第179話 サイ、本当の想いを知る
前話において、末尾のスリアンのセリフを微小改変しました。言葉の意味は変わっていませんのでそのままでもストーリーは問題なくつながりますが、ご興味のある方はご覧下さい。
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故郷の村がはっきり見えてくるまでの間、サイはじっとスリアンの言葉の裏に込められた本当の意味について考えていた。
スリアンは出自もはっきりしない自分をこんなにも思いやってくれている。でも、同時にサイが想像するよりはるかに重い期待を自分にかけてもいる。
彼女は王都の二つの塔――建国当時の王宮と魔女の塔を引き合いにして、サイに自分と並び立ち、国のために力を尽くして欲しいと望んだ。
(これって、スリアンとは独立した意志をもった、それでいて同じ目標を持った存在として隣にいて欲しいってことだ)
それは、サイに対して、一国の女王に匹敵するだけの広い視野を持ち、時に正当な防衛の範囲を越えて他人の命を奪う、もはや王にしか許されない重責をも共に担ってほしいという願い。
その上で、スリアンはサイに自分を信じてほしい、でも盲信はしないでほしいと、一見矛盾するセリフも口にした。つまりそれは、場合によっては女王スリアンの考えに真っ向から異を唱えるほどの強い意志を持てと迫るのに等しい。
(臣下や道具として考えない。忠誠すら求めないって言うのはつまりそういうことだよな。でも、それはさすがに荷が重いよ)
「買いかぶりすぎだよ。スリアンは一体僕を何だと思ってるのさ?」
スリアンに聞こえないよう口の中だけでそうつぶやくと、サイは小さなため息をついた。
「殿下、旦那様、村が見えてきました」
御者席からセラヤが二人に告げた。
何となく黙り込んでいた二人はその言葉に救われたように顔を上げ、目を細めてもっとも目立つ教会の塔を見つめる。
サイが子供の頃には朝昼晩の三回、村の空に鐘の音を響かせていた白い塔。だが、今あらためて見るその姿は遠目にも灰色に薄汚れ、鐘が下がっていた場所はぽっかりと空いていた。
「ああ、供出させられたんだろうね」
眉をしかめるサイの隣で、スリアンがため息まじりにそう言った。
「南部の領主カランタスはヘクトゥース取引の片棒を担いでいただろう? でも、君の報告ではあまりいい身なりでもなかったって」
「ええ。アルトカルの所で見た時は一体どこのおじさんかと」
「本業の鉱山経営で失敗したって話だったし、資金繰りのためにいろんな所から金目の物をひっかき集めていたんだろうね」
あまりいい思い出のなかった故郷の村、だが、ここまで寂れているとさすがに少し悲しくなってくる。
「前は夜だったんで気がつきませんでしたけど、あの時、もうそうだったのかな?」
深夜、忍び込むように訪れた教会の墓地で司祭の墓を見つけたときの衝撃や、礼拝堂で自称〝女神〟のターミナリアに出会ったことなどを昨日のように思い出した。
「そう言えば……」
「何?」
「いえ、以前話したかどうか覚えてませんが、僕はあの礼拝堂からニホンに飛ばされたんです。実は変な女神がいてですね——」
「へえ! 女神!?」
スリアンは飛び上がるように身体を起こすとサイの顔を覗き込んだ。
「それは会ってみたい! 行こう!、すぐ行こう!」
意外と彼女はミーハーなのかも知れなかった。
教会の前に馬車を止め、二人は競って走り込むように礼拝堂に向かう。だが、扉が何かに引っかかったように動かない。
「あれ?」
「中に何か……いや、扉が歪んでいる?」
ギシギシと扉を押し込み、二人がかりでどうにか人一人通り抜けられるだけの隙間を作って中に入ると、外見以上に内部は荒れ果てていた。
ステンドグラスにはヒビが入り、あちこちにクモの巣がはびこっている。床も、長椅子も、まるで砂色の膜が張ったように分厚く埃をかぶって、誰も手入れをしていないように見える。
