第43話

和泉さんは引っ越した。

クリーム色のコーポ。

3階建ての3階。

エレベーターは無い。

ユニットバスとキッチン。

少し建物の角が当たって長方形じゃない造り。

その分家賃はお値引き。

最初の怪しい物件ほど安くは無いけれど。

東京にしてはかなりお手ごろなお値段。


大学まで少し離れてしまったけど、徒歩20分。

充分歩いて行ける。


自転車買おうかな。

実家のお父さんのバイク、譲ってくれないかな。

燃料代がかかっちゃうか。


「まあ。ここならいいだろ」

「ギリ及第点な」


弟たちも偉そうに言った。

和泉さんの隣の部屋も女性。

上も下もほとんど女性の一人暮らしらしい。


「ちゃんとカギ閉めろよ」

「俺達が居ないからって泣くなよ」


弟たちは引っ越しを手伝い帰って行った。

誰が泣くか。


さて次はアルバイト決めなきゃ。


和泉さんは考えた末、コンビニの夜勤に入った。

場所が便利だ。

コーポからも大学からも近い。

やった事が有るのは親戚の手伝い位で、バイト経験の少ない和泉さん。

コンビニなら多分マニュアルとかしっかりしてる。

初めての人にキチンと教えてくれそうなイメージ。


それに夜勤だと料金が割り増しなのだ。

夜10時から朝の5時まで、問答無用で25%時給が上がるらしい。

やったね。

守銭奴の和泉さん。

同じ仕事で余計にお金貰えるなんてやるしかないじゃない。

セ〇ンイレブン、いい気分。

弟達だって文句ないハズ。


後はアレ。

賞味期限切れの弁当を持って帰っていいって言うウワサ。

和泉さんは一応料理は出来る。

でも無料でも貰えるならその方が良い。


最初は良かった。

和泉さんは元気いっぱい、夢いっぱい。

夜間は変なお客さんや、酔っぱらいもいるけど。

慣れれば大丈夫。


大学だってスタート。

授業の仕組みも高校とは違う。

どうなってるんだろ。

早いうちに出来るだけ単位取った方が良いって言うよね。

でもバイトしながらだし、まだ慣れてないし。

楽し過ぎると後が大変そう。

いろいろ悩みながら決めていく和泉さん。



だけど数ヶ月も過ぎてみると。


夜勤のバイトって身体に悪い。

バイトある日は睡眠不足。

無い日にその分寝ればいい。

それほど、人間の身体ってベンリに出来て無かった。


日にちの感覚がおかしくなる。

これはホントーにやってみないと分からないと思うのだけど。

曜日感覚もズレるのだ。


明日は日曜、学校は無い。

なんて思ってると既に月曜なのだ。


「柿崎、レポート明日までに提出だからな。

 忘れんなよ」

「はい、勿論です」


元気よく返事をしたのは良いけれど。

バイトが終わってお部屋に帰る。

さあ、明日レポート提出だな、なんて思ってみる。

違うよ、もう今日提出なんだよ。

なんてこったい。


夜仕事する人って、多分カレンダー感覚が他の人と違うのだ。

もしかしてずっとやってると、その不思議な感覚も手に入るのかも。

昼仕事してる人とカレンダーをすり合わせる技術。

まだ和泉さんには習得できない技能。



そしてお弁当のお持ち帰りは出来なかった。

店長さんは言う。


「そんなの遥か昔のコトだね。

 今、関東で賞味期限切れ従業員に渡したりしたら、

 フランチャイズから外されるよ」


どうやら都市伝説だったらしい。

泣く泣く廃棄の弁当がゴミ袋に捨てられるのを見送る和泉さんなのだ。



しかももっと重要な事が。


店長さんは言っていた。


「夜勤、三日から四日入れるの。

 助かるよ、是非お願いするよ」


「テスト前だけは休ませて欲しいんですけれど」


「うん、学生だからね。

 お勉強大事だよね。

 他のバイトの子がいるでしょ。

 彼等と交代して貰って。

 休みはそういう仕組みなんだ。

 キミが休んで別の人が替わりに出る。

 その分、その人が用事有る時にキミが替わって出てあげる」


なるほど。

分かり易い。

タイムカードを見て見れば他にもバイトの人はたくさんいるみたい。

誰か替わってくれるだろう。


誰も替わってくれなかった。

面倒見の良いおばさん風の人。

朝、彼女と交代して和泉さんはバイトを終える。


「アタシ、昼間仕事してんのよ。

 いくら何でも夜から仕事して昼間まで出来るワケ無いじゃない」


そりゃそうだ。

じゃあ夜勤の人。

と言うと、夜勤の人もだいたい一杯一杯。


頭を金髪にしたロッカー風のお兄さん。

和泉さんは最初怖かったけどけっこう良い人だった。

仕事も教えてくれる。

酔っぱらったオッサンがしつこく和泉さんに話しかけてくるのを助けてくれた。


「月曜、火曜交替するだけならいいぜ」

それじゃテスト期間対策にならない。


和泉さんと別の大学生らしい男の人。

「俺もテスト期間なんだよ」


日本語ペラペラな中国人のお姉さんも。

「ムリでぇす」


店長に電話してみる。

何度かけても出ない。

シフト変えてください、これ以外の用件ならすぐ反応するのだ。


お客様から予約入りました。

分かった、メモ書いておいて。

割りばしが残り少ないです。

分かった、すぐ注文する。

急場しのぎは知り合いの店から貰ってくる。


なのに。

この週出勤できません。

その用件で電話をかけると絶対出ないのだ。

どうして分かるんだろう。

ナゾの超能力。


ダメだ。

このバイト、学生には向いてない。


元気いっぱい夢いっぱいだった和泉さん。

すでに瞳がドンヨリ。

目の下にはクマ。

肩を落として元気無く帰って行く。


だから。

和泉さんが学校帰りの夕方、見かけた貼り紙。

貼り紙の内容に見入ってしまったのもムリの無いコト。



『同居人募集。

 女性限定。

 家賃無料』


さらには小さく。


『家事を負担してくれれば、金銭支給も考えます』


なんと。

家賃無料!

家事をすればバイト代も有り得る!

そんな夢の様な事が有っていいんだろうか。


ダメダメ、和泉。

和泉さんは自分に話しかける。

ほら、フロアレディーの広告にダマされかけたじゃない。

ダマされちゃダメ。

東京はワナがいっぱい。

まずは落ち着いて確認よ。


和泉さんは周囲を眺める。

貼り紙が貼ってあるのはお家の塀。

門から見えるのは古いお家。

日本家屋。

木造で屋根瓦。

けっこう広いお家。

お庭もある。


門は開いていて開放的。

入って良いのかな。

チラリとお庭を眺める。

あっ、キレイ。


手入れされた庭。

お花が咲いてる。

白い大きな花。

これは梔子だっけ。

紫陽花も有る。

スゴイスゴイ。


和泉さんはお宅にスルスルと入って行く。


と、玄関が開いた。

木製でガラスの入った大きな引き戸。

そこに立っていたのは女性。

お年を召した老婦人。


「あら、お客様?」


この時点では名前は知らないのだけど。

玉江さん。


長尾玉江さんは柿崎和泉さんの顔を見てそう言った。

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