5.レダタ


 カノウの「抜け」は今に始まったことじゃない。

 指定禁書を古紙回収に出し、レプリカの剣で旅に出て、市場で買った生卵からひよこを孵そうと懐で温めて腐らせる女だ。

 それに加えて常軌を逸する善人で、騙されやすく、嘘をつくのも下手。

 そんなカノウの性質を分かっていて、疑わなかった自分たちが悪いのだ。


 つまり、ハレが自分の知る姿の十分の一のサイズであるとか、なんかカタコトだったのとか、変なメガネかけてるとか、そういう全てに突っ込まなかったのがそもそもの罪という話だ。

 よくよく思い返せば、どう考えてもおかしかったのに。


 エンショウは唸り声をあげながら、頭を抱えてしゃがみこんだ。


「つまり、治癒は使えねェんだな?」


 肩で息をするウミが、ハレを「名乗っていた」フェアリーの小さな体を鷲掴みにし、鋭く尖った歯を剥き出しにして顔を寄せながら聞く。

 フェアリーは初めこそ悔しげにウミを睨みつけていたが、鉤爪のついたトカゲの手に力が込められると苦しげに身を捩り、呻きながら頷いた。


「もう今更何が起きても驚かないもんねぇ」


 そう言って笑うヨミチは、額から流れる血が止まらず、目に入らないよう何度も何度も袖で拭っている。その隣で、ハナコはヨミチに寄りかかり疲労からかじっと目を瞑っていた。


「どうして?」


 立ち尽くすカノウが、呆然とした顔で呟いた。


「どうして騙したの……?」

「オマエが! ハレを迷宮になんて連れてこうとするから!!」


 甲高い声でフェアリーは怒鳴った。

 分厚い眼鏡の奥で、涙が零れた。




 -



 どん臭くって、すぐに泣く。嫌と言えない優しい子。でも大丈夫、私が守ってあげるから。怖いこと全部から、私が守ってあげるから。



 産婆をしていたレダタの母が、近所に住む若い夫婦から子を取り上げた時、レダタは三歳だった。


「お友達になってあげてね」


 柔い木の蔓を編んで作ったベッドの中で、その小さな生き物は綿花に包まれ眠っていた。窓からは柔らかな陽射しが差し込んでいて、神聖な柄の刺繍された白いカーテンが優しく風に揺れていた。

 習った通りに膝をつき、祝福の言葉と印を捧げると、赤子の額へ顔を寄せる。吐息を吹きかけ、瞬きを二回。

 大人たちの暖かい視線を受けながら、幼いレダタは決まり通りの儀式を終える。儀式で始まり、儀式で終わる妖精の一生。ハレと名付けられた赤子の人生は、産婆の娘、生誕を司る者レダタから与えられる祝福により始まった。

 赤ん坊の頭は、甘い匂いがする。

 そんなことを思いながら、レダタは健やかに寝息を立てるその小さな小さな生き物を見つめていた。


 -


 子供の少ない妖精の森。レダタとハレはいつも一緒にいた。

 家の手伝い、日課の儀式、毒虫退治におにごっこ。家を出てから帰るまで、二人は当たり前に共にいた。

 ハレは、他で見たことがないほどに背の大きな子供だった。四歳になる頃には三つ上のレダタの背を抜かし、六歳になる頃には大人のフェアリーに並ぶほどになっていた。

 遊んでいても何をしていても、膝や肘が痛いとよく泣く。レダタはその度に手作りの痛み止めを持ってきては、泣き止むよう宥めながら細い体の丸い膝、尖った肘に塗ってやる。


 八歳になると、子供たちは皆、森の大神殿で行う儀式の準備を手伝わなければならなくなる。

 週に一度、二人は大きな籠を背負い森の奥の花畑へ向かうようになった。

 本来、レダタは家業の手伝いがあるため大神殿の儀式に関することは全て免除されている。だが、本人たっての希望で、仕事の合間を縫ってはハレの手助けをしていた。

 黄色の羽を使い軽やかに飛ぶレダタの隣で、ハレは足を引き摺って歩いている。体の成長に追いついていない小さな羽では飛ぶことが出来ず、軋む膝を庇いながら歯を食いしばって歩く。その姿があんまり哀れで、代わりに行ってくるからこっそり待っているようレダタはいつも言うのだが、ハレは決まって首を横に振る。

 規律、戒律、掟に縛られるフェアリーの生活において儀式はとても大事な要素だった。儀式を中心にして、生活が回っていると言っても過言ではない。

 それゆえに、儀式の準備を疎かにすることは許されない。誠心誠意尽くし、罰当たりなことはしてはいけない。村の大人たちはそう、口を酸っぱくして子供たちに言い聞かせる。だが子供などそう上手く扱えるものではない。サボって遊んでいて大目玉を食らうなど皆一度は経験している事だった。

 たかが儀式の準備。誰にでもできる簡単なお使いだ。それをわざわざハレにやらせ、意味の無い苦しみを与えることになんの意味があるのだろう。儀式に疑いを覚えることは許されていない。だが、それでもレダタは内心で不満を覚えていた。

