92)早苗の戦い
何やら急に始まった小春の独り言に坂井梨沙少尉の方が慌てた。
「ど、どうした!? 小春ちゃん?」
「……はい、わたしの中の早苗さんが替わって坂井さんと話したいと……今、替わりますね」
そう言って小春は目を瞑った。そしてゆっくりと目を開き、唐突に喋りだした。但し、先程の小春と全く違う口調で……
「……ふぅん……貴方、中々いい女ね? 分るわ、貴方の言ってる事。其処の大佐さんの為に言いにくい事を、自分で片付ける心算でしょ? だけど、こっちも惚れた男の為に下がる心算ないから」
急に変わった小春? の口調に戸惑った梨沙は質問する。
「小春ちゃん……じゃ無いのか? アンタは誰だ!?」
梨沙の問い掛けに、早苗は口元に弧を描いて先程までの小春とまるで違う不敵な笑みを浮かべた。そして早苗は話し出す。
「私は早苗、其処の薫子姉様の腹違いの妹で、仁那ちゃんの母親よ。貴方と歳変わらないと思うから敬語はパスね。それと……そっちの大佐さん……ククク、どうも……」
梨沙は目の前の早苗が安中を見た時、敵意を灯した暗い目をした事が、気にはなったが小春に替わり出て来た早苗が、自分に何を言う心算か聞いてみた。
「それで、その早苗さんだったか? アタシに何が言いたいの?」
「さっき、貴方は小春ちゃんに対して言ったわね? “自衛軍は実力の世界だ、気持ちだけではダメだ”と。その答えを私が今、示してあげるわ……」
不敵に薄い笑みを浮かべながら答える早苗に、梨沙は苛立ちを覚えながら問い掛けた。
「……どうやって答えるつもり?」
「賭けをしましょう? このタテアナ基地にいる自衛軍関係者全員と貴方に、私達の実力をほんの少しだけ示して見せるわ。それで貴方達が負ければ、私達が戦う実力は有るって認めなさい」
「そんな事出来る訳無いだろう? 此処に居る隊員は全部で30名程居る。彼らは事務職も居るが、多くは錬度の高い猛者ばかりだ。 玲人ならともかく、華奢な小春ちゃんの体に居る、アンタではどうしようも無い。無駄な事は止めときな」
「無駄かどうかはスグに分かるわ。貴方こそ私に実力を示して見なさいよ? ……それともやっぱり、其処の大佐さんの愛玩動物って事かしら?」
そう言って、早苗は梨沙を馬鹿にした。梨沙は早苗の嘲笑に完全に頭に来て、冷静さを欠いて早苗の挑戦に乗ってしまった。
「オイ……どういう心算が知らんが、ケンカ売ってんのか、アンタ……玲人の母親だからって我慢してたが、いいだろう……地面に這いつかせて謝罪させてやる!」
声を上げて早苗に突進する梨沙は、軍隊式格闘術で軽く転がして脅してやるつもりだった。此れこそが早苗の罠だとは知らずに……
相対する早苗は、突進する梨沙が目前に迫った時、梨沙の眼前より突如消え去った。
“シュン!”
いや、正確には高速で空中に舞い上がり、クルクルと回転しながら、梨沙の後方に着地した。
“トン!”
そして、驚愕する坂井に薄く微笑みながらすっと手を差し伸べた。すると、驚いて立ち竦んでいる梨沙に強力な“風”の様な力の圧が梨沙を襲った。
“ゴヒュウ!!”
「ぐぅぅ!!」
強力な突風の様な圧に押されて梨沙は後ずさりした。其処へ黒い蛇の様なモノが大量に飛んできた。さっきまで玲人を縛っていたケーブルだ。
“ヒュヒュン!”
ケーブルは恐ろしい速度で坂井に迫り、梨沙が戸惑っている間に梨沙の上半身を締め付けた。
“ズルズルル!”
