13.ワールドイズマイン


「レポートを書きたいの…昨日一日潰してしまったから……学校に提出しないといけないのよ…現地調査、迷宮の魔力濃度……クソ、まだ頭が痛いわ」


 左手に持ったカップでハーブティーをゴクゴクと飲みながら、右手でペンを乱暴にインク壺へと突っ込む。飛んだインクの飛沫が紙を汚し、鋭い舌打ちが飛んだ。

 地を這う唸り声をあげながらペンを放り、イライラと髪を掻きむしると、新たな紙を引っ張り出してきてガバリと机に齧り付く。


「えっと、それはつまり、お兄ちゃんは今日、ハナちゃんとは別行動ってこと?」


 ハナコが契約した下宿先。ヨミチに宛てがわれた小部屋とハナコの部屋を繋ぐ短い廊下に立ち、ハナコの鬼神のごとき後ろ姿をそっと覗きながらできる限り刺激しないよう小声で尋ねた。


「お金はそこの棚にあるから。私の分も頼んだわよ。余計なものは買わないでね。兄貴……わかってるわよね」


「わかってるわよね」のところでわざわざこちらを振り返り、指をさす。

 真っ赤に充血した目で見つめられると腹の真ん中がきゅうと縮こまるような感覚がした。これが蛇に睨まれた蛙の気持ちか。

 言われた棚から財布を手に取ると、出来る限り音がしないようゆっくりと扉を締める。

 カチャン、という軽い音と共に扉が閉まった瞬間、ヨミチは腕を振り上げて飛び上がった。足音を立てないよう気をつけつつ全力で小躍りする。ああ、神様! ありがとう!

 叫びたい気持ちを抑えてすぐさま自分の部屋へと引っ込み、この街へ来た時のままの、荷解きされていないリュックを背負う。


 ごめんねハナちゃん!

 でもやっぱりお兄ちゃんは、痛い思いしたくない!

 ハナちゃんもそこそこにして帰ってくるんだよ!


 なんでもない様な顔をして階段を降りると、家主の老婦人に馬車屋の場所を聞いた。

 実の妹から黙って逃げることには罪悪感があるが、致し方ない。


 再会した時に、殺さないでね!


 心の中で投げキッスをし、ヨミチはそそくさと馬車屋へ足を向けた。


 -


 ヨミチは、自分のことを可愛いと思っている。


 ヨミチは勉強もそこそこ、運動もそこそこの、特筆すべきことも無い純人間である。特技も無ければ、趣味もない。ろくな収入も得ず、家事を手伝ってのんべんだらりと暮らしていた。だが、何はともあれ自分の顔だけは、猛烈に可愛いと確信していた。

 色の白い肌。手入れの行き届いた黒髪。黒目がちで真ん丸な瞳に小柄な体。極めつけに、好物は木の実や果物だ。

 もちろん、両手で食べる。頬に頬張り、もぐもぐと食べる。とても、可愛いと自分で思っている。こんなに可愛い男はいないだろうと本気で思っている。


 ヨミチは、自分のことが世界で一番可愛いと思っている、立派な二十四歳の成人男性である。


「早くして。女が戻るまで時間を稼いだって意味ないわよ」


 そんなヨミチには、妹がいる。ハナコという名のスレンダーな高身長美人である。

 出会う人は皆言う。ヨミチを縦に引き伸ばしたみたいだね、と。

 ヨミチも自分によく似た顔をした可愛い妹だと思っているが、等の妹はそれが不服なようで、可愛さを追求するヨミチと反対に彼女はどんどんと逞しさを求めていった。

 ハナコ十六歳のある日、彼女は両親と兄の前で、文字がみっしりと書き込まれた巨大な紙を広げた。

 呆気に取られる家族の前で、彼女は自らの将来設計に関して一時間に渡る熱いプレゼンを披露した。

 今の学校では魔法コースを選び、基礎魔法とその体系を学ぶつもりであること。卒業後は三年生の国教会系の国立大へ進学し、更につきつめた学術的魔法を学ぶこと。卒業後は迷宮へ潜り実践で魔法を研鑽し、功績をあげた後に国家試験を受け、国付きの魔法使いになるのだと。


