第53話 記憶画像
そしてまた、ここまできて東夜の足は立ち止まっていた。
全く出入りする気配も感じられない入り口を前に、妙な胸騒ぎもする。このまま入ってしまえば、出て来れなくなるかもしれない。
様々な思いが駆け巡る。
でも……、出てこれても、出て来れなくても同じ。
あいつは帰ってくる事はないのだ。
ならば、最後に会えるかもしれないという確立が少しでもあるのなら、入るしかないじゃないか。
そう思うと、東夜は自分に気合を入れるように一つ息をつき、病院の中へと入って行った。
後ろで自動ドアが閉じた瞬間、看護婦や患者の視線が東夜に注がれ、いいようのない吐き気に襲われた。
クラクラとしためまいを振り払うように、東夜は辺りを見回した。
蛍光灯はキチンとついているのに、なぜか全体的に暗い雰囲気を漂わせていて、並んでいる長いすには所々シミや破れが見られる。
不思議なのは、患者は沢山いるのに、隅の一つの長いすには誰も座っていない事だった。
他の長いすには大人子供関係なく座っているのに、まるでその椅子だけ目に入っていないかのように見向きもしない。
足の悪そうな患者もいるのに、その長いすの前でたっているのだ。
看護婦も、椅子が空いてないから、と言わんばかりにその患者を慰める。
東夜は首を傾げながら、エレベーターへと向かった。
今でもはっきりと覚えている、203号室。
行った事はないが、忘れた事だって一度もなかった。
すぐにエレベーターが来て、東夜は乗り込んだ。
他にも二人患者がいたが、下を向いていて全く顔が見えなかった。
エレベーターは、たかが一階上るだけなのに、やけに遅い。
東夜はイライラしながら階数のランプを睨みつける。
その時、一緒に乗っていた患者の一人が東夜の服を引っ張ってきた。
一瞬飛び上がりそうなほどに驚き、それから、それが子供だと分かると大きく息をついた。
「どうした?」
「ここで、なにしてるの」
それは子供の声とは思えない、鋭く低い声だった。
続けて、もう一人が言った。
「ここに来たら駄目だよ。早く降りて」
長い髪で、顔を隠しながら。東夜は肌寒さを感じて、身震いをする。
次の瞬間、チンッという音と共に扉が開いたと同時に、逃げるように東夜はエレベーターを降りる。
「あれ……?」
振り返って、閉まる直前のエレベーターを確認したが、その中には誰も乗っていなかった……。
やはり、この病院に入ったのは間違いだったかもしれない。
東夜の脳裏にそんな後悔の思いが過ぎったが、強く頭を振り無駄な事を振り払う。
そして、東夜は203号室に向けて歩き出した。
東夜がエレベーターを降りた直後から感じる嫌な視線は、この病院の患者や看護婦のものだろう。入ってきた時と全く同じ反応だ。
「ここだ」
東夜は203号室の部屋の前で立ち止まり、軽くノックをした。
しかし、中に誰もいないのか返事がない。東夜はドアノブに手をかけた。
「やめなさい!」
その瞬間、大声でそう聞こえてきて、東夜は一瞬自分が言われているのかと、手を引っ込めた。
しかし、どうやらそれは203号室の中から聞こえてくる声のようだった。
そっとドアを開け、東夜は身を凍らせた。
昔の、母親と妹の姿がそこにあったのだ。この病院だけ、時間が止まってしまったかのように。
妹の美由紀は狂ったように叫び、病室の中にあるコップやハブラシ、クッションを壁に向けて叩きつける。
幸いだったのは、そこが個室だったと言う事。
その時、美由紀が投げたマンガが派手に東夜の顔に当たった。
「痛っ!」
声をあげ、顔をしかめる東夜。
しかし、美由紀と母親はそれに全く気づかないようにそっぽを向いている。
落ちたマンガを拾い上げると、それが確か自分が美由紀の為に持ってきたマンガだと思い出された。
「なんで……、なんでお兄ちゃんはいつも来てくれないのよっ!」
泣きながら叫ぶ美由紀。
その瞬間、美由紀は発作を起こし、苦しそうに顔を歪めた。
「え……?」
そんな美由紀を見て、東夜は眉を寄せる。
「ほら、そんなに興奮するから」
母親が慌てて美由紀の体を抱き起こしてベッドへ連れて行く。
まだ十歳にもならない美由紀が、病気と闘いながら苦痛に顔を歪めている表情は東夜の胸に深く突き刺さる。
それも、自分が美由紀に会うことが怖くて迷っているのが原因で。
「美由紀」
東夜は部屋の中へ一歩足を踏み入れた。
しかし、先ほどのような嫌な視線は全くない。
それ所か、やはり自分に気づいていない様子なのだ。
母親が美由紀に薬を飲ませると、散らばった物を定位置に戻し始めた。
疲れているのか、知らず知らずの内に何度もため息の音が聞こえた。
「美由紀、花の水を変えてくるわね」
母親はそう言うと、花瓶を持って部屋を出る。
東夜はそれを見送ってから、ベッドの隣に座った。
と、言っても美由紀に自分の姿は見えていないようだし、話しをしたくても声も届かない。
東夜はただ無言で美由紀の頭を撫でていた。
「お兄ちゃんのバカ」
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