6.レダタⅡ
ハレを失い一人になったレダタは、いっそう家業に励んだ。それに加えて大神殿にも足繁く通い、他種族からは僧侶の業と呼ばれている一通りの魔法、神秘を全て身につけた。
全ての掟を覚え、全ての仕事をこなし、全てを完璧に行う。
面倒だと思っていたことも、こっそりと破っていた掟も、残らず全うした。
空き時間には、勉学に励む。魔法の勉強に加え地理、歴史、経済まで。妖精の森の外で使われている、公用語と呼ばれる言語も覚え始めた。
ハレを失って以来、彼女の頭の中には一つの暗い穴がある。ハレが生まれた時。その祝福をしたのは自分だったという、穴。
神の罰。
もしや、自分がフェアリーとして不真面目であったがゆえに彼になんらかの罰が降り注いでしまったのではないか。与える祝福の手順が間違っていて、こんなことになってしまったのではないか。
考えるほどに恐ろしく、レダタはますますフェアリーとして正しく生きた。
そうすれば、いつかハレが戻ってきてくれるのだというほんの僅かな期待もあった。いつか神が私を許し、奇跡によってハレの身長が戻り、森へ帰ってくるのではないかと。そんな夢を見た。
神に尽くす。無理をしてでも。心を殺してでも。ハレのために。
-
「仲良しの友達ができたよ」
随分ぶりに妖精の森の入口に顔を出したハレは、以前と比べて体ががっしりとしていて、痩けていた頬も豊かになっていた。身長はまた伸びて、もう人間の子供と比べても大きい方なのではないかというくらいだった。それにひきかえレダタは、ハレの大きな掌二つ分ほどの身長しかない。
「どんな子なの?」
ハレの隣で切り株に腰掛けたレダタは、大きな目の端に金箔を散らし、髪を結い上げ、白い豪奢な服を着ていた。
その頃、レダタは大神殿に仕える女神官の一人になっていた。怪我や病気で訪れる人々を、神秘の力で治癒する誉ある職だ。
ハレとレダタの間が、ちょうど森と外の境である。ハレが森へ踏み込むことは許されていないし、レダタが外へ出ることも、また許されていない。
その距離をもどかしく思いながらも、会えるだけまだいいじゃない、とレダタは自分に言い聞かせ、笑顔を浮べる。
「どんな子かー。うーん。名前は、カノウ。強くて逞しくて面白い子だよ」
「カノー?」
村長たちは、神託により選ばれた最良の場所へハレを預けたと話していた。ハレも、会う度に楽しそうに生活のことを話してくれる。
だが……本当だろうか。
この子は、嫌なことを嫌と言えない、泣き虫なのだ。もしかしたら、辛いことがあっても言い出せないだけかもしれない。背の高いフェアリーなど、他の種族からしたら異様な存在だろう。そもそも、フェアリー自体が外では滅多と見ないのに。虐められてはいないか。悪い奴に、誑かされていないか。
浮かべた笑顔の裏で、レダタはハレの言葉を一つ一つ吟味する。
「うん。ドワーフの女の子なんだ」
レダタの瞼がぴくりと動いた。
「……ドワーフなんているんだ。……野蛮だって聞くけど」
心の底で、どろどろとした嫌なものが蠢く。それは動く度に内壁を腐らせ、爛れさせる。
ドワーフの女など、筋肉質で頭の悪い醜女ばかりと聞く。だがハレは、同年代の女との付き合いがほとんど無い。
言い寄られなどしたならば、どうだろう。自分と背格好の近い下品な女に、迫られなどしたら。
レダタ含め、フェアリーは恋愛に関しても厳しい掟がある。だが、外に出たハレにその縛りは無い。ああ。……嫌だ。
「え、そうかな。良い子だよ。女の子だけど剣を習っててさ、すごい力持ちで、薪なんてこんな山ほど抱えられるの」
「ふーん……。女のくせに、剣なんて持っちゃうんだ。それで将来、どうするつもりなんだろう。やっぱり、ドワーフは考えることが違うね」
「将来かあ。でも、カノウなら人の役に立つことができるんじゃないかな。自分なんて、この図体で男なのに剣なんてからっきしだし、薪割りすらろくにできないもん」
「いいよ、ハレは薪割りなんてしなくたって。そんなの、やりたい物好きにやらせれば」
「はは。カノウと同じこと言う」
からっと笑った。それは、レダタが見たことの無い笑顔だった。
カッと、頭に血が上るのを感じた。
「その子のこと、好きなの?」
気がついた時には口をついていた。慌てて口を抑えるが、もう遅い。
ハレは少しぽかんとした後に、顎に手を当てて考える。
やめて。
レダタの細い体の中で、心臓が気持ちが悪いほどに跳ねている。
それでもハレの顔から目をそらすことが出来ず、その愛しい横顔を食い入るように見つめた。いつも、横顔だ。レダタの小さな視界に映し出されるハレは、いつも、横顔ばかり。
神に仕え、神の御業を引き出す者は、何者も恋い慕ってはならない。
これで、ハレの答えを受けて自分はどうするつもりなのだろうか。
ドワーフを好きだと言ったら、邪魔をするのか。好きじゃないと言ったら、自分の中の…この、守りたいという気持ちの根源を……形にするのか。
どちらも、許されないのに?
