天罰のメソッド~処刑天使。ひきこもりの少年に恋をする~

結乃拓也/ゆのや

プロローグ 『 天使の罪科 』

 足音を追いかけるように、冷たく重いそれは地面を擦る。

 暗い廊下に間隔的に置かれた松明。それをなぞるように、足音は進んでいく。

 シャラン、シャラン、シャラン。

 幅二メートルもない石造りの廊下。装飾のない空間は、鎖の音を強く反響する。逃げ場のないことを容易く理解させ、それは行く先を強制させる。

 何本目かの松明を通り過ぎた頃、鎖の音が小さくなっていく。さらに数メートル進むと、暗闇の先に淡い光が見えた。

 反響していた音がやがて、ピタリと止むとき、天使は数十時間ぶりに空を仰いだ。

 見慣れたはずの空がやけに眩しくて、天使は思わず瞼を細めた。

「――何をしている」

「いえ……すぐに行きます」

 目前。二体いる看守の一体が天使に振り向く。その顔は鉄兜てつかぶとに覆われて見えないが、声音から警戒心を色濃くしたのはすぐに察した。

 別にそこまで警戒しなくても逃げないのにな、と天使は内心で呟く。しかし、注意されるのも当然かとすぐ納得する。

 看守たちは一瞥の後、天使の動向に注意を払いながら再び歩みを始めた。それに合わせるように天使もまた、白銀に輝く髪を揺らして地面を踏む。

 シャラン、シャラン。鎖の音はどこまでもついて来る。壁中ほどではないにしろ、外に出てもこの音が消えるわけではない。

天使の左右の足に嵌められた鉄枷は、後方二体の看守の構える槍と繋がっている。それだけじゃない。両手すらも、鉄枷で拘束されている状態だ。

 徹底された自由への剥奪。それはまさしく〝咎者〟と呼ぶに相応しい姿だった。

 銀髪の髪を揺らしながら歩く天使。女体として誕生した体躯は華奢で透き通ほどに白い。

その肌に一際目立つのは、左腕の赤い紋章――罪科を背負う者の証だ。

 腕に烙印。両手両足は鉄枷で拘束状態。さらに、四体の看守。

 ――つまるところ、天使は死刑執行の最中だ。

 この『天界』は神が創り出した神聖な世界。それ故にたった一度の罪も許されない。当然、天使は神様から生まれたわけで、その神様の意向に背くことは微塵もありえないはずなのだが、この天使はそんな世界の法則に背いた。

 故に咎者となり、そして、罪者。――即ち、死刑。

 天使は死刑執行が決定する間際、小耳に挟んだ話を思い出す。どうやら、この天界で罪を犯したのは数千年に一度、自分を含めて史上四体目らしい。

 ならば他の三体も、自分と同じような光景に立ち会ったのだろうかと、天使は目先に映る光景を見つめて自問した。

 この異例な事態を一目でも見ようと、看守が通れる道だけを残して見物客の天使たちがごった返していた。

 さしもの天使もこれ程注目浴びるとは予想外だった。向けられる様々な視線に、天使は咄嗟に俯いてしまった。

 看守の存在によって周囲は大声を上げることはない。だが、四方八方からひそひそと囁き声が聞こえ、それが鎖の音よりも気味悪かった。

 〝咎者〟なのだから当たり前だという感情と、今すぐに逃げたい恐怖心との葛藤に、天使の指が震える。

「じゅん……純大天使様!」

 そんな見物客たちのひしめき合う中。ふと誰かの叫び声が耳に届いた。天使は俯いた顔をはっと上げると、その声主を探した。

 天使を呼ぶ叫びは続く。それは個でなく、集となって聞こえた叫びだった。

 段々と近づくその声の方向に顔を向けると、行列を無理矢理掻き分けながらこちらに向かって来る集団を捉えた。

 行列を抜け出し、前に顔を出したのは、自身の死刑が決定する直前まで面倒を見ていた下位の天使たちだった。

 彼らは息遣いが荒いまま、目尻に雫を溜めて叫ぶ。

「純大天使様、行かないでください!」「きっと何かの間違いなんですよね⁉」「嘘ですよね、こんな別れ方、あんまりじゃないですか⁉」「どうしてあなたのような方が罪を犯したんですか⁉」

 泣きじゃくる声。懇願する声。悲痛にも似た、糾弾の声。

 その姿は流石に応え、天使は己の無力さに奥歯を噛み締めた。

 せめて、彼らには謝罪の一つを言いたい。しかし、その意を察したように目前の看守が振り向く。〝咎者〟には、発言の自由さえ許されない。その現実に、天使はより強く奥歯を噛み締めるしかなかった。

