第12話 『 穏やかな喧騒 』
【 side颯太 】
―― 6 ――
「へっくし!」
「きたなっ! ちょっと颯太くんや、俺の方まで鼻水飛んできたんですけど……」
「誰か絶対噂してる。たぶんみつ姉だな」
「おーい、颯太くーん? 俺の話聞いてますか?」
隣からの文句を無視しつつ、颯太はずいっと鼻を啜った。
本日の五限目は体育。種目は持久走で、グランドを八・五周の約三千メートル。終った者から自由とのことで、元陸上部と現陸上部の二人は早々に完走して今は日陰でサボっていた。
「お前はあっちに混ざらなくていいのかよ」
「いやー。今日のお昼食べ過ぎちゃったからさ。持久走の後にサッカーは無理。やったらたぶん吐くね」
ボールを蹴り合っているクラスメイトたちを眺めながら淡泊に言うと、陸人は僅かに苦しそうな表情を浮かべていた。なんとなく、颯太は陸人から距離を置いた。
それからしばらくクラスメイトたちの運動風景を眺めていると、陸人が何気なく問いかけてきた。
「お前さ、運動とかしてる?」
「……なんで急にそんなこと聞いてきた」
「だって普通思うだろ。今は運動部でもないやつが、どうして持久走で運動部の奴らと同じペースで走れるんだろうって」
その声音は静かでありながら、けれどどこか嫉妬が混じっているように思えた。
「たまたまだろ。お昼食べた後の体育で皆やる気がなかったから本気じゃない。他は喋りながら走ってたりしてたろ」
「まぁな。でも、途中から皆面白半分で本気で走り始めたろ」
「…………」
陸人の言及に口を噤んだのは、颯太も走りの最中にその気配を察したからだ。
「お前も途中までは皆とペース合わせてたけど、ラスト三週目辺りからペース上げたよな」
「あれは……少し気分が高まっただけというか」
眠気を感じながらも走っている最中に体温が上がってきて、足の回転が速くなったのはほぼ無意識だった。
その時一瞬。颯太は先頭に立っていた。
「でも、そこからは旭とか光也に抜かされたろ。お前にだって」
「あいつらは今年のシャトルランで百五十越えのバケモンだし、俺はバリバリの陸上部だぞ」
颯太の言い訳を陸人は悉く正論で返した。これ以上は何を言っても無駄だろうと理解して、颯太は吐息交じりに答えた。
「……休日とか、気分が良い日にたまに、走り込んだりしてる」
「やっぱな」
観念して答えた颯太に、陸人は「ようやく白旗を上げたな」と苦笑した。
小さい頃から習慣化されたランニングは、体に沁みついてしまったせいで時々走らないと体がむず痒くなってしまうのだ。
「あー。最近はアリシアと一緒に走ったりもするかな」
「さりげなく惚気を入れるなよ。泣くぞ」
「ならさっさと告れよ」
他意をふんだんに含めて言うと、陸人は、けっと唾を吐いた。それから陸人は青い空を拝みながら、
「まぁなんで颯太が走れるのか納得したわ。足も、前程じゃないけどやっぱ速いわ」
「そりゃどうも」
「……なぁ、颯太。未練とかないの?」
微風に乗せて投げかけれた問いかけに、颯太は目を細めた。
「ないよ」
竹部先生にも、朋絵にも『後悔はないのか』と聞かれた。その度に颯太はないと頷いてきた。今もそうだ。
「俺さ、竹部先生にこの前もう一度部活に戻ってきて欲しい、って言われた時、駄目な理由をちゃんと言えなかったんだ」
やりたいことがある、それだけ言って詳細は伝えず、結局、竹部先生には申し訳ないことをしてしまったと思っていた。
「俺は、アリシアと居る時間が一番大切なんだ。惚気とかじゃなくて本気で。一緒にいるとずっと楽しくてさ。幸せってこういうのなんだって凄い感じる」
「中年のおっさんかお前は」
「未成年だこら」
大袈裟だと失笑する陸人に、颯太は真面目な口調を崩さなかった。
陸人の家庭環境を全て知っている訳ではないが、よく朋絵と家族の話題で盛り上がっているからするに良好な家族関係は築いているのだろう。
だからこそ、陸人は家族のいる日常がいかに幸せであるか分からないのだ。
颯太は尚、天涯孤独であることに変わりはない。両親を事故で失くし、愛情をくれた祖父さえももう他界してしまった。
颯太の隣にいてくれるのは――アリシアだけだった。
彼女の笑った顔が好きだ。彼女の一生懸命さが好きだ。彼女の怒った顔も愛らしい。彼女が悲しむ顔はさせたくないし、そうなったら死ぬ気で晴らさせる。
アリシアには、ずっと笑顔でいて欲しい。
「俺はなるべく学校が終わったら早く帰りたいし、補習とか絶対受けたくない。一分一秒でもアリシアと一緒にいたい」
「――――」
「だから、走らないことに後悔はない」
言い終えて陸人のほうを見れば、颯太は凝然とした。
