27.スタナーエンショウ
言い過ぎたかな。
迷宮を歩くうちに、カノウの内には後悔の念が首をもたげ始めていた。
エンショウが数字に関することが苦手で、頭を使う作業を避けていることは分かっていた。服を作るのが趣味だが採寸の時はいつも四苦八苦しているし、どうやら線を引くのも苦手らしく型紙を作る時は半泣きになっている。
分かってはいたが、パーティー内の作業分担としてエンショウに地図作りを頑張って欲しいのは事実だった。それはエンショウも理解しているはずなのに、頑なに拒否されたため、ついムキになってしまった。
先程からエンショウは一人遅れて最後尾をとぼとぼと歩いている。何かブツブツと呟いているのを見るに、どうやら歩数を一生懸命数えているようだ。
皆、邪魔をしないようにとそれとなく気にしながらも話しかけないようにしている。
後で、酒場で夕飯をとるときに謝ろう。
カノウは心に決めて、拳を握った。
-
マジでやべぇ。
先程からエンショウの頭の中に渦巻いている言葉だ。
本当に、ガチで、マジで、やべぇ。
痺れは両腕の機能を完全に奪い、誤魔化すために胸の前で組んでいた手はもう離すことができなくなっていた。
焦りで呼吸が荒くなる。パニックになりそうな気持ちを誤魔化すために、地上に出たらやりたいことを小声で唱え続ける。
俺、無事に戻ったらさ、酒飲んで肉食って風呂入って、ハレん家のふかふかベッドで眠るんだ……。
もう意地を張るのはやめて皆に助けを求めたいが、どういうわけかこんな時ばかり誰も話しかけてくれない。付かず離れずの距離を保ちながらも、立ち止まることなく前へ前へと進んでいってしまう。既に大きな声は出せなくなっているため、呼び止めることも出来ない。
しかも、空気を読んでいるのか知らないがモンスターすら全く出てこない。いっそ、何かに襲われたふりをしていきなり倒れてみようかとも思ったが、それで気付かれずに置いていかれたら本当に「終わり」なため、勇気が出ない。
マジでやべぇ。
徐々に、足も痺れてくる。罠の解除をミスした時点で報告するべきだったと後悔だけが膨らんでいく。
地図もちゃんと書くし、これからは宝箱も真面目に開ける。
金遣いも改めるし、迷惑もできる限りかけないようにしよう。
だからお願いだ…! 助けてくれ…!
心の中で叫ぶも虚しく、エンショウは一人、静かな死闘を繰り広げながら、歩き続ける。
-
「一応聞いとくけどよォ、今日は魔法、あと何回使えんだ」
ウミが肩越しに振り向きながらハナコに問いかけた。
ハナコは無表情ながらも決まり悪そうに目を逸らし、小声で「今日はもう無理ね」と答えた。
「お前ェ、炎の魔法苦手なんだろ」
大きな目を細めて言うウミに対して、ハナコは変わらずの無表情だが、その口角が僅かに下がる。
そしてまたしても小声で「ええ」と返事。
「それでも使ったのは、あのクソおかっぱへの対抗かァ?」
「いいえ、違うわ」
今度はきっぱりと答えた。黒い瞳に光が戻る。
「あれは敵の特性を見た上で炎が最適と判断したからよ。結果として魔力量の調整をミスして今日操れる分を全て使い切ってしまったわけだけれど、それでもあの敵を一掃するという成果は出せたわ。炎魔法を使ったのは状況と、判断。あんな性格カスなクソ放火魔への対抗心なんて微塵もあるわけないでしょ。あいつと私は立っている土俵が違うの。いい? あいつはね…、」
ウミの肩を後ろから掴み、顔を寄せながらハナコは早口で捲し立てる。
「あァ…」
面倒な時や疲れている時にする相槌で応答しつつ、ウミはさりげなく両耳を手で塞いでいく。
「じゃあハナちゃんは何の魔法が得意なの?」
カノウが会話を引き継ぎ、興味津々にハナコに尋ねた。
ハナコは少し考えて「魔法具の扱いが一番得意だけれど」と前置きし、
「魔法と聞かれたのなら、氷の魔法ね」
と小さく微笑んだ。
「氷! 似合うね」
カノウの言葉に、ハレとヨミチが「確かに」とそれぞれ温度差の違う表情で頷く。
「いつか、最上級の氷魔法を習得出来たらと思うわ」
ぽつりと呟くハナコが手を振ると、キラキラと煌めく氷の結晶が舞った。
そんな話をしている間に一行は、迷宮を脱する。何かと親しく世話を焼いてくれていた前広場の兵士たちは内広場の方へ移ってしまったのか最近はおらず、賑やかだった前広場はがらんとしている。
「お腹空いたねぇ、早く酒場行こう」
「ハナちゃん、鑑定は後でにする?」
「そういや、その鑑定のことなんだがよォ…」
わいわいと話しながら歩く五人は、既にぽつんと後ろを歩く残り一人のことをすっかり忘れていた。
そしてその哀れな一人のことを思い出したのは、酒場に辿り着き、いつもの席へ座ってビールを六杯頼もうとした時である。
「あれ!? エンショウいなくない!?!?!?」
カノウの叫びに、全員が固まった。
「うっそ……」
ヨミチが口元を抑え、肩を震わせ、「ぶふーっ」と吹き出す。
「いや笑い事じゃないでしょ。いつからいないの」
「迷宮…出てきた時…いたかしら」
全員の心中に浮かぶ最悪の事態。
まさか、迷宮の中に置いてきた……?
