43.ラビリンスシンドローム
雄叫びが響き渡った。
エンショウは髭の生えた口元を手で覆い、膝を着いてもう一度叫ぶ。瞳から涙がしとどに溢れ、目は充血し真っ赤になっていた。
「出たぁ〜〜出たぁ〜〜〜!! これ夢ぇ〜!? 現実〜〜!? 最早どっちでもいいッ! もういいッ! とりあえず今はありがとう! ありがとう〜〜!! あ〜〜〜」
何に対してか分からない感謝の言葉を幾度も繰り返しながら、エンショウは床に額を擦り付ける。
「あ"…? なんだこれ…動かねェぞ…」
その横でウミは、右手を前に曲げた姿勢で固まっている。その腕を掴み、あれこれ揉んだり触ったりを繰り返していたヨミチは、「えぇ…」と困惑の声を上げてハレを振り向いた。
「ねぇすごい、ドアノブを捻る動きはできるのにそれ以外は全くできなくなってる…。ほら、左右に回転はするのに…前後には曲がんないの。コチコチ」
「え…まさか折ってないよね…?」
疲労骨折か。重度の腱鞘炎か。どうやら、連なる扉を開くため、ひたすらにドアノブを捻り続けたウミの手首は、ついに限界を迎えてしまったらしい。
「いいよもう! 折っちまえ折っちまえ! なんてったって! もう! 扉なんて! 無いからなぁ!」
そう叫んでけたたましい笑い声を上げるエンショウの頭を「うるさい!!」とカノウが叩いた。
「まだ迷宮内なんだよ! 疲れて出てきた冒険者を狙う奴もいるかもしれないんだから、気は抜かないでよ」
「だぁってよぉ〜! 嬉しいもんは嬉しいだろ! ああっ! 外だ!」
転移を踏み抜き迷い込んだ、ひたすらに小部屋が連なる区域を。ウミ隊は歩きに歩き、ようやく今、無事に脱して戻ってきたのだった。
「体感、三日」
流石に疲労を顔に浮かべたハナコが呟き、背後の壁を振り返った。
開いて出てきたはずの最後の扉は、一同が外に出た瞬間に消えてしまい、今はもうただの壁になっていた。
どうやら、一方通行の仕組みらしく、その後はどれだけ壁を叩いても、魔力を流しても扉が現れることは無かった。
「最初の休憩でウミの話を聞いたのが最早懐かしい」
「まさか、迷宮に泊まる羽目になるとは自分も思わなかった」
「一刻も早く帰りてぇよ……」
「ていうかここ、何層なの? 二層の大通りに似てるけど、まさか、ものすごく深いところに更に転送されてるとか…無いよねぇ…」
ヨミチの不安げな声に、一同は顔を見合わせる。しかしエンショウが「それは無い!」と大声で否定して、嫌な沈黙を振り払った。
「ここは二層! 絶対ェ二層! 地図を見ろ、空白部分に小部屋地獄ゾーンの地図がすっぽり入る! しかも、やっぱり俺の読み通り小部屋ゾーンの中で一度さらに"転移"させられてる。コンパス、持ち込んどいて良かったなぁ」
方角が分かれば更に迷いづらいだろうと、以前エンショウは、すっかりパーティーの勘定方となったハナコにコンパスの購入を頼んでいたのだ。
「有効活用するように」と釘を刺されて渡されたコンパスだったが、今回ついに日の目を見た。
「コンパスが変な回転したとこから、更に別の紙に地図書いてたんだけどよ、そしたらほら、見ろよ、こっちの地図は左側で…これは右側で…」
そう言ってエンショウは二層の地図を広げてみせる。
すると大通りを挟んで左右に広がる未踏破、空白部分に、小部屋区域を書いた二枚の地図がピタリとハマる。
「冒険者の荷物持ちしてた時にチラッと聞いたんだ。転移した時は、コンパスが特徴的な回転をするって。覚えといて良かったな〜」
「エンショウ、冴え冴えだったね。宝箱も驚異的な速度で回収してたし」
ウミ隊がこうして無事に出てこれたのは、たまたま怪我もなく、食事をたっぷりと持っている状態で、パーティー全員が飛ばされたからと言うだけの理由だった。