強力な締め付け力に梨沙は驚き叫ぶ。
「な、なんだ此れは?……くそっ 動けない!」
叫ぶ梨沙を早苗は鼻でフン、と見下げた様に見つめて、右手の平をスッと手を上げた。するとケーブルで上半身を縛られた梨沙は突如生まれた見えない巨大な手に掴まれた様に、空中に浮かびあがった。
“フワッ”
「うわ! 何だコレ、まさか、う、浮かんでいるの!?」
「貴方は其処で大人しくして。私はそのまま貴方を床に激突させて、潰れたトマトみたいにする事はとても簡単なのだけど……それやったら私の家族達に嫌われるから、それで許してあげる。何より……潰れたトマトにしたいのは別にいるし……」
そんな事を話しながら早苗は安中に明確な殺意を持って睨みつける。梨沙は早苗が安中に強い殺意を抱いた事に気が付き、早苗に問おうと思ったが、しかし早苗は視線を外し梨沙に向かって呟く。
「トマトは後回しにて、貴方以外の皆さんのお相手しなくちゃね」
呻く梨沙に静かに語った早苗は、両手の指だけをそっと合わせて、口に当て祈る様な仕草を見せた。目を瞑り、ある特定の対象に意識を定めて、力を軽く奪う様に意識した。
……ただ其れだけの作業だった……
すると……
玲人らと共に早苗と梨沙のやり取りを見守っていた、安中が手を額に当て急に膝をついて座り込んだ。その様に気が付いた梨沙が安中に向かって叫ぶ。
「お、おい! 拓馬! どうかしたの!?」
「き、急に力が抜けた様だ……うっ……ごっそりと精気を抜かれた感じ、だ……」
空中に浮かんだままで動けない梨沙に代わりに近くに居た薫子が安中に駆け寄り、状態を確認する。そんな中、タテアナ基地に統括管理室からのページングによる緊急呼び出し放送が流された。
『きき聞こえますか!? 大御門主任! 緊急です!! だ、大至急、今すぐに、応答願います!!』
何やら相当慌ててる。薫子は携帯端末から統括管理室に連絡を取った。
「はい、こちら薫子です。今の放送、一体何が……え! 本当ですか!?」
統括管理室の連絡を受け薫子が絶句する。その只ならぬ様子を見た玲人が薫子に問う。
「如何したんだ!? 薫子さん!?」
「今……と、統括管理室から連絡が有ってこのタテアナ基地に居る、自衛軍の兵隊さんが、次々に蹲って動けなくなったって……」
玲人は薫子の話を聞いてすぐに分かった。早苗が能力を使って、タテアナ基地に居る隊員全員を無力化していると。玲人は早苗に向かって大声で叫んだ。
「母さん!! 今すぐ止めるんだ!」
「あらあら大丈夫よ、玲君。ほんのちょっとだけ、“吸い取ってる”だけだから。其処の浮いてる人が負けを認めてくれればすぐに止めて上げるわ……ねぇ貴方……どうするの? “コレ”が干からびて死ぬまで続ける?」
早苗はそう言って、可愛らしく首を傾け梨沙に静かに問い掛ける。早苗がコレと呼ぶのは安中の事だ。梨沙は、理由は分らないが早苗は安中に激しい殺意を持っている事に気が付いた。
そして……早苗が安中を殺す事に何の抵抗も持っていない事にも。
「……わかったよ……認める。アタシらの負けで良い……」
梨沙は渋々、早苗に負けを認めた。それを聞いた早苗は差し出した手の人差し指を軽くチョンと動かした。その動きに連動する様に、宙に浮かんだ梨沙は地面に放り投げられ転がされた。
“ズサァ!”
早苗は一応手加減して衝撃を緩和して放り投げたのだが、それでも転がされた梨沙の衝撃は激しく、打ち付けた痛みで眩暈がした程だった。
「あ、あぐぅ!」
転がされた衝撃で坂井の上半身を縛り付けていたケーブルは解けた。梨沙は痛みに堪えながら、恨ましげに早苗を睨むと、氷の様に冷たい視線で自分を観察する早苗と目が合った。その目は黄金色で人外の輝きを放っていた。
その輝きを見た梨沙はそれで己が身の程を知り、早苗に自分の意志では抑えられない程の恐怖を覚えた。
……それは捕食者と被食者の間にある絶対的な壁に似ていた。
(……アレは、人間じゃない……人間を超えた、何かだ……アレには、アタシらは……絶対敵わない……)
そんな思いから梨沙は早苗から目を逸らし、恐怖で体を震えさせるのであった。
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