シミひとつない、純白の衣の裾を握りしめる。
「好きかどうかは……わかんないや。友達だし」
頷きながら、ハレは言った。
「そう……」
口角が、上がるのを感じた。胸に広がる感情は、安堵だ。
それでいい。ドワーフの女なんて、好きにならなくていい。怖いことがあったら退けてあげるし、泣いたら泣き止むまで一緒にいてあげる。いつでも話を聞いてあげるし、辛い時には抱き締めてあげよう。
そしていつか、ハレがこの森に帰ってくることがあったら、その時は。
しかし、ハレの口から次いで出た言葉は、レダタの心を凍てつかせた。
「でも、ずっと一緒にいれたらなって思ってるよ」
胸をぎゅうと抑えた。
「な、なんで……?」
レダタの震える声に気づかず、ハレは照れ臭そうに頬をかく。
「カノウって、すごく自由でさ。自分がやりたいことを、いつも全力でやるんだ。ドワーフだからとか、女だからとか、関係ない。納得出来ない決まりや決めつけには絶対に従わない。自分の心にすごく素直で、強い子なんだよ。すごく尊敬してるし、魅力的だなって思ってる。あ、友達としてだけど」
自由、なんて。
そんな選択肢、私には、無かったのに。
「あ、そういえばさ。聞こうと思ってたんだ。もしかして、その格好って……」
ハレの言葉を遮り、羽を広げた。森の境を越えて、その首筋へ抱きつく。
少し汗をかいた肌と、よく知った匂い。目を閉じ、頬を擦り寄せる。心臓がうるさい。全身が熱かった。
ずっとこのまま、このままいられたらいいのに。
「くすぐったいよ、どうしたの?」
ハレは無邪気に笑い、優しくレダタを引き剥がす。どうしても届かない。こんなに、こんなに、この子を……愛しているのに。
ハレと別れ大神殿に戻ったレダタは、自分が一番得意だった「治癒」が使えなくなっていることに気がついた。
長すぎる休暇の後、レダタは神官としての任を解かれた。
-
都市の外れ、妖精の森からほど近い場所にその孤児院はある。
年若いエルフの青年が二人で管理をしていて、いつも、一五名ほどの子供が生活をしていた。
ハレの育った場所だが、ハレはここにはもういない。一八になった頃、ここを出て都市を挟んだ反対の森の中に家を建て、それからは一人で暮らしていた。
ハレを快く世話してくれたことへの礼として、村はハレが巣立ったあとも毎年春になると薬草を届けていた。
希少な薬草の詰まった小瓶が三つ。届けるよう言いつかったのは、レダタだった。
元々、森の外へ出る許可が降りるのは、神聖な職から遠い者たちばかりである。神官で無くなったレダタは、産婆の手伝いをすることも叶わず、野鼠狩りをして暮らしていた。
「ここで待っていてくださいね」
顔に酷い火傷跡のある、片脚のないフェアリーの少年に案内されて、応接間の大きなソファに腰掛ける。フェアリーではあるが、森では見たことはない顔だった。どこか他所の生まれなのだろう。外の世界というのは、本当に残酷で醜くて嫌になる。
「すぐにいらっしゃると思います」
フェアリー用に用意されているのであろうトレイテーブルに、茶の注がれた小さな茶器を置くと、少年は部屋を出ていく。ドアの無い部屋。きっと、種族間の体格差を考慮してよく出入りする場所はドアを外したのだろう。
暖炉、テーブル、本棚。四角張った巨大な人工物に囲まれていると、どうにも落ち着かない。入れられた茶を口に運びつつそわそわと周囲を見渡していると、廊下を歩いてくる足音がした。
施設の長のエルフかと思ったが、同時に聞こえてきた声からそうでは無さそうなことが分かる。軽い調子で話す男と、少し掠れた低い女の声。仲が良さそうに冗談を言い合いながら廊下を奥からこちらへ向かってくる。
「ウミは迷宮、行くって言ってくれたよ」
「マジ!? めっちゃ助かる〜! ウミいりゃ大体なんとかなんべよ」
「これで、戦士が二人でしょ。で、あんた盗賊」
「盗賊ね……。ずっと思ってたけど、他にいい名前無かったんかね。盗賊って、悪い奴みたいじゃねーか」
「すごく手が器用マン」
「それなら盗賊のがマシ」
「手癖ワル男」
「悪口じゃん」
「鍵開けるのじょうずビト」
「その辺のセンスをカノウに期待してないからいいよ。で? 回復要員の目処は?」
カノウ。
その名に思わず顔を上げた。
ドアのない部屋。廊下がすぐに見える。二人、横切った。妙に着飾った赤毛の痩せた男と、髪を刈り込んだドワーフの女。
女は笑い、口を開く。
「ハレを誘おうと思ってるよ」
……は?
「おっ、いいねぇ〜! 暇そうだし来てくれっしょ多分」
「でしょ。明日、声掛けてみようと思うんだよね」
カノウ。あの女が、カノウ。
ハレの名を、口にした。
迷宮? 迷宮にハレを、連れていくっていうの…?
あんな場所に? 死亡率を知らないの? 何人、帰ってきていないと思うの? そんな軽い口調で……私のあの子を、怖い目に合わせるつもり?
意味がわからない。
そんな恐ろしいこと……許せるわけがない。
怒りが湧き上がった時には、行動にでていた。部屋を出るとちょうど先程のフェアリーの少年に会ったため、急用ができたと声をかけ、小瓶を押し付けると孤児院を飛び出した。
森に戻ると、誰にも気づかれないよう髪を切り、木の汁で茶色く染めた。厚い眼鏡で目を隠し、翌日ハレの家の近くで彼女を待ち伏せて声をかけた。
「カノウ!」
ハレの振りをして、相手に自分がハレだと納得させるのは簡単だった。
だって私はハレのことを、誰よりも知っている。
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