ハジメの轍痕

柊ハク

第1話「餃子を食べよう」

「餃子食いてえ」


大学の帰りにふと思った。交差点で赤信号を待つ最中、脇の餃子専門店に目を奪われたのだ。だが店には入らない。なぜならボクは知っている。店の餃子はボクの好みとは異なるんだ。


餃子は手作りに限る。これは宇宙の真理と言わないまでも日本の常識の1つくらいには数えたい。我が家は餃子と言えば手作りだった。母親がよく文句を言うボクら兄弟に手伝わせて皮に肉を詰める作業をえんえんとさせたものだ。作業自体は大嫌いだったが出来上がった餃子を食べるのは大好きだった。その後あらゆるコンビニ、ラーメン店、餃子専門店等で餃子を食べたがうまかった事は一度もない。どれも腑抜けた味がするのだ。肉のボリュームが全然ない、中身スカスカの皮を食ってるんだか肉を食ってるんだからよくわからない、あんなものは餃子とは呼んではならない(戒め)。


青信号に変わりアクセルを踏む。ボクの心は既に餃子一色に染まっていた。となれば進む道は自ずと近所のスーパー…ではなく少し遠い生鮮食品専門店だ。肉の殿堂なんつー大仰な名前がつく割に肉よりむしろ野菜のラインナップに優れたその店の駐車場に愛車のK(軽自動車のKだ。ネーミングセンスとか知らん。中古で格安だったのだ)を停めつつスマホをイジる。


「おーハジメ、どうしたよ?」

珍しく2コール目で出た友人。どうやら暇らしい。忙しい時は絶対に電話に出ないのだこいつは。こいつの忙しいは「寝てた」や「トイレ」や「ゲームしてた」なのだがまぁそれはいい。

「ユウジ、餃子食いたくない?」

「お?」

「餃子作ろうぜ」

「突然だな、良いけど。いつ?」

「今夜」

「本当に突然だな」

「今買い出しに来てる」

「じゃあおまえんち行くわ」

「りょ」


ユウジは小学生からの幼馴染だ。と言ってもその時の記憶はほぼない。中学で同じ部活だったが仲良しだったわけでもなく、むしろボクはこいつが嫌いだった。まぁそんな話は今はいいか。なんだかんだで高校は別に進学し、大学で再び会い、近所に住んでるということで交流が増えるようになったのだ。2人とも一人暮らしである。


早々と買い物を済ませ自宅へ直帰する。ユウジはまだ来てないようだ。こっちも来てるだなんて思ってない。あいつの「すぐ行く」は2時間後だと相場が決まっているのだ。それより遅くなる事はあっても早くなる事はまずない。言い訳はしないが悪びれない辺り、自覚はあっても直す気は無いらしいのでボクも文句を言うつもりは無い。人間関係とは許すところから始まるのだ。知らんけど。


それからしばらくしてチャイムが鳴る。「はいよー」と聞こえてるのか知らんが応答しつつ玄関の扉を開けると、ユウジの他に2人女の子がいた。

「よっ」

「おひさー」

「…」

1人はユウジの彼女サギリだ。明るめの茶髪を高い位置でポニーテールにしている。いかにも陽キャ然としている。学校で何度も顔を見合わせているので久しぶりでもなんでもないのだが、こいつは必ずおひさと挨拶する。業界用語みたいなもんだろうか。


ドス、と脇腹に手刀が突き刺さる。オウッと声が漏れる。そしてジト目のもう1人は胸ぐらを掴んで言った。

「なぜアタシを呼ばないし」

「いや、あははなんでだろうねぇ」

このなんとも可愛らしい愛情表現をしてくるのがボクの彼女だ。名前はカンナ。特別美人じゃないが仕草とか褒めた時の照れ方が尋常じゃなく可愛いので好きだ。恋人フィルターがかかってる?そんなの当たり前じゃないか。ちなみに料理は下手くそだ。そのくせ手を出したがるので呼びたくなかった。もちろん一緒にいれるならその方が嬉しいが、こいつの飯を食いたい気分では無い。


「ってか、具材4人分も用意してないが??」

「じゃじゃーん、そう言うと思って用意してきましたー」

サギリがパッとユウジの方へ手をひらひらさせる。振られたユウジは任せろとばかりに右手の荷物を掲げて見せる。

「じゃじゃーん炊飯器ぃ」

「いや米は足りてるが」

「な、なんだってー!?」

「わかってるよね?わかってやってるよね?」

「うーん、じゃあ俺らで買ってくるから具材のリストを書いてくれ」

「しょうがねぇな…」

ユウジとサギリは出会って早々買い出しだ。というか、そういうことなら事前に電話なりメールしろよ、とスマホの履歴を見たら丁度スーパーを出る時くらいに一件来ていた。運転中は見ないからね、気が付かなかったのもしょうがないよね?