 ――けれど、やはり何も伝えられないのは嫌だから。

 泣き叫ぶ彼らの前に差し迫り通り過ぎる、その一秒にも満たない瞬間。

「――純大天使様」

 一切の自由を禁じられた天使は、しかしその中で最大限の抵抗をやってみせた。

 刹那の間に彼らを見て、そして精一杯、伝えたいことを伝えたつもりだった。

 そして、天使は彼らの前を通り過ぎる。振り返る事はできない。

 彼らは今、どんな表情をしているか、それを知りたいもどかしさに唇を噛みしめようとした、その時だった。

「必ず、立派な聖天使になってみせます! だから……だからずっと私たちを見守っていてください! ――アリシア様‼」

 背後から一際大きな声が、周囲の騒音を黙らせた。周囲は凝然とする。しかし、そんなことはお構いなしと「私も!」「私も!」「私も!」と声が続いた。

 どうやら、想いはちゃんと彼らに伝わったようだ。

 ――よかった。伝わってくれて。

 これだけでも看守の目を盗んだ甲斐があったと思う反面、やはり自分は〝咎者〟なのだと自覚する。だって、こんな状況で頬が緩んでしまうのだから。

 天使は僅かに緩んだ頬をすぐに引き締め、俯いていた顔を上げる。その表情に躊躇いはない。凛然と前を見据える天使の顔は、他の天使たちの騒音を瞬く間に黙らせた。

 敢然と、死を覚悟して臨む天使の姿はあまりに美しかった。まるで死など恐れていないかのように。

 その姿に、周囲は息を呑む。

圧巻された天使たちは、目の色を変えていく。声音が静まり返り、彼らは自然と列を整えていく。

 一直線に出来上がった列。それはもう見物客ではなく、列席者たちだった。

 そして、最後の列席者が天使を見届けると、補装された道から草木の茂る大地へと移り変わる。他の天使はこの地に入ることを許可されていない。ここから先は、天使と看守の五体のみ。

 そこから目的地までの道のりはひどく静かだった。

 繋がれた鎖に引っ張られるまま天使は雑木林に入り、一本の補装された道のりを進む。

 奥へ、奥へと――。

「とまれ」

 そうして辿り着いた先。

 そこに広がった光景は、この長いようで短い旅路の終幕に相応しい絶景だった。

「――わぁ」

 天使はその荘厳さに、思わず息を呑む。

 黄金色の瞳に映る、幻想的な光景。

 闇を照らす太陽は燦然と輝き、世界の光をもたらしている。真っ赤に燃える炎がこの群青の空を朱に染め上げようとし、雲は形を変えながら悠々と揺蕩っている。

 そんな世界を、羽を生やした生物が自由を謳うように空を羽ばたいていた。

「……綺麗」

 天使の口から、ぽつりとそんな言葉が零れる。そして、それ以外にこの光景を語れる言葉などないと悟る。

 終わりが来るその時まで、天使は絶景を目に焼き付ける。

「時間だ」

 前方の看守が、合図を切り出す。

 天使は静かに頷いた。

「――はい」

 すぅ、と息を吐き、天使は看守の合図に従った。

 カラン、と拘束具が音を立てて外れる。体が自由になった代わりに、天使の背中には槍が突き付けられる。

 一歩目を踏み出すと、もうこの足が止まることがなかった。ただゆっくりと、その時に近づいていく。

 二歩目――体が震えた。それは逡巡。

 三歩目――瞼を閉じた。それは未練。

 四歩目――息を整える。それは覚悟。

 五歩目――耳を澄ます。それは決別。

 六歩目――瞼を開いた。それは、決意。

 七歩目。体はもう、崖の先端まで来ていた。視線を落とせば世界の奈落が見える。しかし、天使の顔に、微塵の迷いはない。

 最後の一歩を踏み出した瞬間だった。天使の背中に、大きな羽が広がった。真っ白な、純白の羽だ。それこそ、この宙も飛べるほどの。

 きっと、飛べたはずだ。今も駆け抜けるあの生き物のように。けれど、飛べない。

 天使の体は落ちていく。ひたすらに真っ直ぐに。

 落ちて、落ちて――その時間の中で、羽は一枚ずつ剥がれていく。ひらひらと自分から剥がれ落ちた羽でいつしか宙が一杯になり、やがて、天使の背中には一枚も残らず剥がれた。

 自分があの世界で生きた証を見届けながら、天使は頬を緩めて、囁く。


「――さようなら」   


 そうして。

 天使は果てのない空を落ちていく。


           ―― Fin ――


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