29.ふたりぼっち
同じ日に、同じ両親の卵から生まれ、今日同じように五つを迎えた兄弟の細い首を、両の手のひらでぎゅうと締めた。抵抗する兄弟の爪が腕に食いこみ鱗が剥がれ血が出るが、構わずに力を込め続ける。暫くすると、兄弟の手から力が抜けて体がだらんと重くなる。
これで二人目。残りは一人だけだ。
死んだ兄弟を手放し、振り向く。爪を赤く染めて、自身で殺した死骸に縋る最後の兄弟へ足を向ける。
一番背の大きかった彼は、近づいてくる自分に気がつくと、額が割れるほどに地面に頭を押し付け、命乞いを始める。
暗い洞窟の中に、甲高い声がわんわんと響いた。剥き出しのその首を、爪で裂くと、一際大きな叫び声を上げて兄弟は静かになる。
噴き上がる赤い血を全身に浴びると、心がすっと落ち着いた。乾いた砂に水が染み込むように。空っぽだった体に、重く湿った何かが詰まっていく心地。地に足がしっかりとつく。体重くて、歩きやすい。
太鼓の音が響き、洞窟の入口が開く。正装に身を包んだ両親が連れ立ってやって来て、自分をまるで割れ物にでも触れるかのように恭しく抱えあげた。
こうしてめでたくこの世に生まれた少年は、ウミと名付けられた。
赤い瞳に目が覚めるような青い鱗を持つ、美しく強いリザードマンだった。
祭壇の前に、今年「生まれた」子供が並ぶ。ウミは、現れた最後の一人の顔を確認すると僅かに視線を落とす。
そこに、ウミの友の姿は無かった。ただ、友にそっくりな顔をした彼の兄弟が、居住まいが悪そうに、小さくなって座っているばかりである。
生まれるまで、彼らに名前は無い。全て等しく、子供を意味するリザードマンの言葉で呼ばれる。
太鼓の音に合わせて、生まれた子らは雄叫びをあげる。どこまでも広い砂漠に響き渡った産声を聞きながらウミは、産まれる前に死んだ、名も無き友を想った。
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焼きたてのパンが三つに、カリカリのベーコンが三枚。半熟の目玉焼きが二つ。たっぷりのサラダと、具沢山のスープ。おまけのデザートは手作りのチーズケーキ。
テーブルの上に並んだ豪勢な朝食を黙々と平らげながら、ウミはカウンターの上に置かれた存在感のある異物をちらりと見た。
五段に重なった、黒光りする大きな四角い箱。普段ならばパンが数個入った包みが置いてあるところに、代わって一つ鎮座している。
それから、キッチンに立って珈琲を啜る同居人へと視線を移す。
趣味の悪いピンクのエプロンをつけた、細身のリザードマン。虹色の光を抱く黒い鱗に、色素の薄い「髪」、儚げな顔つきを持ったいわゆる優男。
以前エンショウが「あいつ、すげぇモテんのな」と悔しそうに言っていたことを思い出す。特に人間の女にその容姿は好評らしく、街に出る度に囲まれたり声をかけられたりするらしい。
が、当の本人は他種族に対して強い苦手意識を抱いているため、その扱いをひどく嫌がっていた。
出来る限り目立たぬよう、閑古鳥の鳴き続ける貸し馬車屋で朝から晩まで薄給で働き、休日は森の中で剣の稽古に打ち込み、家でウミの世話を甲斐甲斐しく焼くのが趣味の変わり者。
アザー。この街に二人いるリザードマンの片割れ。通称、「アザまる」。
「なんだ。足りなかったのか。パンいるか」
ウミの視線に気づき、アザーはつと顔を上げた。黄金色の瞳を隠す瞼が、眠たげに数回まばたく。
「いや……それよりよ、こいつァなんだ」
箱を指さした。
「弁当だ」
涼しい顔でアザーは頷いた。
「いつも用意してやってるだろ」
いつもはこんな量じゃねェだろ。
ウミは内心で言い返す。口に出さないのは、言えば面倒なことになると分かっているからだ。
視線を弁当箱へと戻す。どう見ても一人で食べる一食分では無い。大勢が参加する宴会に持っていってちょうどいいくらいか。
一番上の段の蓋を開く。持って走りなどしたら直ぐに崩れてしまいそうな、彩りのよい細々とした繊細な料理がぎっちりと詰められていた。街の女やヨミチにでも見せれば大変に喜ぶだろう。
