君と世界の幸福論 ~不明存在対策部~

星風あおい

第一部 しあわせの探し方

第一章 結成、"不明存在対策部"!

『青の瞳』と『闇喰い』



 夕暮れの高い空を、割と速めの速度で飛んでいる。



「先輩、委員長先輩っ! お願いですから歩きで行きましょうよ!!」

 ホウキの穂側に乗る黒髪の少年が、ぎゅっと目を瞑り、柄を必死で掴みながら言う。

「だめー。今回は急ぎなんだ。だから、落ちないでね?」

 ホウキ前方に横座りする長い金髪の少女は、にっこりと少年の提案を拒否した。


 空で叫んでいる二人がいても、このあたりなら気にされない。

 明るい青のセーラー服。銀ボタンの学生服。

 「魔法」の教育も行う、特殊私立十ツ星とつぼし高等学校の制服だからだ。


 『ここではない場所』からやってくる、『この世界』には存在しないものたち、『不明存在』。

 ひとびとはそれらと関わり合い、時に騙し合い、時に手を取り合った。

 しかし、その交流も力も時と共に薄らぎ、現代ではそれと関わる者たちも、関わる手段である「魔法」と出会うことも稀である。


 少女が振り返り、問いかけた。

「ねえ、君、魔法が使えないってほんと? うちのガッコに来たのに」

「つ、使えないですよ。俺は専門的な勉強をしたくて……、進学率もいいし……」

 目を瞑り、箒の柄をぎゅうと握っている少年。恐怖と緊張と戦っているらしい。

 少女はうなずき、

「わかった、じゃあ今回の状況から説明するね」

「ふぁい、おねがいします」

 なんとか気合いで目を開いて、彼は彼女に答えた。


 曰く。最近、ある事故が起こっている。

 歩行者が赤信号に気づかず、車と接触してしまうという事故だ。

 死人や大きな怪我人はまだいないものの、いずれそうなることは目に見えている。

 原因は、歩行者がスマートフォンだけを見ながら歩いていたことである。


「? 原因がわかっているなら、することがないのでは……?」

「それが同じ交差点で、日に四回近く、一週間連続で起こってたらどうする?」

「……なるほど、さらに何かの原因があるんですね」

 ふう、と少年が息をつくと、箒がゆっくり下降しだした。

 少女が髪を整えながら言う。

「さあ、ついたよ、山の上の交差点、『丘野三丁目』!」

「えっ! もうそんなところまで来たんですか?」

 二人がいた学校から、徒歩で二十分以上はかかる距離である。

「そうだね、まあ五分くらい? 直線距離ならこんなもんよ」

「さすが、『空飛ぶ魔女』ですね、委員長先輩」

「その二つ名、普通すぎて好みじゃないな~」

 言いながら、二人は交差点に降り立った。

 地面に足がついたところで、少年はほっと息をついて手を離す。

 そして何気なく、交差点を見たとき。

 

