15.着たい服



 下宿先を出る前に、この街に来た時の服に着替えておいた。

 三倍に伸びたうさ耳はどう頑張っても直らなかったが、尻に空いてしまった穴は大家の老婦人に借りた裁縫道具で不器用ながらも閉じたため、一応服として成り立っている。

 可愛いピンクのふわふわうさぎさん。「日常」へと帰る準備は、ばっちりだ。


 気合十分で下宿先を出ると、都市を貫く大通りへと向かった。

 大通りを少し進んだ先で横道に逸れ、昼前で賑わう市場を突っ切る。

 そのまま街の外れへ向かいどんどんと歩いていくと、また少し大きな通りに出る。

 轍が刻まれ、馬車がしきりに行き交う通りだ。道沿いには厩が並び、その奥には大小の倉庫が聳えている。ヨミチは、通りの端、馬や荷車の手配をする事務所が並ぶ一帯から、老婦人が話してくれた「馬車屋 ウェーズデー」の看板を探し始めた。


 果たしてウェーズデーは、通りの端も端、一番奥まった角にひっそりと建っていた。商人を相手にする他の店舗と違い、個人の客を運ぶことを主にしているらしいその店の、人の出入りは寂しそうである。

 客待ちと思しき御者たちが煙草を吸って談笑している横を通り、店の中へ踏み込んだ。


「ごめんくださぁい。あの、馬車の手配をお願いしたいんですけどぉ…」


 店内のカウンターには誰もいなかったが、そう声を掛けると奥の方から「はい」と返事があった。若い男の声だ。

 随分と歴史のありそうな店構えであるため、いかめしい老人でも出てくるのではないかと考えていた矢先、少し拍子抜けする。

 店内に飾られた蹄鉄や、日焼けした地図を眺めながら待っていると、


「お待たせしました」


 と、音もなく店主は現れた。その姿を見て、ヨミチは思わず目を見開いた。


 可愛らしいエプロンを付けた……リザードマン。


 ウミとは違い、金の髪と、黒っぽい鱗をしている。表情は硬いが、垂れ目で華奢な、それこそ王子様といった表現が似合いそうな優男だ。


 リザードマンは、幻とすら呼ばれている種族だ。実在しないと思い込んでいる人も珍しくないし、出会うことなく生涯を閉じるのが普通である。

 砂漠の真ん中で、リザードマンのみの完全に閉じた国家を作り、排他的に暮らす未知の種族。

 この短期間で二人も出会うなど、まさか思わなかった。流石、迷宮擁する都市は違う。田舎育ちのヨミチにはあまりにも刺激的だ。

 だから、早く帰ろう。ここは自分のいるべき場所じゃない。


「あのぉ」

「ああ。あんたがヨミチか。なるほどね」


 そのリザードマンは、ヨミチを一目見るなり、そう独りごちた。


「ん?」

「ウミ、待ち合わせの人来たぞ」

「え?」


 奥からのそりと、見覚えのある青緑のトカゲ人間が出てくる。


「思ったより早かったじゃねェか。ンじゃ行くか。あ、荷物置いてけ」

「は?」


 リュックが金髪リザードマンに引き剥がされる。わけもわからず立ち尽くしているその背をウミに押され、店を後にした。


「え?」

「まァ、なんだ。ご愁傷さまってなァ。くく」

「……え?」


 全く現実を受け止められないまま連行は続き、気がつくと酒場や宿屋のある街の中心の広場まで辿り着いていた。


「おー、ウミヨミチ。一緒に来たんだな」


 広場の花壇に腰かけたエンショウが手を振った。その手には白い糸とかぎ針が握られている。待っている間に、何か編み物をしていたらしい。

 赤毛は緩くシニヨンに結われ、顔には薄く化粧を施していた。髪色に映えるオレンジのリップが昼の光に艶やかに光る。


「ハナコにコイツを"迎えに行くよう"、ハレん家からの帰り際に頼まれてよォ。アザまるの職場で待ち合わせてたんだわ。なァ?」


 大きな目をニヤニヤと細めてウミはヨミチを見る。

 ようやく全ての合点がいったヨミチは「そうなんだよねぇ。本当によく出来た妹でさぁ」と鼻に皺を寄せた。


「ん? ハナちゃん来れねぇの?」


 エンショウが、器用にかぎ針を動かしながら言う。どうやら、レースを編んでいるようだ。


「レポート書くから忙しいってさ」


 ヨミチが、しわくちゃな顔のままエンショウの隣に腰掛けて答えた。「どうした、喧嘩でもしたのかよ」とヨミチの皺をエンショウは笑う。


「他は」


 ウミが、人通りの忙しい昼前の広場を見渡して言った。そろそろ待ち合わせの時間のはずだが、ここには三人しかいない。


「カノウとハレは院長に急に呼び出されたから行ってくるって。さっき駆け足で言いに来た。金は預かってる。まああの感じ、院長というより弟さんだろうけどな」

「弟さん?」

「二人が育った孤児院の、院長の、弟さん。エルフの兄弟なんだけど弟の方が、まぁ……癖が強い人なんだわ。な? ウミ」

「知らねェよ」


 愉快げなエンショウと引き換え、素っ気ない態度のウミを見るに、どうやらその弟とウミの間には何やら因縁があるらしい。

 用事がある人間を当日急に呼び出す横暴を振るっている時点でなんとなく人間性の予想はつくため、ヨミチは頭の中の関わらないようにしようリストに「孤児院の院長の弟」と記入する。