「今の社会、女だからと言って家庭に収まる必要はないと思っている。私は、私が思う力を身につけて強く生きていきたいわ」


 その頃、可愛いもの好きの年上女性のヒモとして、お小遣いを貰い生活していた兄は「いいね〜」と拍手を送った。

「じゃあ迷宮に潜る時はお兄ちゃんも手伝ってあげるよ〜」とも言った。なんの覚悟も伴わず、その場のノリで、言った。


 だから、それから六年後に大荷物を抱えた妹が玄関ドアを猛烈にノックして乗り込んできて、「行くわよ」と言った時は、なんのことかさっぱり分からなかった。その頃ヨミチは、ハナコの未来設計図宣言時より数えて九人目の女性の家でヒモとして飼われていた。


「ど、どこに」

「迷宮。今、冒険者を大量に募ってる迷宮都市があるの。好都合よ、行くしかないわ」

「気をつけてね、いってらっしゃい。お土産はお饅頭でいいよぉ」

「兄貴、手伝うって言ったわよね」

「言……ったっけ」

「言った。すぐに支度して」


 妹の長い足が今にも振るわれそうな雰囲気を感じ、己の可愛い顔をなんとしても守りたいヨミチは、慌てて支度をする。


「お泊まりセットでいいんだよね?」

「女の家に泊まりに行くんじゃないんだからね。ちゃんとした準備してね」

「おっきぃリュック…おっきぃリュック…。うさちゃんリュック勝手にもらってったらルーちゃん怒るかなぁ」

「知らないわよ。いいから早くして。明日の朝には着きたいの」

「化粧水と、乳液と、保湿クリームと」

「そういうのは向こうで全部買うから置いてって」

「下着と服と……」


 ピンクに塗れた部屋の中、うさぎ耳の着いたもこもこもの部屋着であーでもないこーでもないとちょろちょろと動き回る兄を見ながらハナコは舌打ちをする。


「まだ?」

「待って、おやつがまだ……」


 そう答えたところで、後頭部の猛烈な痛みと共にヨミチの記憶は途切れている。

 目が覚めた時、ヨミチは馬車の荷台に大の字で寝転がっていた。部屋着のうさ耳が記憶の三倍くらいに伸びていて、尻の生地に穴が空いていたため、どのようにして運ばれたのかは察するところである。


 -


 いつ出来たのか、なんのために出来たのか、興味も関心もないヨミチは知らないが迷宮と呼ばれる地下に広がる謎の施設が王国の中には複数点在している。

 ヨミチが丸一日かけて辿り着いた西方の都市も迷宮を一つ擁しており、都市は王国直々の支配を受けて小規模ながらに繁栄していた。具体的に言うと、市場があり、酒場があり、大きめの寺院があり、宿屋が複数あり、厩が並んでいる。


「二階建てより高い施設が並んでるのを見ると、大きい街に来たなぁって思う」


 朝日に照らされる大きなシルエットを仰ぎみて、己の寂しい故郷を思い出しながら、ヨミチはしみじみと言った。

 御者から受け取った分厚いクッションに腰掛け黙々と本を読んでいたハナコは、顔を上げることもなく「建物なんてもう見慣れたわ」と素っ気なく答える。

 王国首都随一の国立大学。そこに特待生として受かったハナコは地元の進学校を卒業後、両親への報告もそこそこに入寮の手続きを手早く済ませ、田舎を飛び出し王国首都で生活を始めた。

 ヨミチは、首都で人気のお土産を手紙で再三ハナコに要求したが、彼女はその全てを華麗に無視した。そこには両親の、久しぶりに娘の顔が見たいからヨミチからも口実を作ってくれという暖かな下心も含まれていたが、ハナコは結局長期休みや年末年始になっても故郷へ戻ることはなかった。