 その「瞳」と目が合った。金色の獣の瞳。

『ケケッ』

 確かにこちらを見て笑うのは、白に近い毛色をした、信号機の下に居座る、巨大な狐だ。二つに分かれた尾を揺らしている。


「――っ!」

 思わず息を呑むと、少女は納得したように頷く。

「なるほど、ほんとうに、君にはんだ」

 言われて、少年は思わず片手で顔を押さえた。

 その瞳は青。ありふれた栗色ではなく、深く濃い空の瞳だ。


「だから、俺を連れてきたんですか?」

 とん、とホウキの柄を地面に立て、少女は頷いた。

「そ。本来なら一生徒である君に来てもらう件ではないんだけどね。

 話を聞いたんだよ、『今年入学した「いい子」がいる』って」

「クロト先生ですね、あの人はもう……」

 少年はため息をつく。少女はそれに苦笑し、

「ま、先生と会っちゃったことはどうしようもないね。

 ――さて、実は、いま君が見えているであろうそれ、誰にもんだ。

 強めの魔力が観測できてるから、存在していることは確認されてるんだけど、対応に困っててさ」


 ちょっとだけ肩をすくめてから、「ま、そんなわけで」と微笑みつつ少女は言う。


「じゃあ問題を出そうかな。基礎の基礎だよ。

 "『不明存在』に対して最初に実行すべきことは?"」

「えーと、"敬意を持って話すこと"です、……って、もしかして」

 その通り、と少女は言った。

「見えないから話せない、話せないから交渉もできないんだ。

 つまり、そこを君にやってほしい」


 少年は狐を見やって、

「あのー、実地はまだやったことないんですが……俺まだ入学して2ヶ月ですよ……」

「そうなの? じゃあちょうどいいね。さあ、行くよー」

 微笑む少女に、少年は、はあ、と頷きつつ諦めの息を吐いた。


 とりあえず、狐の正面に回る。信号機の真下だ。

 少女は移動しない。離れて見守るようだ。


 少年は不安げに左右を見渡し、

「そういえば、なんだか、車通りが少なくないですか?」

「ああ、そのへんは、さっき『人払い』してもらったんだよ。大丈夫、根回しはしてあるからね」

「そんなこともできちゃうんですか?」

「まがりなりにも『委員長』だからね。……それじゃあ、お願いできるかな?」

「わかりました……」


 身の丈より高い位置にある狐へ、少年は視線を向けた。

 緊張を解くために息をつき、顔を上げて、大きめの声で呼びかけてみる。


「あの! お尋ねしたいんですが!」


 狐はこちらを目だけで見ると、ゆっくりと伏した。

 重ねた手の上に顎を乗せている。返答はない。


「最近、変なことが起きてるんですけど、なにか知りませんか?」


 視線がついと逸らされた。完全に嘗められている。

 これは……――。

 少年は、狐の思惑に思い当たった。


「……話し合いではなく、が来るのを待っているんですね」


 いきものはすべて力を持つ。髪に、体液に、その瞳に。

 それを喰えば、自分の持つ力――「魔力」が増幅する。


「それは、いたずらが過ぎますよ――!」


 ニタリと大狐はまた口端を上げると、その巨大な前脚を思い切りこちらへ振り下ろしてきた。

 少年は飛びすさって叫ぶ。


「先輩!」

「わかった、乗って!」

 二人は再びホウキに乗り、少女は高度を上げながら言う。


「――実はね、このあたりで大規模に『こっくりさん』が流行ったことがあって、目標がなんなのかは目星はついてたんだ。

 一応聞くけど、相手は巨大な狐?」

「そうです。白くて二尾の……」

「なるほど、こっくりさんになら成れそうな『不明存在』っぷりだね」


 大狐は体を起こし、身を震わせた。こちらへ視線をやって、そして再び伏した。

 少年はそれを少女に伝えると、疑問を口にする。


「――何故どこかに行かないんでしょう? 逃げられても仕方がない状況だと思うのですが」

「そりゃあ、もともと十円玉の上でしか存在できないからだよ。「こっくりさん」として存在しているから、動きたくても動けないんだ」

「! そうか、十円玉!」


 少年はぱっと顔を上げた。


「なになに?」

「こっくりさんをやるときは、みんな十円玉の一点だけを見ますよね。

 つまり、そうやって""んじゃないですか?

 だからスマホを見てしまうし、赤信号も確認しない。

 自分の姿も、視線を逸らすことで見えなくしている」


 少女は大きく頷き、


「そうか、特性を生かした視覚操作か、なるほど。君、けっこう鋭いね」

「ちょっとした思いつきですよ……。

 それで先輩、ここからどうするんですか?」

「そこも、問題だね。

 ええと、一応教えておくと、もうこっちに害を成すとわかったら、その『不明存在』はちゃんとどこかに仕舞っておかないといけない。

 だけどさ、今回は私に見えないから、範囲指定が難しいんだ」

 

 上空から交差点を眺め、少女は腕を組んだ。


「術者をもう数人呼んで、地味に範囲を広げて捕縛しようか……でもそれじゃ時間がかかりすぎる……こっちがアプローチしちゃったから、相手はなりふり構ってこないだろうし、人払いもそう長く持たない……あー、魔力が足りない!」

 

 それを聞くと、少年は瞬いた。


「魔力があればいいんですか?」

「そうだね。でもまあ、君は魔法使えないし――」

「――いいえ、大丈夫です」


 彼は青い瞳で彼女を見つめる。


「俺に任せてください」


 そして、急に、少女へと頭を下げた。


「委員長先輩、失礼します!」

「え?」


 少女の腰あたりを背側からぐっと抱きしめる。

 彼女が驚く間もなく、彼は叫んだ。


「"開け、青の瞳――!"」


 リーーン……!


