第七章
第170話 帰還
「……久しぶりだなぁ」
まっすぐ王宮に向かうスリアンと別れ、馬車を降りてひとり魔女の塔に向かったサイは、サンデッガ軍の砲撃の痕がいまだ残る塔の姿を見上げて思わずつぶやいた。
戦争中、夜通し一階の
小さな明かり取りの小窓からわずかに光りの差し込む薄暗い室内には、サイが魔女から引き継いだ専用の小さな馬車が隅の方にぽつんと納められているだけだった。
と、暖炉用の炭バケツと小さなスコップを両手にとぼとぼと階段を降りてきたセラヤがふと立ち止まり、サイの姿を見つけ、まるで幽霊でも見たような顔つきで目を丸くする。
「だ、旦那様!?」
悲鳴のような叫び声と、セラヤがその場に取り落としたスコップが床に跳ね返る甲高い金属音が重なるように響いた。
彼女は転がるように階段を降りてサイのそばまで駆け寄ると、感情のままサイを抱きしめようとひざまずき、次の瞬間はっと我に返った。
「あー、えー、コホン」
かすかに頬を赤らめて小さく咳払いをすると、エプロンについた砂埃をさりげなく払って立ち上がり、さっきまでの慌てぶりなどなかったように落ち着き払った表情で深々と頭を下げる。
「お帰りをお待ちしていました。それにしても、しばらくぶりですのに旦那様はまるで背が伸びておられませんね」
相変わらずの毒舌ぶりまでもが懐かしく、サイは思わず苦笑いした。
「セラヤも変わりなく元気そうで良かったよ。長いこと留守番を押しつけてごめん」
「いえ、魔女の塔のメイドとして、この程度は当然の責務です」
「で、第一王女は?」
「ええ、しばらく前に意識が戻られましたので王宮の方にお帰りになりました。ただ……」
言葉を濁すセラヤ。その先は聞かなくても知っている。
「ちなみにシリスについては? その後何か消息は?」
「サンデッガ領で奴隷落ちしていたところを無事に発見されました」
「え、それは良かった!!」
数少ない明るいニュースにサイは表情をほころばせる。だが、セラヤの表情は相変わらずすぐれない。
「幸い大きなケガはありませんでしたが、私と揃いの守り石は戦乱のどさくさで失われてしまったそうです。彼女と心をつなげることはもうできません」
「で、彼女は今はどこに?」
「ええ、第一王女のお世話のために王宮に詰めております。旦那様がお戻りになりましたので、遠からず塔に戻って来るとは思いますが……」
そこで言葉を濁し、サイの顔を見て俯くと、目をそらしてもじもじと両手をすりあわせる。
「あの、私どもは今後も塔にとどまって旦那様にお仕えしてもよろしいものでしょうか?」
「は? え? もちろんいいに決まってるじゃない。一体どうしてそういう発想になるの?」
「いえ、私共二人はたとえどれだけ離れても心をつなげることができる異能で塔に見いだされたと理解しています。異能を失い、凡庸な使用人と成り果てた私達に一体何の価値がありましょうか?」
サイは小さくため息をつく。
「あのさ、女王陛下やスリアンはそんな一つの技能だけで君たちを雇ったわけじゃないと思うよ。セラヤは戦闘能力も高いし、仮にそれがなくたって、君たちの家事能力というか、この塔を含め、快適に暮らせるように場を整える能力の方が何倍も評価されていると思うけど?」
「本当にそうだと思われます? 旦那様もそうお考えですか?」
珍しく自信なさげなセラヤの表情に、サイは苦笑いしながらかぶりを振る。
「僕は料理もできないし掃除も苦手だし、今回もそうだったけど、魔法以外の才能はゼロで満足に自分の身も守れない。君たちにいてもらわないと困る。もしも陛下が首にするというなら、僕が自腹で君たちを雇うよ」
「あ!!」
反射的に何かを言いかけ慌てて右手で口を押さえたセラヤは、その手で胸元をなでるようにゆっくり下ろすと小さく咳払いをした。
「そ、そうですね。確かに旦那様は弱っちいですし、放っておくと飢え死にしそうですし、最悪塔がゴミで溢れかねません。あ〜、まったくしようがありませんね。引き続きお世話して差し上げます。感謝して下さいよ」
「うん、頼む」
サイが頷くと、セラヤは早速といった様子でいそいそとサイを先導する。
「今回の戦で元々のお部屋はかなり汚れてしまいましたので、潰して応接室と客用寝室に作り替えました。旦那様のお部屋は四階の物置部屋を改装し、五階はどのように手をつけていいか判りかねましたのでとりあえず掃除と修繕だけは済ませてあります」
「あ、ありがとう」
まさか
もともとサイの自室があった三階はいくつかに区切られて高級感のある応接室と客用のこじんまりした寝室に姿を変え、四階には中扉で区切られた寝室と執務室がしつらえられている。ゴテゴテした装飾や彫刻が嫌いなサイの好みに合わせた
「旦那様は放っておくとすぐに着替えもなさらずソファでお休みになりますし、ベッドにも書類や魔道具を積み上げられますからお部屋をきちんと分けました」
スリアンと組んで仕事をすると、ついつい私生活と仕事の区別がなくなってしまうのだ。セラヤはずっとそれが気にいらなかったらしい。
「ともかく、旦那様も正式に貴族になられたのですから、今後は領地も拝領してそちらに屋敷を建て、王都での執務室も王宮内に移されることになりましょう」
「えー、でもなあ、この塔はいろんな魔法が仕込まれてて便利だから離れたくないんだけど」
引っ越しそのものが面倒くさく、思わず口を突いて出るグチを、セラヤはぴしゃりと遮った。
「貴族には格式というものがあります」
「あ、はい」
「旦那様は見た目からして背がお小さく貧相なんですから、せめて形だけでもしっかり整えるべきです」
「ぐっ、気にしていることを……」
年齢を巻き戻されて以来、無理が続いたせいか全然背が伸びず身体に筋肉が付かない。以前は貧乏暮らしのわりにはここまでガリガリに痩せていなかったと思う。恐らく、おかみさんの料理を食べていたおかげだったのだろう。
「とりあえず、今晩からはガッツリ食べて太って頂きます。覚悟してください」
そう言い残すと、セラヤはなぜか上機嫌で階下に下がっていった。
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