だって、隣に座る少年は、陸人のことをまるで崇拝者の如く爛々とした目を向けていたから。
「お前凄いな! 照れとか恥じらいやら……なんかそういうの通り越して感服したわ!」
「それは、あれか? 馬鹿にしてるのか?」
「いやいや本当に尊敬してるから⁉ ――颯太がアリシアちゃんに一途なのがよく分かる熱い内容だった!」
「やっぱ馬鹿にしてるな」
「ちょ、拳抑えて⁉ お願いします恋の神様颯太様!」
「やっぱ馬鹿にしてるじゃねえか!」
最期の方に確信をつかせた陸人にゲンコツをお見舞いして、颯太は咳払いした。
「とにかく、そんな訳で俺は部活にも戻らないし走ることに未練もない」
「そっか。……でもやっぱ残念だなー。お前とまた一緒に走れるかもしれなかったのに」
「走るくらいなら別にいつでも……やっぱたまに……いた極稀なら、見当してやらんくもない」
「本音が漏れてるぞ颯太くんや」
友人との交友関係よりも彼女との時間を大切にしようとする颯太に陸人はため息。颯太にとって人生=アリシアなのだから仕方がないのことだ。
「お前もカノジョが出来れば俺の気持ち少しは理解できると思うぞ」
「くっ。それは俺に早く告白しろと言っているようなものだぞ!」
「実際その通りだし、俺からすればお似合いだと思うけどな」
「それマジ⁉ 嘘吐いてないよね⁉ 嘘だったら颯太の黒歴史アリシアちゃんにバラすからな!」
「どんだけ必死なんだよ」
無論颯太の感想は本心なのだが、やはり陸人はまだ自信を持てていないようだった。
――でも、恋人、かぁ。
颯太から見ても朋絵と陸人は仲が良いし、付き合ったらお似合いだと思うが、確かに今のまま告白しても朋絵からの二つ返事がもらえるかは微妙だった。
現状、二人は同じ部活で仲の良い男女友達としての見え方が強かった。そこから恋に発展することもあるようだが、はたして二人にそれが当てはまるのかが問題だ。
二人の関係性に颯太のほうがやきもき始めた時だった。
「あ、二人ともこんな所にいた」
そう声を掛けてきたのは、件の少女――朋絵だった。
びくりと肩を震わせる陸人に代わって、近くに寄って来た朋絵に「お疲れ」と一言を添えながら、
「何か用?」
「特になにも。ただ、二人の姿が見えなかったから探してただけー」
どうやら朋絵もとっくに持久走は完走していたらしく、本当に暇だから二人を探してただけのようだ。それに、先の会話もこの限りだと聞いていないようだ。
「それで、二人はサボって何してたの?」
「……あー」
ちらりと陸人を見れば、朋絵には気付かれないように『絶対言うな!』と視線を送りつけてきた。……やれやれ。
「ちょっと走り過ぎたから休んでただけだ。特にやりたいものもなかったし、あの輪に入るには人数オーバーだしな」
わいわいとサッカーを楽しんでいるクラスメイト達を囮に使いつつ誤魔化すと、朋絵は勝手に解釈してくれたようで。
「確かに、あのペースだと颯太疲れたかもね。でも凄かったじゃん。もう数カ月も走ってないのに上位陣と張り合ってて」
「あくまで授業だからな。本気だったらたぶん勝てない」
「分かんないんじゃない? ちょっと練習すれば、颯太なら走る感覚くらいすぐ取り戻せるでしょ」
「颯太ならイケるって……とういか陸人はなんでちょっと不満そうなの?」
「気にすんな。ほっとけば元に戻る」
朋絵から賛辞を受けている颯太が気に食わなかったのか、陸人はそっぽを向いて不服そうにしていた。実に面倒くさい友人だと呆れつつ、颯太は陸人の耳を抓んだ。
「ほら、そろそろ戻るぞ、育児なし。あと五分で授業終わる」
「イダダ⁉ 悪かった! 意気地なしの俺が悪かったから! だから耳抓るのやめて⁉」
「……仲いいね、二人とも」
陸人を力づくで引っ張る颯太に朋絵は苦笑交じりに眺めていた。
「あそうだ。陸人、颯太にちゃんと言っておいてくれた?」
「あ、ヤベ。忘れてた」
「何やってんのまったく」
突然、朋絵が陸人に何かを確認していた。どうやら陸人はすっかりそれを忘れていたようで、朋絵は辟易としながら颯太に言った。
「颯太。放課後、竹部先生が来てほしいって」
「は? なんで」
「さぁ? ただ……」
朋絵もどうやら要件までは聞いていないらしい。ただ、何故か最期の歯切れ悪くなり、颯太は疑問符を頭に浮かべた。
ぱっと陸人の耳を解放すると、彼は苦悩する朋絵の隣へ慌てて移動した。そして、二人は申し訳なさそうな顔しながら、告げた。
「あのね。神払さんも部活に来るんだって」
朋絵の言葉に、颯太は余計に疑念を深めるばかりだった。
―― Fin ――
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