 高い鈴の音が聞こえると、辺り一帯の空間が一瞬で薄青に染まる。


「わあ! これはなになに、どういうこと!?」

「すいませんすいませんすいません、俺、こんな風にしかできないんです!!」

「いやいや抱きつかれてるのはともかくさ、このだだ漏れの魔力はなに!?」

「あの、俺の目の魔力を強制排出してる感じです! いまできるのはこれだけなんですが……!」 

「えっ、うそ、魔法じゃないのにそんなことできるの? 詠唱もあれだけ? すごくない?」


 少女は思わず少年を見つめるが、


「こちらはいいですから、相手を何とかしてください! お願いします!」

「わかったわかった……って、おお、見える! ほんとだ、狐でっかい!」

「これでなんとかなりますか!?」

「完璧完璧! でも、時間が黄昏時だ。ちょーっと手荒く飛ぶから、しっかり掴まってて!」


 急速に箒のスピードを上げ、狐の周囲を短く三度回った。

 金の髪が流れる。うわわ、と少年が声を上げる。


「"捕縛"!!」


 鋭く少女が言うと、光が宙で三重の輪となり、引き締められ、狐の自由を奪った。

 狐はもがき、口を開いたが、聞こえる音にはならない。


 連続して、少女は空中に素早く指で陣を描くと、それを広げるように両手を開き、地上に向かって強く振り下ろした。

 ズン、と音がすると、寸分の狂いなく、光の魔法陣が狐を中心に輝いている。


「"我が名に於いて命ずる、幻想よ、我が星となれ!!"」


 青で染まった一帯に、白光の柱が立ち上がる。

 鳴き声のような音が聞こえたが、それはもう町の音に紛れていく。

 そのまま光が、一瞬で広がり――。


 少年がまばたきながら目を開くと、もうそこにはなにもなく、いつもの交差点に戻っていた。車が一台、ごく普通に通っていく。

 かわりに、少女の両手の中に、なにやら小さなものが浮かんでいる。


「……それは?」

「こんぺいとうだよ。これを、こうして……」


 そのままつまんで口に放り込み、こくん、と飲み込む。


「よし、これで完了っと」


 満足げに少女は言う。

 ハテナ? と少年は首をかしげ、


「え? もしかして、――食べちゃったんですか!?」

「もしかもなにも、食べたけど?」

「お、お腹は大丈夫……?」

「これが私の能力なんだ。

 『闇喰やみくい』っていってね、魔力とか変換した封印とかを自分のなかに保管できるってやつ。けっこう便利だよ?」

「そ、そうなんですか……」

「そのまえに!」


 少女はちらり、と視線をやり、


「そろそろ抱きつくの、おしまいにしてくれるかな?」

「おうわっ! すいませんすいません、つい、心地が良くて……」


 慌てて両手を離してばんざいし、少年は言う。


「ふーん、抱きつくの、気持ちよかった? もしかして制服とか好きなの?」


 少女は横目でからかうように言う。

 が、少年はなぜかものすごく勢い込んで頷いた。


「当たり前です、制服が嫌いな男なんていません。

 それに、先輩くらい美人な方なら、いつでも抱きしめるの、ばっちこいです」

「君、なにも聞かずに引っ張ってきたからよく知らなかったけど、ちょっと変だね」

「正直は美徳です」

「それは時と場合によるんだよ!」

 ぺし、と彼女が彼の黒髪を叩いて、ゆっくり箒は地面へと下降していく。


「ま、これで部員がひとり確保できたし! よかったよかった」

「部員? 委員長先輩、部活でもやるんですか?」

「そうだよ。なんだか最近、いろーんな『不明存在』が増えててね。

 それを、町内だけでもなんとかするようにって、特殊校全体に通達が来たんだ。だから、新しい部を作るの」

「はあ……委員長先輩は忙しいですねぇ」

「そうだね、君も忙しくなるぞ?」

「ん?」

「ん?」


 一瞬、静かな間があいた。


「――……俺は、魔法、使えないんですけど」

「そんなの育てるに決まってるじゃん。十ツ星は伊達じゃないんだから」

「えっ」

「それに、君のその『青の瞳』。そっちの方も興味があるね。研究しがいがありそうだ」

 満足そうに笑っている横顔に、少年は恐る恐る尋ねた。

「……あのー、俺、聞いてなかったんですけど」

「なに?」

「委員長先輩の、"委員長"って、何の委員長なんですか……?」 

 小首をかしげて、少女は答えた。

「そりゃ、『不明存在対策局 特別委員会』の、委員長だけど」

「対策局!? 時々ニュースで聞く!?」

「いやはや、照れますなー。

 なんてね、他の人がやりたがらないから、やってるだけだよ。委員長なんて肩書きだけだけ! 未成年のしかも学生にやらせてる時点で、逆に言えば私自体にそんなに責任はないってことだしね!」

 それって、有事には大人の誰かが責任取って泣いてるってことでは?

 言おうとして、少年はぐっと飲み込んだ。セーフ。


「それで、部とは……?」

「もちろん、"不明存在対策部"、だよ?」


 ぽん、と少女は少年の肩を叩いた。笑顔が怖い。


「ぜぇったいに、逃がさないからね?」

「ふへぃ……」


 情けない声が出たところで、ちょうどホウキが地面についた。

 もう空は夕焼けと夜の境目の色をしている。

 なるほど、周りに目が行かないくらい緊張してたのだな、と少年は気がついた。思わず、大きいため息をつく。

 それを愉快そうに微笑んで見ていた少女は、長い金髪を夕焼けの光と風に揺らし、こちらに向かって手を差し出した。


「それじゃ、これからよろしくね、『青の瞳』の……。

 あ、名前、聞いてこなかった。なんていうの?」

「名前も知らない人をよく引っ張ってきましたね……。

 俺は瀬尾、瀬尾祐司せのおゆうじです」

「OK、ゆーじくんね。

 私は神羽森かんばもりひなただよ。ひなたって呼んでね」

「じゃあ、ええと。――ひなた先輩。これから、どうぞよろしく」

「ゆーじくんも、これからよろしく!」


 二人は夕暮れの中、手を握りあい、視線を交わし合った。



 ――後の世に語られるすべての物語は、こうして、出会いからはじまるのである。




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