箱庭の乙女と彷徨い月の黒騎士~ ティアとレナンの物語

美里野稲穂

プロローグ

かくして少年は黒き鎧を纏う

 ――血の様に赤い夕焼けの中、目の前に広がる光景は何処か現実とは思えなかった。


 美しかった王都は崩れ落ち、立ち上る炎の群れ……夕焼けと相まって地も炎で赤く染まっていた。王城も無残にも砕け落ち、目に映るは沢山の物言わぬ亡骸ばかり。


 そして僕の腕の中にも、冷たくなってゆく大切な人がいる。黒い鎧に身を包み、美しいその顔を恐ろしげな兜で隠す彼女。

 

 本当は繊細で弱い自分を厳(いか)つい鎧で誤魔化す様に、そんな可愛くて儚(はかな)げな彼女……


 だけど僕は彼女を本気で愛する事が出来なかった。僕は彼女に大切なティアと居場所を奪われ雁字搦(がんじがら)めに縛られて王城に来たからだ。


 戦争の道具として使われる為に……。


 この毒々しい赤い首輪が道具であるその証……にも関わらず僕の所有者である、目の前の彼女を恨んだ事は無かった。何故なら彼女は何時だって僕を愛してくれたから。


 彼女はいつも僕を気遣い、大切にしてくれた。彼女は僕に何度も愛を囁(ささや)き、キスをした。


 そして僕は彼女に求められるまま、何度も彼女と体を重ねたけれど……僕は彼女を愛せなかった。


 だって僕の心には何時だってティアが居たからだ。だけど、彼女は時折悲しそうに微笑んだけれど、一度だって僕を責めなかったんだ。こんな卑怯な僕を……。




 「……ベルゥ様の命(めい)で炙(あぶ)り出してみれば……かような子供とはな……ましてや中途半端な覚醒しか出来ておらぬとは……。」



 彼女を見つめながら抱き締めていると、頭上より声がする。


 そうだった……こいつ等に王都は無茶苦茶にされたんだった。悔しさと憎しみに満ちた目で睨(にら)むと、そこには全身が真白く輝く異形の存在が居る。


 その真白な異形の存在は龍と人を掛け合わせたような姿をしていて、両手両足の甲と首元にはめ込まれた宝石の様な器官が眩(まばゆ)く輝いていた。


 首から上は人と変わらなかった。その顔は端正な男性の顔だ。その整った顔に、見下した笑みを浮かべている。男の目はさっきから僕の右腕を見つめていた。


 そう、僕の右腕も空に浮かぶ男と同じ異形に変えられるけど、今の所、右腕しか出来ない。異形の男は長く伸ばした長大な尾をゆらゆらと揺らしながら僕に語る。

 


 「まぁ、例え同じ“ヴリト”とて……“箱庭”の下等動物に従わされていては半端に育つのは道理か……オイ、小僧……お前の“ヴリル”で……この原始的な街を灰塵(かいじん)にせよ。さすれば改めて我が同胞として認めてやろう」


 そう言った異形の男は両手を広げて燃え上がる王都を指し示す。“ヴリル”って何のことか分らないけど、多分“アレ”の事だと思う。


 確かに僕が“アレ”をやれば王都は粉々になるだろう……。


 だけどやる訳無いじゃん、馬鹿じゃないの? 今まで僕は故郷の皆や大切なティアを守る為、どんだけ頑張って来たと思うんだ。


 粉々にするならお前だ、と強い憎しみを込めて空に浮かぶ男を睨む。




 でも、異形の男の周りにはとんでもない光景が広がっていた。先ず異形の男以外にも異形の存在が何人も浮かんでいる。


 そして奴らの背後に浮かぶのは巨大な空飛ぶ船……真黒く巨大なその塊は、まるで太く短い魚の様だけど鋭利な棘(とげ)が何本も後方に突き出ていた。


 圧倒的な存在感を持つそれは、表面に不思議な光が線を描いて忙しく走り、当たり前の様に浮かんでいる。


 止めは異形の奴らが使う無数の龍……その大きさは様々だけど、大きい奴は20m位有る。以前僕が右手の“アレ”で吹き飛ばしてやった龍より、力強く素早い。そうか、こっちの龍が本物なんだ……。


 無数の龍は、全てを焼き尽くす光線を放って王都を燃やし、逃げ惑う人々を引き裂き喰らっている……その様子を空に浮かぶ異形の奴らは楽しげに眺めている。



 ああ、コレは本当に世界の終りなんだ……。

 


