第142話 怒れる魔導伯

「アーカイブ、スリアンの現在位置は?」

『国境から十キロほど先を時速約十八キロで走行中……と、失礼ですが、サイはこの単位系でも理解ができますよね?』


 声とともに、脳裏に荒れた街道を爆走する箱馬車を上空から眺めたイメージが流れ込んできた。


「大丈夫、わかる。それよりこれは?」

『衛星カメラからのリアルタイム映像を加工したものです。乗員は三名、うち一人がお探しのスリアン殿下? のようですね』

「無事か?」

『脈拍が標準より多少高いようですが、呼吸、体温などの数値は今のところ正常範囲内です』

「すごいな、衛星高度からそんなことまでわかるんだ。で、あとどのくらいで追いつく?」

『サイの現飛行速度は時速百六十二キロですから、現在の速度差を維持できればあと一時間と少し。王都手前、約百キロほどのところで追いつくでしょう』


 サイは無言で頷くと会話を打ち切り、猛スピードで流れていく地上の風景を見下ろした。

 夜明け直前の空は次第にすみれ色に染まり、見下ろす風景にはちらほらと赤い光が混じる。恐らくあれは朝食の準備のために起こされたかまどやたき火の炎。

 獣油や植物から絞ったろうを使ったランプの光はもう少し黄色いが、あまりに弱くてこの高さからではほとんど見つけることができない。

 時速百六十キロの猛烈な向かい風に全身をさらされながら、サイはこの世界について思いを巡らせる。

 地上数百メートル上空を飛翔するサイのさらに上、高度三万数千キロの上空にはアーカイブが自分の目であり手足、と呼ぶ人工衛星がこの星を周回しているという。


「……考えてみれば」


 サイは自嘲気味につぶやいた。よくよく思い返してみれば、ヒントはそこら中に転がっていた。

 理彩の世界でサイが魔法を使うことができたのは、恐らくサイがこの世界で慣れ親しんだ魔法体系が理彩の世界の科学技術と同じ根っこを持っているからだ。

 サイが目の前で魔法を使ったことで、理彩は多用途支援衛星シンシアを活用した〝魔法〟の技術的着想を得て、恐らくはさらに本格的な魔法技術に発展させただろう。それが、ルーツがわからなくなるほどの長い時間をかけ、何十世代も延々と改良され、進化して、サイの今いるこの世界の魔法体系を形づくっているのだろう。

 つまり、理彩の世界とこの世界は、長い長い時間を隔てて繋がっているのだ。女神がサイを理彩の世界に送り込んだ目的は、あの時代に魔法の〝種〟を持ち込ませるためだったのと考えると何となく納得できる。


「でもなあ、地理だって気候だって全然違うし、そもそも理彩の世界の地球にはこんな形の大陸なんてなかったし……」


 今飛んでいる程度の高度ではもちろん大陸の全貌を見渡すことはできないが、アーカイブに借りて眺めた衛星高度からの見た目では、この大陸は尻尾のない寸詰まりな魚によく似ている。

 それに、地球全体を覆い尽くす勢いで普及していた科学技術がこの世界には痕跡すらもなく、わずかに魔法という形でのみ伝わっているのも不思議と言えば不思議だ。


「まあでも、そんなことより今は……」


 サイはとりとめのない物思いを中断して前方を睨む。空はますます白み、間もなく日の出の刻限を迎えようとしていた。





「ん?」


 すっかり明るくなった空をぼーっと見上げていたスリアンは、一瞬視界の隅を横切った小さな影に気づいて声を上げた。


「何だ!」

「あ、いや、と、鳥かな?」

「脅かすなバカ野郎。鳥くらいでいちいち騒ぐな」

「いや、でも……」


 最後まで言い終わらないうちに、進行方向正面の街道に突然何かが突き立った。激しい音と共に砂塵が舞い上がり、堅く踏みしめられた路面がまるでクレーターのように深くえぐられ、大穴が街道をふさいだ。

 轟音に驚いた馬が激しくいななき、御者役の男は必死で手綱を操って大穴の寸前でどうにか馬車を停めた。


「何だ!!」


 転がるように馬車を飛び出した男達が目にしたのは、大穴の中心にほとんど埋もれるように突き刺さる、重装騎兵用の大型の馬上槍ランスだった。


「何だって言うんだ!!」


 大声を上げた御者役の男は、目の前に音もなくすーっと降りてきた人影に気づいて息を飲む。


「お、お前、どこから……」


 それ以上言葉を発せずにいる男に、空から降ってきた少年は冷たくフッと笑いかけた。


「君たちが運んでいる人質……」

「なっ!」


 それを聞いて男達の表情がぎくりとこわばる。


「とても大切な人なんだ。返してくれるかい?」

「ふざけんなっ!! 急に出てきて何を言いやがるっ!!」

「ふざけてないよ。他所の国から無理やり奪ってきたんだろう? それを返して欲しいって頼んでるだけなんだけど?」

「うるせいっ! こっちだってタマ張ってやってるんだ。むざむざ〝ハイそうですかい〟なんて言えるわけないだろう。そんなに欲しいなら力尽くで奪って見やがれ。バカ野郎っ!」

「ふーん。一応命をかけるだけの覚悟はあるんだ?」


 次の瞬間、男のうちひとりが上空から風切り音と共に降ってきた馬上槍ランスで脳天から串刺しにされた。馬上槍はザックリと男の身体に突き立ち、まるで薪割りのようにその身体を真っ二つに裂いた。勢いよく吹き出した血しぶきは隣に立つ御者役の男の全身に降り注ぎ、頭から足の先までべっとりと真っ赤に染め上げた。


「ひっ!」


 血まみれになった御者役の男は、そのまま血だまりに腰が抜けたように座り込んでしまう。


タマを張るって言ったよね? だったらこのくらいの目に遭う覚悟はあるはずだ」

「……あ、あう」


 物も言えずただ震えている男に、少年はさらに淡々とたたみかける。


「君たちの雇い主に伝えて欲しい。タースベレデに入り込んだ全軍の撤退を開始して欲しいと。要求が受け入れられない場合、今、君の同僚を襲ったのと同じ悲劇がサンデッガの王城に降りかかるだろう、と。猶予は明日の朝、夜明けの太陽が昇りきるまで。わかったね?」


 まるでひきつけのように全身を細かく震わせ、男は物も言えずただカタカタと頭を上下に振るばかり。


「じゃあ、人質は返してもらう。ああ、そうだ、名乗り忘れていた。僕の名前はサイプレス・ゴールドクエスト魔導伯。君の雇い主に忘れずしっかり伝えてくれよ」


 そう言い残すと、少年は馬車から引っ張り出した人質を横抱きにしてそのまま音もなく上空に飛び去った。




 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る