その9

「あたりまえの話になるけど、豚骨と鶏ガラは食材じゃない。食肉センターででた廃材を使って出汁をとってるんだ。同じように煮こんだって、毎日、でてくる出汁は変わってくる。旨みがでない日もあれば、変に臭みがでちゃう日もあるし。皐月さんのラーメンは、その辺、きちんとしていたから、俺も感心したんだけど。ただ、これからも、ずっとそうだとは限らないんだよ」


 俺は弥生さんから皐月さんに目を移した。


「これは俺が実際に経験したことなんですけど。コンビニで買ってきたカップ麺をあけたら、海苔の袋がふたつでてきたことがありました。あと、スーパーで買ったせんべいの袋から、エージレスの袋がふたつでてきたこともあります。だから、あのとき出荷にしたカップ麺やせんべいの袋には、どこかに一個、海苔やエージレスが入ってない商品があったか、そうじゃなかったら、工場で在庫整理をしていて、海苔とエージレスが予定より一個すくないってハプニングが起こってるはずなんですけど。まあ、それはいいとして、とりあえず、これで言えることは、コンピュータ制御のオートメーション工場でも、そういうミスは起こるってことです。だったら、人間がつくってるラーメンの出汁では、そういうミスが、いつかどこかで絶対に起こると思ってください」


 俺の説明を、皐月さんは黙って聞いていた。


「誤解のないように言っておきますけど、これはべつに、皐月さんの料理の腕を悪く言っているわけではありません。どこのラーメン屋でも、必ず起こることなんです。で、一〇〇点満点の出汁が理想だとしても、七〇点の出汁しかとれなかったって日がきたとします。そのときにどうするか? それだって店は開かなくちゃならないんですよ。そうしないと儲けはないし、楽しみにしているお客さんを裏切るわけにも行きませんから」


 一度、言葉を区切って反応を見たが、皐月さんから返事はなかった。


「そういうとき、醤油ラーメンと味噌ラーメンは発酵調味料でなんとかなるとして、塩ラーメンはどうするか? これも発酵調味料でなんとかするしかありません。それを考えた場合、普段から塩麹を使って、七〇点の出汁にプラス三〇点の発酵調味料でラーメンの形にするしかないんですよ。俺が今回、塩麹を使った第二の理由がそれです」


「そうですね」


 少しして皐月さんが返事をした。


「私は天才でもなんでもないんだし。失敗することなんて、あたりまえにあるんだし。なんか、どこかで勘違いをしちゃってたみたいです」


「勘違いはしていてもいいんですよ」


 あんまり落ちこまれても困るから、俺は補足しておいた。


「ただ、天才じゃなくて、秀才なんだと思っていてください。努力の人。それで、いざというときのために、塩ラーメンに保険をかけている。――そういう路線で生きているってことで?」


 最後は疑問不調に言い、俺は皐月さんを見つめた。意識的に優しい目つきをしていたのだが、これで皐月さんもうなずいた。


「わかりました。では、私も、塩ラーメンをつくるときは、塩ダレの量を減らして、塩麹とスルメを使わせていただきます」


「そう言ってくれると俺もうれしいです」


 俺も笑顔で返事をした。よし、これで醤油ラーメンと塩ラーメンのスープのテコ入れは完了だな。


「ただ、これを基本にスープを試作するときは、ときどき外にでて、鼻を普通の状態に戻してくださいね。嗅覚疲労を起こした状態でラーメンの試作をつづけると、かえっておかしなものができあがりますから」


 念の為に俺はアドバイスをしておいた。それから少し表情を変える。


「さて、あとに残るは味噌ラーメンですよね」


 ここで、皐月さんと弥生さんも表情が変わった。いままで以上に複雑なものがくるって気づいたらしい。

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