 もう全ては終わろうとしている中で、僕の腕の中の彼女はどんどん冷たくなっていく。


 僕は彼女に持てる全ての技で癒(いや)そうとしたけど、体のアチコチを無くしてしまった彼女の命はどんどんと滑り落ちて行くんだ……。


 そんな彼女の傍らには、彼女の妹が滂沱(ぼうだ)の涙を流しながら声を上げて泣いていた。妹の方も酷い怪我だけど構う様子は無い。


 死にゆく彼女の周りには白い鎧の女騎士達が妹と同じ様に血まみれの姿で彼女に縋(すが)って泣いていた。家族の様に共に歩んだ白い女騎士達も半分は異形の奴らに殺されてしまったんだ。


 あんなに凛々りりしく優しい彼女達だったのに……。




 異形の奴らは突然、黒い船に乗って空を割る様に王都に現れたんだ。僕は皆を守る為、奴らに飛び掛かったけど……。


 あいつ等に手も足も出ず、ボロボロにされて転がされた。そんな僕を守る為に彼女と白い女騎士達が立ち塞(ふさ)がって……あっと言う間に引き裂かれたんだ……。

 

 馬鹿だな……僕より全然弱い癖に……どうして……どうして、向かって行ったんだよ!?



 「……返答は? 早くしろ、殺すぞ」


 僕が、頭の中で彼女に叫んでる最中に、空に浮かぶ異形の男が尊大に問うてくる。


 “殺すのはお前だよ”そう強く内心毒づきながら僕は、彼女をそっと寝かせる。


 (出来るだけ、時間を稼いで彼女と妹達を遠くに逃がさないと)そう覚悟を決めて、異形の男に向かおうとすると――


 彼女が……僕の指をそっと掴んだ。とても弱弱しく、そしてとても優しく……


 彼女は僕を震える手で引き寄せ、血に濡れたその手を僕の頬に沿える。そして愛おしそうに撫でながら、僕に囁(ささや)いたんだ。



 「……わ、私はお前に会えて本当に生まれ変われたんだ……そう、生き返ったんだよ……うぐ……でも……それは私の我儘(わがまま)だ……。

 お前の気持ちを蔑(ないがし)ろにして……お、お前が愛した少女と、お前を引き裂いた……あぐ……ハァハァ……済まなかった……。こ、この有様は……その報い……お前が気にする必要は無い……。

 今こそ……言おう……あぅ……ハァハァ……ず、ずっと言わなくては、と思いながら言えなかった……言葉だ……“汝、その魂よ。自由なれ”……」


 彼女は目に涙を湛(たた)えながら囁(ささや)くと、僕を縛っていた忌まわしい首輪が一瞬光り力を失った。そして彼女は血だらけの震える手で、僕の従属の首輪を外した。


 僕を一心に見つめるその瞳は、もはや色を映していない。命が消えそうなのか……


 「……こ、これで……お前は……ハァハァ……じ、自由だ……ぐう……好きに……い、生きろ……レナン……ずっと……ずっと……愛していた……」




 そう囁(ささや)きながら彼女は逝った。僕の頬を愛しげに撫でていたその手は力なく糸が切れた様に崩れ落ちた。


 だけど片方の手には僕を縛っていたあの赤い首輪を握り締めて……


 何だよ、未練タラタラじゃん……そんな事を思ってはいたけど、僕は目の前の出来事がどこか夢の様で理解出来なかった。


 彼女の名を呼びながら揺さぶってみるけど、彼女は目を覚まさない。


 彼女の美しい顏に何かが降り注ぐ。それが滂沱(ぼうだ)の如く流れ落ちる自分の涙だとはその時は気が付かなかったんだ。


 何でか分らないけど僕は声にならない叫び声を上げていた。僕だけじゃない、彼女の妹も、白い女騎士達も、皆狂ったように泣き叫んだんだ。

 



 「下等動物が死んだだけで……その乱れよう……お前は“ヴリト”の戦士に相応しくない……殺すしか無さそうだな。だが、安心しろ……お前を殺した後、他の奴らも全員バラバラにして引き裂いてやる……そこの下等動物の様にな……」


 異形の男はそう言って近づいて来る。本気で全員、殺す気だ。


 僕は泣きながら無理やり、立ち上がった。


 あの男は“戦士”と言った。戦士なら僕は知っている……彼女だ。彼女はいつだって誰かを守る為、戦って来た。


 強そうな振りをして本当は弱い彼女……それでも彼女は誰かを守る為に黒い鎧を纏(まと)って……いつだって前に立ってきたんだ! 