「僕が戻ってきた頃には、少なくとも掃除だけは行き届いているイメージでしたが……」
埃だらけの床に足跡すらないところを見ると、この礼拝堂はもう長いこと誰にも使われていないのだろう。
「村の表通りにまったく人影が見当たりませんね。もしかしたらこの村は放棄されたのではないでしょうか?」
二人を追って礼拝堂に足を踏み入れたセラヤが、油断なく戦杖をかまえて背後に立つ。
「……村ごと?」
「ええ、干ばつや虫害で立ちゆかなくなった村を捨てて、全員でよそに移住する、なんてことはそれほど珍しい話でもありません」
「でも、ここは交易路で……」
「南の鉱山から王都に荷を運ぶルートだったんだろ? 山が閉じてしまうと行き来もがっくり減っただろうし、あり得ない話でもないね」
結局、その後礼拝堂を隅から隅まで調べても人の気配はまったくなかった。
隣接する孤児院も同じく無人で、子供が置き忘れたらしき粗末なぬいぐるみが寝床にぽつんと置かれているのを目にした瞬間、サイの心のなかで何かが砕けた。
後に残るのは、寒風が吹き込むような喪失感だけだった。
「もう、どこにも……」
「ね、もう行こう! これ以上ここにいても」
サイのつぶやきを耳にしたスリアンは、サイに飛びつくようにして腕をとると、強引に孤児院の外に引っ張り出す。
スリアン的には、サイに懐かしい故郷の姿を見せることで少しでも彼のメンタルが安定すればいいと思ってこの旅を勧めたつもりだった。でも、これでは逆効果だ。
「ここじゃ食事もできない。少し北に戻れば大きめの街もあるし、今出発すれば夕食には間に合うからさ……」
だが、サイは足を踏ん張るようにその場にとどまった。
「サイ!」
「すいません。もう一カ所だけ、いいですか?」
雨に濡れた濡れた子犬のような瞳でそう訴えられ、突っぱねることはスリアンにはできなかった。
村の廃墟からほど近い小さな丘のふもと。
村はずれと言うにはへんぴだが、子供の足で通えない程遠くもない場所に目的の森はあった。
村人が山に入る踏み分け道を少し逸れた場所。サイは枝も葉も白っぽい低木が立ち並ぶ一角にまっすぐ向かう。
「これがヤナギバグミです」
「君の紋章に使ってる?」
「ええ、春には黄色い花が咲いて、秋には赤っぽい実がなります。普通は野生の動物や魔獣に実をかじられてしまうんですけど、ここのは茨が巻き付いてるんでいつも残るんです。実を摘んで村の食堂に持って行くとわずかですが小遣いをくれたんで……」
サイはそう説明しながら、白い産毛が生え、まるでビロードのようにも見える灌木の若葉を一枚つまみ、懐かしそうに軽くなでる。
「ああ、さすがに出入り口は塞がってるか」
「出入り口? どこに?」
目の前にあるのは馬小屋ほどもある、向こうが見通せないほど密生したヤナギバグミの茂み。そしてサイの指さす根本には、木の幹と幹の間にわずかにけもの道っぽい隙間があった。
「もう誰も来ないと思うんで、ちょっと広げますね」
サイは腰のホルスターから短剣を抜くと、邪魔になる枝や茨のつるをざくざくと切り取って隙間を広げはじめる。
「何だか隠れ家みたいだ」
「実際そうです。孤児院にいた頃は、村の子にいじめられたり、大人の目から隠れたい時にここに逃げ込んだんです。メープルと二人……他に誰も知らない、二人だけの秘密の隠れ家でした」
遠い目をしてしみじみと語るサイ。その様子を見て、スリアンは胸に生まれたモヤモヤをぎゅっと両手を握って押さえ込む。
そのうちに、小柄な大人がぎりぎり潜り込めそうな小さな通路が姿をあらわした。
「じゃあ、ちょっと中に——」
「ねえ、ボクも入っていいかな?」
そのまま四つん這いでトンネル状の狭い通路に潜り込もうとするサイの服のすそをつかみ、スリアンは思わず声を上げた。
「え? いいですけど、中はずいぶん狭いですよ」
「いいから!」
なぜかサイがこのまま戻らないような予感に怯え、スリアンは彼にくっついて通路に頭を突っ込んだ。
「ふ、ああ、これは……」
