからには多少は変動するようだが……。

 俺はどうなんだろうか。

 魔術教本には魔力の量は遺伝すると書いてある。

 一応、母親は治癒魔術を使えるみたいだし、ある程度は期待していいんだろうか。

 不安だ。両親が優秀でも、俺自身の遺伝子は仕事をしなさそうだし。


    ★ ★ ★


 とりあえず俺は、最も簡単な魔術を使ってみることにする。

 基本的に魔術教本には魔法陣と詠唱の両方が載っていたが、詠唱が主流らしいし、魔法陣を書くものもなかったので、そっちで練習することにする。

 術としての規模が大きくなると詠唱が長くなり、魔法陣を併用したりしなければいけないらしいが、最初は大丈夫だろう。

 ちなみに、熟練した魔術師は、詠唱がなくても魔術が使えるらしい。

 無詠唱とか、詠唱短縮ってやつだ。

 しかし、なぜ熟練すると詠唱なしで使えるようになるのだろうか。

 魔力の総量が変わらないということは、レベルアップしてもMPが増えるわけじゃないだろうし。

 逆に、熟練度が上がると消費MPが減るんだろうか。

 いや、仮に消費MPが減ったところで、手順が減る理由にはならないか。

 ……まぁいいか。とりあえず使ってみよう。


 俺は魔術教本を片手に、右手を前に突き出して、文字を読み上げる。

なんじの求める所に大いなる水の加護あらん、清涼なるせせらぎの流れを今ここに『ウォーターボール』」

 血液が右手に集まっていくような感触があった。

 その血液が押し出されるようにして、右手の先にこぶし大の水弾ができる。

「おおっ!!」

 と、感動した次の瞬間、水弾はバチャリと落ちて、床をらした。

 教本には、水の弾が飛んでいく魔術と書いてあるが、その場で落ちた。

 集中力が切れると、魔術は持続しないのかもしれない。


 集中、集中……。

 血液を右手に集める感じだ。こう、こう、こんな感じ……うん。


 俺は再度右手を構え、先ほどの感覚を思い出しながら、頭でイメージする。

 魔力総量がどんだけあるかわからないが、そう何度も使えないと考えたほうがいい。

 一回一回の練習を全て成功させるつもりで集中するんだ。

 まず頭でイメージして、何度も何度も頭の中で繰り返して、それから実際やってみる。

 つまずいたら、そこをまた頭でイメージする。脳内で完璧に成功するまで。

 生前、格ゲーでコンボ練習する時はそうしていた。

 おかげで俺は、対戦でもコンボをほとんど落としたことがない。

 だからこの練習法は間違っていない………と思いたい。

「すぅ……ふぅ……」

 深呼吸を一つ。

 足の先、頭の先から、右手へと血液を送るような感じで力をめていく。

 そしてそれを、手のひらからポンと吐き出すような感じで……。

 慎重に慎重に、心臓の鼓動に合わせて、少しずつ。少しずつ……。

 水、水、水、水弾、水の弾、水の玉、水玉、水玉パンツ……。

 邪念が混じった、もう一回。

 ギュッと集めてひねり出して水水水水…………。

「ハァッ!!」

 と、思わず寺生まれの人みたいな掛け声を上げた瞬間、水弾ができた。

「おっ、え……?」

 ばちゃ。




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