「っていうか、ハレくんは元々買い物は来ないで冒険者登録しに行くって話じゃなかった?」


 はたと思い出し、ヨミチは言った。


「あー、それね! ほら、よくよく考えればさ、ハレの名前でもう冒険者登録してる人いるじゃん?」

「……あ、レダタちゃん」

「そゆこと」


 器用にするすると動く手が魔法のようにレースを編み上げていくのを、ヨミチとウミはなんとなく見つめながら会話する。

 通りすがりの人々は、ウミを見てぎょっとした後、その視線の先の編み物をする化粧をした男と、その隣のピンクうさ耳男を不思議そうな顔でじろじろと見る。

 視線に晒されることには慣れているのか、二人に特に気にする様子はない。ヨミチも、後ろ指をさされようが堂々とヒモとしての人生を選んだ男である。可愛いものを見ちゃうのは仕方ないよね、と全く気にしない。


「よし、出来た!」


 にんまりと笑い、エンショウは手を広げた。美しい模様の丸いレースが出来上がっている。


「すごい、綺麗だねぇ」

「だろ。意外とこういうの得意なんだよ俺は」

「それどうするの?」

「ん、髪飾りでも作るかな。この服に合わせてさ」


 レースにかぎ針、残った糸を腰に巻いた鞄に仕舞うとエンショウは立ち上がった。

 背が、昨日より高い。足元を見ると、ヒールのあるブーツを履いている。


「見ろ。今日、チュニックなんだ。丈長くしたから、ワンピースの方が近いけど」


 ふわりと広がった白い服。レースを施された裾を掴み、エンショウは軽やかにターンをきめる。


「足が短く見えるなら、長くすりゃいいだろ? 本当はブーツじゃなく、女物のハイヒールが良かったんだけどな」

「毛がなァ?」

「毛がなぁ!」


 ウミとエンショウは顔を見合わせて、へへへ…と笑う。何か、お約束の"ネタ"があるらしい。


「お裁縫得意だったらさ、僕のうさちゃんの耳も直せる?」


 ヨミチが、しょんぼりとうさぎの耳を揺らして言った。エンショウは伸びきったそれを手に取りしげしげと眺めると、


「あー。どうだろなぁ」


 と首を傾げた。


「耳ごと付け替えるならありかな。でも、どうだろ。ヨミくんさえ良ければ、新しい服作るけど。この間、院長からたくさん布貰ったばっかなんだ」

「院長って、さっき言ってた孤児院の?」

「そ! 孤児院の子にさ、誕生日に一着ずつ、オーダーメイドで服作ってやってんだわ」

「え、すごぉい!」


 ヨミチは目を輝かせて、拍手を送る。


「ただのちゃらついた今どきの若者かと思ってたよぉ! 見直した、すごいんだねエンショウくん♡」


 ヨミチの言葉に「よせやい」と照れ臭そうにエンショウは鼻の下をこすった。


「お前ェら、ほんとピラピラ好きだよなァ」


 やはり服を着ることには抵抗があるらしいウミが、自身の身につけている服を指でつまんだ。

 よく見たら変わった構造の服だ。体に巻き付けた布を、腰の辺りで紐で縛って止めてある。

 尾が出るように背面の腰から下にはスリットが施されており、上は袖も襟もゆったりと作られていて、襟足に生えるトゲの邪魔にならぬよう自分で肩を抜くなりして調整できるようにしてあるようだ。


「あ、ヨミチくん気づいちゃいました? いいでしょ、この服。東から来る人達がたまに着てる服を模して作ってみました。窮屈じゃなくていいと、この街のリザードマン界隈の皆様にも好評です」


 鼻高々に言い、エンショウは素材から始まる服のポイントの説明をし始める。

 ウミは、いちいち服を捲ったり持ち上げたりするエンショウを払い除けながら、「界隈もクソもねェだろ、二人しかいねェんだから」と呟いた。

 好評であるところを否定しないのは、恐らくウミにとってもこの服は悪くないものなのだろう。

 都市で暮らす以上衣服の着用は必須である。多種多様な種族が暮らしていて、それぞれの文化がある程度尊重されているとはいえ、衣服の着用はどの種族にも共通していることだ。不服であっても、着ざるを得ない。それならば、リザードマンの特徴を殺さず、楽に着れるのならば、それに越したことはないだろう。いい服だな、とヨミチは感心した。


「エンショウくん、服が好きなんだねぇ」


 しみじみと、ヨミチは言った。


「……うん。誇りを持てる服を、みんなが着れたらいいなって。そう思うんだよな」


 頷き、エンショウはそう答えた。その瞳に、僅かに寂しげな翳りが過ぎった。


「…さ! んなこと言ってる場合じゃないな! 買い物行くぞ買い物!」


 しかしその憂いも一瞬のもので、エンショウはパッといつもの笑顔を浮かべると財布の入る腰の鞄をぱんぱんと叩いた。


「あーあ。パシられてるみたいで気乗りしないなぁ」

「みてェじゃなくてよォ、パシられてんだぜ」

「代行って言わね!? 買い物代行チームエンショウミヨミチ、初出陣だ!」

「二度目はないし語呂悪ぅい!」


 好奇の視線を明るい会話ではね飛ばし、三人は商店へ向かい歩き始めた。

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