ガサガサと通路をくぐると、中には大人が二人で一杯になるほどの不思議な空間がぽっかりとあらわれた。
「ここは外からはまず見えませんし、風も吹き込みません。でも上は空いてるから陽の光だけは入ってきます」
「うん。ポカポカするね。なんだかホッとする感じだ」
みっしりと茂るヤナギバグミの枝葉がまるで繭のように二人を包み、葉ずれの音がさわさわと空間を満たす。しばらく黙って聞いているうち、不思議に心が安らいできた。これなら、サイが〝隠れ家〟と呼んだ気持ちも理解できる。
「ところでサイ、どうしてここに?」
しばらく無言で空を見上げていたスリアンは、まるで神の啓示でも待つようにじっと目を閉じたままのサイに問いかける。
「ええ、ここを墓にしようと思って」
「え?」
「教会の墓地はもはや誰も見向きもしないでしょうし、そんな寂しい場所に
サイは答えながら藪の根本からつるで編んだかごを取り出してふたを取った。
「子供の頃に集めた宝物です。まあ、ほとんどたわいのないガラクタですが、それでも当時はとても大事にしてた物ばかりで。だから、ここに彼女の髪も——」
「この手紙は?」
スリアンはかごの中に収められたたわいのないガラクタの中に、変色し干からびた折りたたまれた皮紙があるのを見て尋ねた。子供らしい宝物に混じって、なんだかこれだけが浮いている。
「あ、それは……」
サイは一瞬気まずい表情を浮かべると、肩を落としながら苦笑いする。
「メープルからもらった最後の手紙です。捨てる勇気もなかったのでここに……ま、ほとんど絶縁状みたいな内容ですが」
他人の手紙なんて覗くものではないと理性では思いつつ、スリアンはその中身をどうしても読みたくなった。
サイとメープルの間に本当は何があったのか。スリアンにはそれが喉から抜けない小骨のように心に引っかかっていた。ずっと違和感があったのだ。
だから、非常識だとわかりきっていながら、それでも思い切って聞いてみる。
「見ても?」
「え!……まあ、構いません」
一瞬驚きの表情を浮かべたサイは、やがて投げやりにうなずいた。
その打ちひしがれた姿を見ているだけでスリアンは心が張り裂けそうになった。うまく自分の表情のコントロールができる自信が持てず、あえてサイに背中を向けるようにして、慎重に手紙を開く。
インクは風雨にさらされてほとんど消えかけ、かなり読みにくかった。だが、幸い文面はそれほど長くもなかった。
〝サイ
あなたには、きっともう二度と会えないのでしょうね。
なぜか涙は一滴も出てきません。
多分、この手紙があなたに届くこともないと覚悟しています。
あなたとの新生活を本当に楽しみにしていたのに。
今はとても虚しい気分です。
仕方ないので、アルトカル様に頼ります。でも……。
手ひどく裏切ったのはあなたが先。
まさか私を恨んだりはしないよね?
好きだった。こうやって、過去形でしか言えないのがとてもとても残念です。
メープル〟
「これって……」
スリアンは思わず声を上げた。手紙を持つ手がわなわなと震える。
「情けないでしょ。存分に笑って下さい。こんな物、いつまでも後生大事に——」
「違うっ!!」
スリアンは大声を出した。
「サイ、君はこの手紙の意味を——」
「だから、絶縁状です」
「違うよっ!! もしかして、君は今までずっと気づかなかったのかい?」
手紙の表をサイに向け、文面を人差し指でバシバシと叩く。
「文章も改行の位置も凄く不自然だよ? 単純な仕掛けだ。ほら、最初の文字だけを繋いで読んでごらんよ!!」
「え?」
サイはスリアンが目の前に突きつけた皮紙を穴の空くほど見つめ、やがて見開いた瞳からポロリと涙を流した。
「メープル……」
涙は止めどなく流れ、やがてサイは顔をくしゃくしゃに歪め、その場に顔を伏せて号泣しはじめた。
〝あなたお(を)あいしてます〟
彼女の、本当の気持ちに応えることはもうできない。
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