東の国の機械技師

ねこのほっぺ

「黒」

その男、不明につき

 重苦しい空気。

 がらがらと不規則に鳴る木輪と、たまに掻き分ける水溜りを踏む水音。無言の空間で響く音はそれだけ。

 薄暗い森の中、ややぬかるんだ地面を踏み越えるのは小さな馬車。御者を除いて、荷台には三人分の人影があった。

 全員が黙って俯いている。それは疲労からではなく、交わす言葉を誰一人として持っていないから。

 目的は同じだが、そこに至った理由と手段はそれぞれで、各々はそれ以外に触れる気は毛頭ないようだ。

「……何も話さないからと、モンスターの襲撃が無くなるわけでもあるまいし」

 しかし、御者だけはそうもいかず。

 人が死んだと言われても納得できる程の重い空気を、話題を作る事で打破しようとする。

「なぁ、そこの兄ちゃん。あんたきんで国まで連れてってくれとは言ったけどよ」

 全員の目がそこに向かう。

 ひときわ小さな影。外套と一体化したフードを深く被り、顔の判別はできない。

 体格で言えば、痩せている方か。武装している様子も無く、町人とも冒険者とも言い難い。

 悪い意味で、その姿は異様だった。

「別にきんが偽物とか疑ってるわけじゃないがさ……。どうして国に向かう。そんな体で行ったって、働き口のひとつも見つかるもんかねぇ」

 目的地は東の国。正確には、その中心部。

 中央の都市発展化に反し、辺境はそこまで発展は進んでいない。周囲を覆う深い森林は、逆に森林を深く切り拓いたからそういった形になっているだけで、実態はむしろ増え続ける樹木をどうにかしているといった現状にある。

 故に、国の内部では木材の加工こそ盛んではあるが、逆に中央から森に入る形で離れれば、今度は森林との共存を図る生活様式が進んでいる。

「膂力も無く素性も明かさん男など、金にできる仕事は与えられないだろう。それとも何か? まだそこかしこに砂金でも隠し持ってるのか?」

 つまりは真逆。

 基本、辺境から中央へと向かう者の目的は出稼ぎか、或いは一攫千金。要は、金だ。

 都市部であれば、農業や畜産以外にも仕事は山ほどある。知識や経験が足りなくとも、最悪は冒険者になれば──安全や保証はすべて捨てる事になるが──金は手に入れることができる。

 だが、彼はどうか。見たところ武芸に秀でる様な風体ではなく、しかし何を聞いてもまともに口を開かない。

 これでは何も手につかないと思うのだが。

「御者さん、すまん。馬を少し急がせる事はできるか?」

「ん?」

 言葉は、話題にしようと思った男とは別。

 よく日に焼けた肌の大柄な男。既に弓を片手に、後方を鋭く睨んでいる。

 辺境への荷運びという一仕事に雇った冒険者だ。

「嫌な気配がした。何か居るかもしれん。……リーン、お前も構えろ」

「とっくに。ヴァイクも馬車から射撃とかできるの?」

「事が起きたら止めて貰わないと不味い。万一前方に罠が貼られていたら、それこそ相手の思う壺だろ」

 あいさー、と女がヴァイクと逆──前方へと警戒を払う。

 両名、共に手慣れている。似たような仕事はいくつも請け負ってきたのだろう。頼もしさも感じる姿に、しかしフードの男は身じろぎもしない。

「揺らすぞ。姿勢を低く、掴まれる物があれば捕まれ!」

 手綱が大きくしなる。

 嘶きと共に、馬車が明確に加速する。先程までの動きは恐らく荷台を揺らさないように気を使っていたのだろうが、しかし今はそのような余力は無い。荒っぽい音と揺れが、緊張感をより高めていた。

「……ヴァイク、と言ったね」

 そこで、ようやく件の男が声を出す。

 揺れの中の幻聴かと、全員の反応が遅れた。しかし、構わず彼の言葉は続く。

「護衛の任なら、行きもこの道を使った筈だ。その時に同様の気配は?」

「……無かったが。何だお前、喋れたのか」

「会話のきっかけを見失っていただけだ。話す事がひとつも無かった訳じゃない」

 未だフードは取らないが、しかし姿勢は少しだけ高く。

 俯き加減で見えなかった青い目が、その場の冒険者達に向けられる。

「一泊はしていない筈だろう。その短時間にここに拠点を敷く様な、知性的なモンスターがいるとは思えない。縄張りを移す途中か、或いは縄張りを必要としない強力な相手か──」