 もうこのまま帰ることなく首都で就職するつもりなんだろうな、と察していた矢先の此度の来襲である。ハナコ、大学卒業まで残り数ヶ月というタイミングだった。

 逞しくて眩しい自慢の妹だ。ヨミチは心底彼女を尊敬し、また畏怖している。


 まあだから……ハナちゃんは一人でも大丈夫だよね。


 太腿をぷるぷると震わせながら、ヨミチは頷く。荷台に直に座っていたことによって生じた尻の痛みに耐えかね、蹲踞の姿勢で荷台のヘリを強く両手で掴みバランスを取る不可思議な姿勢を随分前から取っている。

 住んでいた女に渡されるあらゆるオイルをふんだんに塗りたくり甘やかしてきた自慢の桃尻は、今や過労に耐えかねぺったんこになってしまった。

 こんなぺったんこになってしまったお尻じゃ女の子に愛してもらえないよぉ……とヨミチは大きくため息をつく。高確率で女の子は真ん丸なおしりが好きなものだ。この街で出会う素敵な女の子に、部屋に転がりこませてもらうために必要な武器なのに。


 ここに至ってヨミチは、未だ迷宮に潜るということに消極的であった。消極的というか、もうばっくれて逃げる算段を立てていた。

 そもそもヨミチは自分が迷宮に潜ったところで何も出来ないということを自覚していた。運動も、勉強も、特段できない男であるから。

 ハナコから道中ざっと、迷宮探索におけるポジション、職能といったものの説明を聞いてはいたが、どれにも当てはまらないにもほどがあるというのが素直な感想だった。


「お兄ちゃんはどれやらされる予定なの?」


 とヨミチが控えめに尋ねると、ハナコはその美しい顔で真っ直ぐにヨミチを見つめ返しながら「戦士」と返した。

 間接的に死んで欲しいと言われてるのだな、と直感した。初めて、己のろくでなしな人生を少し後悔した。

 ハナコの話ではどうやらこの後、一日で終わる冒険者登録会というものに参加することになるらしい。そこで、ヨミチは戦士コース講習に叩き込まれ、戦士としてのいろはを教わり、その適性を計られるそうだ。適性ありと見なされると、晴れて冒険者の資格を得た政府公認の冒険者として登録される。

 だが一日で取れる資格に大したパワーが無いことをヨミチはよく知っている。

 彼を愛する女たちはよく気まぐれに短期間で資格を取り、特に役立てることなく掃いて捨てていた。


「迷宮って危ないじゃない。保険とかはないのかな。怪我した時とかの…」

「私はあるけど、兄貴は無いわよ」

「本当になんで?」

「一回、医療保険と生命保険を冒険者向けに導入したことあるらしいんだけど迷宮内での保険金目的のでっちあげや殺人が増えたから無くなったみたい。私は大学からの紹介で派遣されてる形だからそっちの保険がかかってるわ。あ、冒険者に登録した時点で元の加入してる保険は解約されるみたい。でも、元々兄貴、保険なんて登録してないわよね」

「帰りたいよお……」


 本気の涙が頬を伝う。大抵の女は泣けば譲歩してくれるものだが、冷血な妹にこれは通じない。

 殺される前に、逃げようと思った。

 とりあえず、戦士コースの講習とやらまでは受けるが、そこで戦士の適性無しの判断をなんとしてでも受ける。そのためにも、全力で非力な男を演じる。

 反対されたことをハナコに言っても「そう」とだけ言われて無理やり連れていかれることは目に見えているので、「適性が無いのに戦士になるのはしんどい、決心が着くまで数日待って」と土下座をし、その間に地元の女性と仲良くなって匿ってもらう。

 頃合いを見て、一緒に暮らしていたヨミチの飼い主、ルーちゃんへ連絡すれば、過激な彼女のことだ、丸一日かけてでも乗り込んできて助けてくれるだろう。既に置き手紙もなく急に消えたヨミチを探している可能性もある。そのまま実家まで行ってくれていたら、両親伝いにハナコと迷宮の話も伝わっているかもしれない。

 とりあえず、暫くは耐えるしかないのだ。耐えるしか。助けてくれる優しい女の子の部屋に転がり込むまで……!

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