一体何時に起きて仕込んだのか。そっと、蓋を戻した。
「…ありがてェがよ…」
「ありがたがるな。別にお前のためじゃない。残り物や試作品を詰めているだけだ」
つんとアザーは顎をあげ、珈琲を啜った。その目がウミを捉え、「何か?」とばかりに細められる。
ウミは口の端を僅かに下げると、続きを口にする。
「たかが二層へ降りるってだけでよォ、ちょいと浮かれすぎじゃねェか」
「なんで俺が、お前の迷宮行の進捗で浮かれなければならないんだ」
「…弁当がやたらに豪勢なのは、たまたまってかァ?」
「ああそうだ。たまたまだ。俺の気分がそうだっただけだ」
「……そうかよ」
つっけんどんな物言いと、見合わない丁寧な行動。
アザーはウミに対して、一言では言い表せないアンビバレンスで複雑怪奇な感情を抱いていた。
ウミと出会い、この街に至るまでの様々な経緯が生んだ、真っ直ぐな尊敬と、粘つく対抗心。そして…仄かな罪悪感。
それらが本人の神経質で繊細な、いわゆる面倒くさい性格と反応を起こし、結果としてアザーを、ウミに対してのみ言葉と行動がちぐはぐになる、おかしな男へと変貌させていた。
ウミの仲間たち曰く、このような性質のことを「ツンデレ」と呼ぶらしい。
「まったく。自意識過剰も大概にしろよ。お前はいつも……ああ、そういえば、服の裾のほつれ直して、シワ伸ばしといたからな。ハンカチも服のポケットに入ってるぞ。武器は研ぎに出してあるから後で鍛冶屋に寄って行けよ」
「あァ…」
礼など言おうものならば、回りくどく長たらしい「別にお前のためじゃないけどな」が始まってしまうため、ウミは適当に頷く。
食事を終え、食器を下げる。予め用意されている服に袖を通していると、
「夕飯は何がいい。……それともまた、酒場で食ってくるのか」
と皿を洗いながらアザーは尋ねた。
病的に素直じゃない物言いのせいで霞んでしまっているが、アザーからウミに対しての感情は、基本的に強い親愛である。
他種族を苦手とするアザーにとってウミは、この街で唯一の同族であり、友人であり、家族だ。
ウミが、仲間たちと冒険者稼業を始めると決めた時、アザーは口ではいつもの通りの悪態をついたが、その夜ウミの寝室を訪れ、泣きながら「死ぬな」と子供のように縋った。
翌日にはまるでなかったかのように元通りの態度に戻り、ウミの冒険者としての生活の世話も始めたアザーだったが、本心ではやはり一人になることへの恐怖が大きいのだろう。
側にいてくれと、曲折を繰り返しながらも伝えてくる。
「……肉が食いてェな」
「! わかった。用意しておこう。よし、口を濯いでもう出ろ。遅刻するぞ」
声を明るくして、アザーは食料庫をあれこれとひっくり返し始める。これはかなり食いでのある夕飯になるだろうとウミは十分に腹を空かす覚悟を決め、口に含んだ水を窓から外へ吐き出す。
「鏡を集めて。異種族共を救ってやった慈悲深い英雄として、胸張って祖国へ凱旋したら。みんな、喜ぶだろうな。お前の両親も。そしたら俺も鼻が高いし、…きっと救われる」
歌うように小声で紡がれるアザーの言葉に、ウミは自らの故郷を思う。
リザードマンの国は、砂漠の中の巨大なオアシスにある。高い壁に囲まれた、閉じた国だ。
近づく他種族は問答無用で殺され、また国民が壁の外へ出ることも禁じられている。無論、一度外へ出れば二度と帰ることは許されない。
……が、もし、外の世界でリザードマンとして大きな戦果をあげての凱旋であれば。再び、あの熱くざらついた砂を踏むことも、叶うかもしれない。
「でも、そしたらお前ェは、またひとりぼっちになっちまうんだぜ」
ウミの独り言はアザーには届かない。
「頑張ってこいよ、ウミ」
ずっしりと重い弁当箱を片手に、ウミは家を後にした。
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