その10

「まず、最初に言います。俺は今日、この店の味噌ラーメンをはじめて食べました」


 塩ラーメンスープの入った丼を片付けながら、俺は皐月さんと弥生さんに話をした。


「つまり、事前に食べてなかったから、どういう味噌ラーメンなのかは知らなかったわけです。まあ、北海道札幌味噌ラーメンみたいなつくり方はしてないだろうな、くらいの想像はしてましたけど。で、実際にその通りでした」


 俺の言葉に、皐月さんが真面目な顔で俺を見つめてきた。


「やっぱり、それはわかってましたか」


「まあ、その方が、この店のラーメンとしては正解だったと思います」


「え、ちょっと待って。何それ?」


 例によって、理解不能って顔で弥生さんが訊いてきた。


「どういうことなのか説明して」


 俺を見て言ってくる。リクエストに応えて俺も説明することにした。


「北海道札幌味噌ラーメンっていうのは、出汁と味噌ダレと野菜を中華鍋で炒めて、それで味噌スープと油をなじませてるんだよ」


「へえ、そうなんだ。――あ、だから野菜が乗ってるのか」


「そうそう。ただ、この店の味噌ラーメンは、普通に味噌ダレを出汁で割ってつくってたんだ。要するに、醤油ラーメンや塩ラーメンと同じ方法だったんだよ。どうしてかって理由は――まだ皐月さんからきちんと聞いてないから想像で言うけど、たぶん、中華鍋で出汁と味噌ダレと野菜を炒めたりしたら、自分の好きな鰹節の香りが飛んじゃうって思ったんじゃないかな」


「正解です」


 皐月さんがうなずいた。


「だから、醤油ラーメンと同じ方法でスープをつくってました。まあ、それでも、味噌ラーメンにしちゃうと、どうしても鰹節の香りが負けちゃうんですけど」


「それもわかります」


 俺もうなずいた。


「で、そのことを踏まえて、俺も同じように、野菜を炒めたりしないで、改良版の味噌ラーメンスープをつくりますから。それでいいですか?」


「あ、はい。わかりました」


 五分後、豚骨、鶏ガラ出汁と味噌ダレ、鰹節、プラスの調味料、最後に鰹節の香味油を入れた丼を、俺は皐月さんたちの前に置いた。


「じゃ、またちょっと試飲してもらいます」


 言って、お玉でスープをすくってコップに入れてふたりの前に置く。ふたりがそれぞれのコップをとって、匂いを嗅ぎはじめた。


「あー、やっぱり、鰹節の香りがする」


「味噌に負けてないわね。これは私も本当につくりたいわ」


 俺が自分の飲む分をコップに入れている最中、皐月さんと弥生さんが感想を言ってきた。


「じゃ、まあ、適当に味見してみてください」


 俺も自分のコップを持ちながら、ふたりにうながした。


「じゃ、いただきます」


「同じく、いただきます」


 ふたりが言って、フーフー言いながら味噌スープを口にした。――少しして、ちょっと驚いた顔でこっちを見あげる。


「何これ? カニ? いや、エビかな」


「確かに、甲殻類の味がしますね。いい味わいですけど――あ、ちょっと辛い!」


「あ、本当だ! あとからきた。ピリ辛って言ったらいいのか、なんか刺激的!」


「あー、辛いのは申し訳なかった。市販の調味料だと、どうしても辛くなっちゃうから」


 言いながら俺も味噌スープを飲んでみた。――ふむ、味は悪くないと思うんだが、やっぱり辛い。小さいお子様には不むきだろう。


「でも、おいしい。すごい出汁がでてる感じ」


 弥生さんも俺と同じ感想を持ったようだった。隣で皐月さんが首をひねる。


「これも、どこかで食べたような気がしますね。なんだったっけ?」


「伸一くん、何を入れたの?」


「今回はこれだよ」


 俺は家から持ってきたビンをカウンターに置いた。これは市販品である。皐月さんが、あ、と声をあげた。


「そうか。なんだか甲殻類の味がすると思ったら、XО醤だったんですね」


「その通りです。ただ、わかると思いますけど、辛いんで」


「ちょ、ちょっと待って」


 また弥生さんが声をかけてきた。


「XО醤って何?」


 理解不能って顔で聞いてくる。これも知らなかったか。まあ、オイスターソースを知らなかったくらいだからな。


「これも中国の調味料。いろんな乾物を使ってつくるんだ。それで、ブランデーの世界で、最高級品質のものをXОブランデーって言うんだけど、それと同じで、最高級の調味料っていう意味でXО醤って名前をつけられたんだよ」


「あ、そうなんだ」


「まあ、最高級品質って言っても、安い奴はスーパーマーケットで五〇〇円で買えるんだけど。興味があったら買ってきて、モヤシをフライパンで炒めてみるといいよ。劇的においしくなるから」


「あ、それなんですけど」


 俺の説明に、今度は皐月さんが声をかけてきた。ちょっと困った感じで、あらためてコップの味噌スープを飲む。


「あ、やっぱりだ。確かにおいしいんですけど、これって、鰹節の香味油の香りと、XО醤の味と、あと、味噌の味はわかるんです。ただ、こうやって注意して味わっても、大元の、豚骨、鶏ガラの出汁が全然わからなくて」


「それを全部踏まえた上で、俺は今回、これをつくりました」


 皐月さんに言ってから、俺は弥生さんのほうをむいた。案の定、また理解不能って顔をしている。


「説明していいかな?」


「あ、うん」


 弥生さんがうなずいたのを確認してから俺は口を開いた。


「たとえば、キャベツと豚肉の味噌バター炒めなんていう、回鍋肉モドキっぽい料理を適当につくって食べてもらえればわかるんだけど。これで、ご飯のおかずとして成立するレベルの塩分量まで味噌を入れると、キャベツの甘みと豚肉の旨みがわからなくなる。あれは味噌がおいしいから食べているだけの料理なんだ。もちろん、それはそれで、大昔ならよかったんだけど、いまはそれが問題で」


「ちょ、ちょっと待って。話が速いからストップ。いま、頭のなかで想像するから」


 あわてたように弥生さんが声をかけてきた。仕方がないから黙ったら、俺の前で、弥生さんが、何か考えるような顔をする。


 で、少しして、感心したように俺を見てきた。


「あ、うん。本当だ。回鍋肉って、確かに味噌の味がおいしいだけで、あとは何も味がしないわね。あとは、キャベツと豚肉の食感だけで」


 うなずきながら言ってくる。わかってくれたらしい。


「で、その話はわかったけど、大昔はそれでよかったって、どうして?」


「そりゃ、大昔は冷蔵庫も冷凍庫もなかったからだよ」


 俺は説明を再開した。

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