修学旅行
上海公司
第1話
「な、お前さ。あの噂知ってる?」
カズヒロは少し声を落として言った。辺りには人っこ1人いないのに誰かに聞かれるのを怖がっているかのような喋り方だった。
「あの噂って」
トシキはカズヒロが真面目ぶった態度をするので、少し身構えて聞き返す。
「ほらあれ。修学旅行の」
カズヒロがさらに顔を近づけて言う。
「修学旅行?」
修学旅行が何だって言うんだ?トシキは自分の頭の中でGoogle検索するみたいに修学旅行というワードで引っかかる事柄を探してみたが、全く思い当たらない。
「たく、お前はよぉ。学年の男でこの噂知らないのお前ぐらいなんじゃねぇか。」
カズヒロが呆れたように言う。トシキはカズヒロを睨む。さっさと教えてくれればいいのにこういうマウントの取り方は嫌いだ。
「お前がもしただの友達だったら教えてやらねぇところだがよ。お前は小学校からのダチだから今回は特別に教えてやるよ。」
「だから何の噂だよ。」
カズヒロがおちょくっているだけで教えてくれる気がある事がわかってトシキは少し安心した。なんの噂の事なのかはやっぱり気になる。
「昨日の5限に男女で2人1組のペア作ったじゃん?」
「あのなんか修学旅行のイベントのやつな。」
「それが先輩達の話聞くとさ。そのペアってのがあれらしいんだよ。」
「あれってなんだよ。」
ここまで言っておきながら尚ももったいぶるカズヒロにトシキはイライラを募らせる。
「だからさ。夜になると2人で部屋行って、あれするらしいんだよ。」
カズヒロはさらに声のボリュームを落として言った。
「は?あれってなんだよ?」
トシキが尋ねるとカズヒロは気まずそうにする。
「お前、あれっつったらあれしかないだろ?ほら、セッ……」
カズヒロは言いにくそうに言った。
ここまで聞いて、トシキはピンのきてポカンとした。顔が自然と赤くなる。
「は?お前、それ?嘘だろ?」
「いや、それがさ。ほんとなんだって。テニス部の部活の先輩が言ってたんだよ。なんでも修学旅行2日目の夜のイベントってのがさ。ペア同士で急接近できちゃうイベントだそうで、先輩達、けっこうなペアがそのままやっちゃったらしいぜ?」
トシキはそれを聞いて内心少しがっかりする。
「いやそれさ。先輩達のコミュ力がすごかっただけじゃね?オレらみたいなもさい連中じゃ無理だって。」
「まぁまぁお前、そんな夢のない事言うなって。で?トシキは誰とペアになったんだよ?」
カズヒロの質問にトシキは口をつぐんだ。
もしカズヒロの言っている事が本当だとしたら、と考えると安易にその人の名前を口にしてはいけないような気がした。
「なんだよ?教えろよ?オレも教えるからさ。」
カズヒロが急かす。
「…………池谷さん」
トシキはまるで取調室で罪を自白するかのような気持ちで彼女の名前を告げた。
「…………まじ?池谷?水泳部の?」
カズヒロは目を丸くして聞き返す。
「まじ」
「……お前さ。……、それ、当たりくじじゃね!?」
「当たりくじとかいうな!」
カズヒロのあまりに失礼な言葉に、思わず声を上げる。
池谷さんは少し焼けた肌と肩までの髪が特徴の活発な女の子だった。クラスではいじられキャラなので、よくブスだと言われていたが、そんな事がないのはみんな分かっていた。
「池谷か。いいなぁ。」
カズヒロはそういうと小石を拾い上げ、目の前に流れる川へと投げ入れた。
「気持ちがストレートすぎるだろ。オレそんな事しねぇし」
カズヒロはニヤリとしてこちらを向く。
「いや、でもよトシキ?お前も池谷との事想像してみろって。経験ないかもしんないけど、毎日お世話になってる動画とか使って想像してみろって。ほんとになんもなくていいの?」
トシキはリアルなそれを想像して顔をさっきよりも赤くした。池谷さんと、なんて想像するだけでも罪深い事をしているように感じる。
「まじそれはあかんって。てか、経験ないってそれはカズヒロも一緒だろ!」
トシキは思わず声を上げた。
「え、オレが未経験だと思ってるの?」
カズヒロは急に真顔になって言う。
トシキは急に不安が押し寄せてくる。
「え、違うのか?お前、彼女いなかったよな?」
トシキは平静を装って尋ねるが、内心の動揺は計り知れないものだった。男子高校生にとって経験済みか否か、それ以上に大事なことなんてありはしないのだ。
「いねぇよ?でもそれは未経験と関係ないだろ?」
「は?」
「え?」
トシキの中で宇宙が形を変えてしまったかのような衝撃が走った。たしかに、関係ない。
いやいや、そんな事はない。付き合いもせずに淫らに関係を持つのなんて、学年でも極一部の人間のはずだ。もしかして自分がそう思っていただけなのか?小学校からの親友とも呼べるカズヒロも実はそっち側の人間だったのか?