 融通のきかない大人にも。馬鹿がつくほど真面目で不器用なハレにも。


 休み休み歩きながらようやく花畑につき、籠に花を詰め込み始める。魔力の豊富な妖精の森の花畑はいつ摘みに来ても満開に花が咲いている。

 時間をかけようやく花を摘み終え、帰路に着く。その頃にはハレはもう立ち上がることすら覚束なくなっているため、レダタは自分より遥かに大きな男の子を背中におぶって帰る。爪先が地面についてしまっているため、おぶるというより、引きずるような形だ。巨体のハレに加えて花籠もあるためよろめくほどの重さだし、羽が潰されて根元が酷く痛い。それでも、なんでもないようなふりをして明るく話しながら歩いた。

 ハレの暖かい息と涙がうなじに落ちる。長く、筋張った手が首に回されているのを感じると、レダタは、なんだかどうしようもないような気持ちになった。

 側にいて、守ってやろうと思った。この友を。……可哀想で愛しいこの男を。


 その後もレダタはあれこれとハレの世話を焼き、助け続けた。ハレもそんなレダタを労り、ことある事に感謝と謝罪の言葉を伝えた。

 年月どころか、日を追う事にハレは大きくなっていく。家の中だと物理的に窮屈なので、ハレは何をするにも外で行うようになった。常に背筋を丸めているため、針金みたいな体は丸まり、いつのまにかひどい猫背になっていた。

 ハレの異常な体を見て「良くないこと」を疑う者も現れた。だが、ハレの目はあまりにも母親似で、モンシロチョウの羽や柔らかくウェーブする茶色の髪はあまりにも父親似だった。

 ハレの家族も村のみんなも、この朴訥とした少年を愛していた。だが、解呪をしても、祈祷をしても、ハレは変わらない。必死になってあれこれと手を尽くす度に、どうにもならない現実だけが突き返されていく。

 ハレの家族だけでは足る食事が用意できないので、毎食、村総出で持ち寄った。木のうろに作られた家にいよいよ入れなくなったので、巨木に雨風を凌ぐひさしをつけてその下にいれてやった。

 夜半、膝を抱えて一人で眠るハレが可哀想で、掟を破り家を抜け出しては、レダタはハレの傍らでその大きな体にしがみついて眠った。

 甘やかな香りは、赤ん坊ではなく、ハレの匂いなのだと知った。


 ハレが外で暮らすようになって一週間が経った頃。レダタは表から聞こえる騒がしい声で目を覚ました。カーテンを捲り窓から外を覗けば、いつも通り膝を抱えて座っているハレがまず目に入る。そして、その周りを囲む、難しい顔をした大人たち。

 ハレの身長は昨日より伸びているように見えて、もうフェアリーだと言っても誰も信じないであろうほどになっていた。

 嫌な予感がして、レダタは慌てて身支度をする。顔を洗い、豊かな金の髪をさっと梳かすと、朝の祈りも、神と家族への感謝の言葉も、顔の粧いの儀も全てすっぽかして羽を振るい窓から飛び出した。


「レダタちゃん…」


 大人たちの中にはハレの両親もいて、やってきたレダタを見ると顔に浮かぶ憂いを濃くした。


「おば様、おじ様、どうなさったの!?」


 ハレの前には、大量の「金」が置いてあった。妖精の森の外、都市で使うようなものだ。ざわりと、頭皮が逆立つような感覚がした。


「ハレをどうする気なの」


 レダタは自分でも驚くほどの低い声でそう訊ねた。

 大人たちは、顔を見合わせるばかりで答えない。


「外の孤児院へ行くんだよ」


 答えたのは、ハレだった。その口調には悲しむ様子も、喜ぶ様子もなかった。

 ただ、隈に覆われ濁ったその瞳から、この少年がここにいることにもう疲れきってしまっていることだけが分かった。

 その後、ぽつぽつと集まりだした住民たちの前で村長が事の経緯を説明する。

 要約すれば、彼らは幾度にも及ぶ話し合いの末に、ハレの身長によって生じる最大の問題は、ハレが村の決まりにそぐえないことだと断じたようだ。

 ハレがもう、フェアリーたちと同じ規格で生活出来ないことは誰の目にも明らかだ。ならば可哀想だが、神の罰がハレや村に落ちる前に、この神聖な森から外へ出してしまおうということだった。

 人間や野蛮な他民族のいる場所になんの罪も無い子供を一人で送るなんて、という抗議もあった。しかし、「罰」という言葉にはそれを鎮めるだけの力があった。


 当たり前に、ハレは自分のそばにいるのだと思っていた。


 そのうち、ハレでも住める大きな家をみんなで立てて、ただ大きいというだけの優しいフェアリーとしてこれまでと同じようにここで暮らすのだとばかり思っていた。

 外の世界へ行ってしまうという選択肢は、想像の上ですら、無かった。……無いと思い込んでいただけかもしれない。


「嫌よ」


 うわ言のように口にすると、ハレは微笑む。


「でも、行くよ」


 ハレは、膝を庇いながらゆっくりと立ち上がった。彼が立ち上がるのを見るのは、随分と久しぶりの事だった。少しよろめき近くの木にぶつかると、中で暮らす家族がその衝撃に悲鳴をあげる。

 ハレは足元に積み上げられた山ほどの金を軽々と持ち上げると、ずっと曲がっていた背筋を伸ばし、胸を張った。きっと、彼にとってはただの伸びなのだろう。しかしレダタには、自分を縛っていた掟を引きちぎり外へ向かうという意思の表明のように見えた。

 守ると決めていたはずなのに。その背を引き止めることが、レダタには出来なかった。

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