手ぶらで、あるいは負傷者を抱えてあそこに転移させられたパーティーは、体力と精神力を消耗させながらひたすらに歩き続けたのだろう。
脱出口付近の部屋には、最後の力を振り絞りここまで辿り着きながらもあえなく力尽きた冒険者たちの遺留品が無数に散らばり、未開封の宝箱も大量に残されていた。
疲労とストレスでハイになっていたエンショウは、そのテンションのままに宝箱を片っ端から開きまくり、その中身を持てるだけ持って、脱出してきたのである。
「罠の判定ミスって毒針を三連続で叩き込まれた時はさすがに死んだと思った」
「やだなぁ、そのためにハレくんがいるんでしょ」
「いや、三回目の時のハレの"もうこいつ見捨てるか"って目がガチすぎた」
「ははは」
笑い声をあげるハレの目は、笑っていない。
「明日は休みにしてちょうだい。この量は流石に、鑑定に一日欲しいもの」
ハナコが挙手をする。「採用」とウミが頷き、翌日の休みが決定する。
「…さて、安全第一でよォ…帰るとすっか」
動かない手首に治癒を掛けられながら、ウミは欠伸混じりに言った。
-
「これ、手紙よ。読んで返事出してあげたら」
無事に地上に戻り、酒場で半分眠りながら食事をとったヨミチは、自室へ戻った途端にベッドに倒れ込んだ。その頭上から降った声に軋む首をどうにか持ち上げる。
「あー…うん」
ハナコの指に挟まれた薄いピンクの封筒を震える手で受け取り、そのままサイドデスクへと置きやる。
「じゃあ、私は鑑定進めてから眠るから。靴、脱いで寝なさいよ」
「ん〜…」
もぞもぞと足だけ動かして靴下ごと靴を履き捨てると、冷たい空気が足に気持ちよかった。
酒場に寄る前に適当に川で被った水で髪がまだ濡れているが、とてもここから起きて乾かす気にはならない。
そういえば、最近は爪の手入れも、お尻の保湿もできていない。それよりも、死にたくない一心で体力をつけるために始めた散歩や、素振りばかりを欠かさずやっている。
「……僕らしくなぁい…」
呻きながら枕に顔を埋めると、太陽の匂いがした。恐らく、昼間の間に大家の老婦人が干しておいてくれたのだろう。ホッとすると同時に、睡魔はあっという間に全身を覆う。
廊下を挟んだ向かいの部屋から聞こえるカチャカチャという作業音を聞きながら、うつらうつらと、眠りに落ちた。
夢の中でヨミチは迷宮に潜っていた。いつものように仲間たちとくだらないことを話し、笑い、敵を殺していた。ウミはいつのまにかリザードマンの国の王様になっていて、ハナコは真紅のローブを羽織って見たことも無いような派手で大きな魔法を繰り出していた。
なんだかひどく楽しい気分で、このまま一生こんな生活が続けばいいのにな、などと思っていた。
-
「はい! 今日からまた頑張っていくよ! 今後の目標は、ヒドラの扉の先へ行く方法を見付ける! です!」
「はーい」
一日休み、すっかり体力を回復した一同は、晴れ渡った午後の青空の下、いつものように準備運動に勤しむ。
「今日は地上に戻ったあと、お給金の配布があります! ハナちゃんが昨日、鑑定と換金を済ませてくれたからね! 楽しみにして生きて戻りましょう!」
「いつも通り、一割は寺院利用のための積立貯金。残りの九割を六人でぴったり分割させてもらってるわ。それと、使えそうな武器や防具が下宿に保管してあるから給金を取りに来るついでに持っていってちょうだい」
「はーい!」
「いい返事だね! 今日も頑張っていきましょう! ウミ、何か言うことある?」
「無ェ」
「よし! じゃあ潜りまーす!」
いつもの兵士たちに「いってきまーす」と笑顔で挨拶をし、前広場の前で屯っている冒険者崩れの浮浪者たちの視線と嘲笑を無視して、六人は張り切って迷宮内へ足を踏み入れた。
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