 馬車がひときわ大きく揺れ、驚きの声で途切れた。

 それに構わず言葉を続ける。

「──何者かに追われ逃げている途中か、だ。どれにしても、正面への警戒は必要ない」

「……御者さん!」

「わかっている、今全速だ!」

 低い荷台の支えに体を預け、男はまた押し黙る。

 この状況で無理に話す事など無いのだろうし、同時にこの格好の人間に警戒させるのも無理な話だ。

 良く言えば無駄が無い。悪く言えば、人間味に欠けている。一体この男、どのような経験を積んできたものか。

「あと少しだ。森さえ抜ければ奇襲は無くなる筈。舌噛むなよ!」

 がらがらと馬車が跳ねるが、その中でもヴァイクとリーンは殆ど体を揺らさずに、低い姿勢を保ったまま警戒している。

 ちらりと横目で確認。フードの男は……馬車と一緒に揺れている。修羅場という修羅場を抜けている戦士では無いようだが。

 十数秒。緊張感からか、それはより長く感じたが、変化は突然だった。


 黒にも似た新緑が、一瞬で途切れ。

 視界を、夕陽の光が染め上げる。






「お疲れ様。済まない、助かったよ。後金は……少しだけ待っていてくれるか? すぐにこちらの用も済ませよう。冒険者協会でどうかな?」

 大門を抜け、石畳を踏んでからの御者の言葉。

 ヴァイクの快諾を見て、馬車は先程とは打って変わって静かに移動を再開する。木輪の音こそ耳に刺さるが、しかし国内の喧騒に比べれば小さなものだ。

「……で、あんたはどうするの?」

 荷台から降りた男に、リーンが声をかける。

 見ればわかる。明確に疲れ切っている。馬車に慣れていないのか、或いは目立たなかっただけで緊張していたのか。それは定かではないが、足元がややおぼつかない。

 歩けない程では無いだろうが、何かにつまずけばどうなるか。

「もう目的地は決まってる。少しだけ寄り道してから顔を出すつもりではいたけど」

「へー。どこか聞いておいてもいい?」

 二人分の視線も自然体で受け流しながら、それでも男は答えを返す。

「僕にとっても有益だけど。──冒険者協会は何処にある?」

 驚愕の表情。しかし咎める事も止める事も二人はしない。

 どういった意図があれ、それが悪行で無いのなら、つまるところは赤の他人の選択だ。縛るような事は良くないだろう。

「その寄り道ってのは、急ぐか?」

「少しだけ急ぎたい。だから、案内は不要だよ。有難う」

 ふむ、と数秒だけ考え。

 それから道の説明。極端に入り組んでいる道さえ選ばなければ、建物自体も大きいから迷わないだろう、と重ねて。

 数度の確認。お互いの認識を照らし合わせ、大丈夫だと太鼓判を押し。

 最後に、とヴァイクが消える前の背中に呼びかける。

「名前は? もしかしたら同じ仕事するかもしれん。頭回るタイプなら、特異な所で頼りたい」

「…………」

 溜息。

「後でも構わないかい? 名乗る名前を決めかねている」

「……なんだそりゃ」

「誰だって語りたくない秘密や過去はあるだろう。僕もその類だ」

 ぼかすような、煙に巻くような説明。

 だが、それだけでもなんとなく察する。……どちらにせよ、脛に傷を持つような人間に過度な深入りはするべきではない。

 リーンの頷きと共に、ぐ、と拳だけ突き出して。

「そう言うなら聞きはしねぇ。だが、冒険者としての登録には名前がどうしても必須だ。偽名にしろなんにせよ、早いとこ決めておくんだな」

「……。失念していたな。有難う、ヴァイク」

 片手を上げ、感謝の意を示しながら、男はゆっくりと歩いていく。

 どこか危なっかしい姿は、説明した冒険者協会への道とは違う、薄暗い路地へと吸い込まれていく。

「ヴァイク。大丈夫かな、アレ」

「心配してもどうにもならんだろ。俺達も行くぞ。あのおやっさんはちょろまかさんが、金が無いと三日は宿無しだ」

「うへー……それは勘弁」

 もう既に日は落ち、夜の色が濃くなりつつある。

 何処に追い剥ぎや盗賊が顔を出すかわからない。人気の無い所に潜ろうとするのは、そろそろ非常に不味い時間になる。

 彼も迷わず協会に来れれば、と思いながら、二人は揃って目的地へと歩いていった。

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