「迷宮の方見てくらァ」
「何かあって怪我して動けないのかもしれないから、一応自分も着いていく」
飛び出していったウミを追うように、ハレも店を後にする。
「じゃあ私、家の方見てくる! ハナちゃん、孤児院の方見てきてくれる!?」
「わかったわ。遅れて来ているだけかもしれないから、兄貴はここで留守番。頼んだわよ」
「…はぁい」
そうして一人取り残されたヨミチは、暫く大人しく座って待っていたものの、やがて退屈と、空腹と、店員からの冷たい視線に耐えかね、ビールを一杯頼みちびちびと飲み始めた。
表から聞こえてくる騒音に気がついたのは、二杯目のビールを半分まで飲んだ頃だった。
少し離れたところから「どうしたんだ」「生きてるの…?」と言った声が代わる代わる聞こえてくる。
何かあったのかと、ヨミチはジョッキを片手にふらりと外に出る。そして、目を見開いた。
「嘘じゃん!! エンショウくん!?」
なんと人だかりの真ん中に居たのは、不自然な姿勢で地面に倒れ通行人に介抱される仲間の姿だった。
「何これ、どうしたの!?」
ジョッキを近くの人間に押し付けヨミチはエンショウの顔を覗き込む。
胸の前で手を組んだままごろりと転がるエンショウは、震える瞼をこじ開け、青い瞳を動かしヨミチを見た。どういうわけか身体が全く動かないようだが、目は辛うじて動かせるらしい。
「え、毒? 石化…ってやつ? ほんとどうしちゃったの、これどうしたら治るわけ?」
原因が分からない。介抱していた人々も、不思議そうな顔で首を捻るばかりである。今まで生きてきてそれなりに人と関わってきたヨミチだったが、こんな症状の人を見るのは初めてだった。
とりあえず、仲間…特に、ハナコとハレが戻るのを待つしかない。
そう考え、ヨミチは通行の邪魔にならないようエンショウを道の脇に向けて転がし始める。
何か言いたげにヨミチを睨むエンショウを無視してごろごろと転がしていると、不意に足を止め、声をかけてくる人物があった。
「困ってるの、カナ?」
奇妙な訛りだ。
恐る恐る顔を上げると、脂ぎった肌をした見知らぬ小太りの男が一人立っていた。もう日は沈んでいるというのにフーフーと荒い息をして、肩に下げた手拭いでしきりに顔を拭っている。
やばいの来たな、とヨミチは身構えた。
「えっと、大丈夫です」
ヨミチは、自身の"可愛さ"を極限まで抑え込んだ、一般成人男性モードで対応する。
そうしなければやばいという直感が働いたためだ。
ヨミチの渾身の素っ気ない態度だったが、しかし中年男は引き下がらない。
「具合が悪いのカナ」
「や、普通に眠いだけみたいなんで」
外で変な姿勢で寝るの趣味なんですよこいつ、とヨミチは爽やかに笑って足でエンショウを小突く。
「こんなとこで寝たら危ない…ヨ!」
男は荒い息をさらに荒くしながら不意に屈むと、組まれたまま固まっているエンショウの手をその汗ばんだ手で握った。
「ちょっとやめてください! 大丈夫ですから!」
「あ、これスタナーだネ」
「いやスタナーじゃ…え、スタナー?」
「きみ、新人冒険者クンかな」
「え、んん…?」
「寺院に行こう、ネ!」
そう言って、男はエンショウを軽々と抱えあげた。いわゆる、お姫様抱っこである。
エンショウの視線がうるさい。
「寺院が近くて良かった、ネ」
酒場から寺院までは目と鼻の先である。男は迷いなく寺院へ向かうと、エンショウと共に中へ消えていく。
呆気に取られて見送ってしまったが、中で大変なことになってたらどうしよう。
ヨミチはチラッと思い、今からでもついていこうかと考えたが、先程の親切な通行人がジョッキを返しに来たため一度留まる。お礼を言って残っていたぬるいビールを口に含むと「まあ…いいか」という気持ちになってしまう。