「……ク、ハハハ、何その顔!」
カズヒロは声を上げて笑ってから、
「うっそー、オレもゴリゴリの童貞でした。」
と戯けて言う。
「は!?お前!」
トシキは安堵して声を上げる。
「焦った?」
「いや、なんで焦るんだよ。」
「焦っただろ。」
カズヒロのその態度にトシキは再び懐疑心が沸き起こった。
「ほんとに未経験なんだよな!?」
「焦ってますね、トシキくん」
カズヒロがニヤニヤしながら言うので、余計に真実がどちらなのか分からなくなる。
自分はどうしてこんなに焦るのだろうと、トシキは思う。別にカズヒロが経験済みだったって問題がある事じゃない。だけど、どこか自分だけ置いてけぼりにされたような気がするのだ。
「うるせぇよ。てかカズヒロのペア誰なんだよ。」
トシキは無理矢理に話題を逸らした。
「それは内緒」
カズヒロは人差し指を顔の前に立てて言った。
「はぁー!?」
「あ、あれ池谷じゃね?」
突然カズヒロが遠くを見て言うのでトシキは思わず振り返る。だが河川敷沿いの道には人影は見えない。
「は!?」
「うっそー!焦りすぎー」
カズヒロは腹を抱えて笑った。
「お前……!」
「まぁまぁ、そう怒んなって」
「ん?あれ池谷じゃね?」
「は?お前くどいって」
トシキはカズヒロが声を上げて見た方を振り返りもせず言った。
「2人ともこんなとこで何してるの?」
不意に後ろから聞こえる女子の声にトシキは頭が回らなくなった。
「やぁやぁ池谷さん、女子には言えない内緒の話してたとこだよ」
カズヒロはなんでもないように答える。トシキが慌てて振り返るとそこには件の池谷さんと、その友達の山村さんが立っていた。
「なにそれ、キモー」
山村さんが声を上げる。
「キモ言うな。それよりあれ!修学旅行のペアの話!うちのトシキがお世話になるみたいで、どうぞお手柔らかにお願いします。」
「お前、やめろって!」
カズヒロが仰々しく池谷さんにお辞儀をするので、トシキは恥ずかしくなって言った。全く、カズヒロはどうして女子の前でも平然としていられるのかがわからなかった。
「ミオ、松浦くんとペアなのー!?いいなぁ。あたしなんて今沢よ!ほんと最低!あいつクラスで下ネタ意外話してるとこ見た事ないし!」
山村さんが隣の池谷さんに向かって言う。ペアになる事に対して、いいなぁと言われるのは素直に嬉しかった。
「そりゃ災難だねー。今沢なんてほっといて、山村さん、オレとペアにならない?」
カズヒロはさらりとふざけた事を言った。
「ちょっとそれ早瀬君の相手の子はどうするのよ?てか、早瀬君はだれとペアなの?」
山村さんの質問に、その場の3人の視線がカズヒロに集まる。
「ん?柿谷さん。」
「あー」
池谷さんと山村さんは同時に声を発した。柿谷さんははっきり言って不細工で性格も引っ込み思案だった。
「あのイベント何するんだろうね?」
池谷さんが微妙な雰囲気を振り払うように別の話題を振る。
「ね、結局ペアだけ決めて、何するか教えてもらえなかったし。」
「あれ、脱出ゲーム的な事するらしいよ?」
カズヒロが言う。それが本当なのかトシキにはもう判断が出来なかった。
「脱出ゲームなんてやった事ないなぁ」
「てかあたし下沢と脱出ゲームとかまじありえないんだけど、下沢と2人っきりになるって事だよね?
キモ〜」
「どんまいカスミ」
女子2人が盛り上がる。こう言う会話を聞くと、下沢のようなポジションにならなくて本当に良かったと思う。
「トシキは池谷さんと2人っきりだな。」
カズヒロが爆弾のような一言を発する。
「ばかお前、変な言い方するなよ!」
「松浦君照れてる〜」
「顔赤いよ〜」
すかさず女子2人が茶化す。
「照れてないし赤くないって」
そう言いながらトシキは池谷さんの顔色を伺った。池谷さんの方は自分と2人っきりになる事をどう思っているのだろうか?
しかし、池谷さんは普段と変わらない様子だった。
「じゃあ、私達もう行かなきゃだから!」
散々茶化した後、山村さんは言った。
「なーに、もう行っちゃうの?」
カズヒロはまるでおじさんのように言う。
「うん、私達これから塾なの」
「そっかあ、ざーんねん」
「また明日ね。早瀬くん、松浦くん」
「うん、また明日ー」
「バイバーイ、また明日!」
手を振る池谷さんにトシキも手を振り返した。
女の子達の姿が見えなくなると、夕方の河川敷に穏やかな風が吹いた。2人はしばらく沈黙していた。
「お前さ」
やがてカズヒロが口を開く。
「うん?」
「池谷さんと付き合ったら?」
修学旅行 上海公司 @kosi-syanghai
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