 彼女の想いを汚させはしない! 絶対に負けらない!


 僕はそう強い想いを抱いて、横に眠る彼女を見つめて囁(ささや)いた。



 「マリアベル……君は僕に自由に生きろって言ったから……そうさせて貰う。今こそ誓おう……。このレナン、汝の魂と共に戦うと!!」



 僕はそう叫んだ瞬間、彼女の魂が僕に入り込んだ気がした。そして自分を縛っていた何かがバッサリと切れたように感じたんだ。


 ああ、そうか……僕はいつの間にか君を愛してしまったのかも知れない。それを僕は拒絶して、縮こまっていた様な気がする。


 僕は自分を縛っていた枷(かせ)を切り裂いた。その瞬間、僕の体は真白く輝いて……凄まじい力が開放されるのを確かに感じた。

 


 “キイイイイイイン!!!”



 「な、何だ、この尋常では無い“ヴリル”は!? こ、これが一個体が放てる力だと言うのか!?」


 異形の男は、光輝く僕を見て叫んでいる。


 やがて光が止み、自分の体を見遣(みや)ると……右腕だけじゃない……左手も、両足も奴らと同じ様に真白く輝く龍の様な形状になった。


 そして両手両足と首元にはめ込まれた宝石の様な器官が眩(まばゆ)く輝き、不思議な事に太くて長い尾も生えていた。

 

 変な感じ……だけど全然違和感がない……不思議そうに自分の手足を見つめていた僕に異形の男は驚愕した声で叫んだ。その声には明らかに怯えが感じられる。



 「ば、馬鹿な!? “角持ち”だと!? よもや、“箱庭”に始祖の血を引く王族が居るとは!! ま、拙(まず)い! 奴がもし、第三形態まで覚醒したら……大変な事に……! や、奴を殺せ! 一刻も、一刻も早くだ!!」


 異形の男は、僕の額を見て大騒ぎしている。


 僕はそっと額の方に手をやると……角が生えてる……何か分らないけど……そこから物凄い力が湧いてくる……負ける気がしない。 


 それは……きっと君と一緒だからだろう。さぁ……マリアベル、一緒に! 戦おう!!


  “キュド!!”


 そう思った瞬間、僕は音より速く飛んで、異形の男を一瞬で引き裂いた!

 





 それから僕は死に物狂いで戦ったんだ。


 初めて彼女の想いと共に。僕は長く彼女と一緒に居たけど……彼女の心と向き合った事は無かったと思う。


 僕の心には何時もティアが居るから……。


 だけど……この戦いの後、僕自身も含めて……この世界は大きく変わるだろう。


 ……でも僕のやるべき事は分ってるんだ。


 だってそうだろう? 彼女なら、マリアベルなら……どうするかなんて目を瞑(つむ)ったって分るんだ。


 弱い癖に厳(いか)つい鎧で自分をごまかし、“王国の為に”なんて言いながら、一番前で戦うだろう。


 だから、僕は彼女の後を引き継ぐ。彼女の想いは壊させない。


 王国を、アルテリアの皆を、そしてティアを……あいつ等なんかに好きにさせて堪(たま)るものか。


 その為になら僕は何だってしよう……





 こんな僕だけどティア……君は許してくれるだろうか? 彼女の魂と共に戦う僕を。


 だけど……今はゴメン……僕は彼女と共に戦うよ。だから……今日から僕は黒騎士だ。


 もう昔には戻れない。レナンと言う人間はここで死んだんだ。故郷に居るティアはきっと悲しむけど……仕方ないんだ。


 でも……忘れる事は出来ない……レナンとして生きて来た沢山の思い出……


 愛しいティアとの出会い、冒険、婚約、別れ……そして僕を愛してくれたマリアベルとの毎日……どれも美しくて悲しくて暖かくて残酷な日々だった。


 今一度、その日々を振り返ろう……。そして……その後は凄惨な戦いの始まりだ。


 だから、今だけはあの時の思い出に浸(ひた)らして欲しい……僕が、大切なティアと初めて出会ったのは……確か、あの“箱庭”だった筈。 


 そう、僕の、いや……戦いは“箱庭”から始まった――


 That will begin now ……”箱庭から始まる英雄譚Ⅰ”

 

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