得体の知れない宗教施設ではあるが、冒険者は頻繁に利用するようだし、滅多なことにはならないだろう。
エンショウの無事を、ビールを飲みつつ祈っていると、寺院から男が一人で出てくるのが見えた。
「今、治してもらっている、ヨ。スタナーの解除に失敗しちゃったの、カナ。麻痺するとああなっちゃうから、君も気をつけてネ…!」
「ありがとうございます。助かりました。…その、詳しいんですね」
どうやら考えていたような人物ではないらしいと警戒を解きつつ、ならば一体何者なのだろうと探りを入れる。
「おじさん、元々はここの迷宮の冒険者だったんだ、ヨ」
ヨミチはぴんとくるものがあった。ミッシュルトが口にしていた言葉…その時ヨミチは意識を飛ばしていたため後から聞いた話だが、どうやらこの迷宮に出入りしていた腕の立つ冒険者たちは、今は他の迷宮へと活動の場を移しているらしい。
そのことをそれとなく男に尋ねると、男は細い目を更に細めてため息をついた。
「冒険者稼業は何かと金がかかる。だから、引き上げてきた宝やモンスターのパーツを売って稼ぐ。そうでないと成り立たない。だというのに、この街にはなぜか、迷宮内から引き上げたものを取引できる店が一つしかない。もっとあってもいいと思うだろう。つまり上からの……おっとこの先も聞きたい…カナ?」
「いいえ、まったく」
にっこりと笑うヨミチに、男は「長生きするネ」と頷いた。
「そうだ。寺院の利用ってお金かかりましたよね」
ふと思い出して、口にする。財布はハナコに管理されているため今持ち合わせはないし、エンショウの財布への期待は皆無だ。お金を返すには必然的に、仲間が戻るまで待っていてもらうことになるだろう。
そのことを説明すると、男は首をゆっくりと横に振った。
「お金なんていいんだ、ヨ。そんなことより、おじさん…君みたいな子がタイプで…ネ!」
そっと触れられた手から全身へと鳥肌が広がり、頭の中で警報音が鳴り響く。やはり直感を信じるべきだった。男には確かに親切にしてもらったが、それとこれとは話が違う。
どうしたものかと逃げ道を探していると、寺院の入口から元気になったらしいエンショウがのこのこと出てくるのが見えた。
ヨミチは男の手を振り払い駆け出すと、エンショウの腕に縋り付いた。
「僕、今こいつと付き合ってるんで…! こいつのこと、裏切れないんで!」
最高に可愛い顔を作り、上目遣いにエンショウを見つめる。
「頭打ったん?」とエンショウはヨミチの頭をまさぐりこぶを探すが、やがてヨミチの熱い目配せと男の視線でなんとなく状況を理解すると、一瞬心底嫌な顔をした後に「あー…うん。そうだったかも」と頷いた。
男はそれを聞き、フッと鼻で笑う。流石に誤魔化しが雑すぎたか…と舌打ちを堪え次の手を考えていると、男は突然ぱちんっとウインクを飛ばした。
「病気には気をつけるんだ、ヨ。治癒代は…御祝儀だと思って、ネ…!」
そしてくるりと背を向け、本当にすたすたと人混みの中に消えていってしまった。
取り残された二人は暫く無言でくっついていたが、我に返ってパッと手を離すと、それぞれ一歩ずつ距離をとって歩き出す。
「…反省してよね、ダーリン」
「ごめんなさい、ハニー…」
エンショウは、やがて戻ってきたメンバーにこっぴどく叱られた後、無事を祝うという名目で散々に酒を飲まされ、泥酔した挙句に方向性の違いを理由にヨミチに振られ、無事独り身に戻ったのだった。
ちゃんちゃん。
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