ブスっとした顔でカンナは冷蔵庫を漁り始めた。誘わなかった事を根に持ってるらしい。

「悪かったよ」

「…別にいいし」

全然良さそうじゃない機嫌だが、正直今はこいつの相手をして時間を潰してる場合じゃないのだ。餃子が食いたくなったらそれはもう一刻を争うと言う事をみんなにも伝えておきたい。早くせねば禁断症状が出てしまう。

「ほらカンナ。あっちで食べようね」

身長も低く痩せ型のカンナを持ち上げるのは簡単だ。後ろから脇の下に手を入れてヨタヨタとリビングまで移送する。ちゃっかりと冷蔵庫に入ってたチョコ菓子の大袋を掴んでる辺り、しばらくは大人しくしてくれると思う。


余談だがボクは女子というのは誰も彼もこんなに軽くない事を知っている。みんな割と重いのだ。なぜ知ってるかは言えないけど。経験則とだけ。ともかく特に重みが気になるという人は胸が大きい女性より、むしろ胸が無い女性に多い気がしている。胸の大きな女性は脂肪の塊がついてるからという言い訳が立つから重みが気にならなくなるのでは無いだろうか?そんな事はないか?なんにせよ男からしたらどうでもいい事だ。重かろうが軽かろうがカンナは可愛いのだ。たまに思いついたようにダイエットして健康を害するくらいなら美味しいものを食べてニマニマブクブクしていて欲しい。


時刻は5時を回ろうとしていた。具材を取り出しているとチョコを咥えた状態でカンナがトコトコ歩いてきた。

「あっちへ行ってなさい」

「いや、手伝う」

サッと包丁を握るカンナ。逆手で持つのはやめようね。暗殺者じゃないんだから。

「ほら、危ないから」

羽交い締めのような形で包丁を取り上げると、今度は腕を掴まれた。

「…2人…きりだね…」

「そういうの良いから」

今は餃子なのだ。性欲より食欲なのだ。


不満気に頬を膨らませるカンナだが、すごすごと脇へ引っ込んだ。今度は背中にくっついてくる。なんだろう、甘えたい時期なのかな。カンナはたまにこうなる。末っ子故の特性なのだろうか。お兄さんは10歳は離れていて、家にはほぼいなかったらしい。ボクとも面識はあるが兄弟というより親戚のおじさんといった風体だった。両親はカンナを溺愛していて欲しいものはなんでも与えていたし甘やかす限り甘やかしていた。その結果が今の彼女なら感謝しかない。義父さん義母さん、どうもありがとう。まだ結婚してないけど。


「充電が足りないよお」

カンナは今度はグズりだした。赤ちゃんかな?勿論この充電はスマホの話じゃない。カンナは長時間イチャイチャしてないと精神ゲージがなくなって幼稚化するのだ。大体2日に一回くらいは充電が必要になる。


「しょうがないな」

呆れつつキスをする。ほうっ、と蕩けたような顔をしてカンナは目を閉じたまま顔を上向ける。キスの催促だ。上気した頬とか艶やかな唇とかとてもエロい。それとチョコの味がして美味しい。今度は舌を入れる。チョコを全部舐めとるみたいに卑猥に乱暴に。背中に回された腕がギュッと服を掴み硬直する。


「ただまー」

タイミング悪くユウジが帰ってくる。

「あらま」

と小声でサギリ。

おかえり、と振り返ろうとするがカンナは顔を掴んで強引にキスを継続した。

「ちょっt」

ちゅっちゅっ

「…カンナ」

ちゅっちゅっちゅっ

「おしまい!もうおしまい!」

引き剥がすと若干恨めしそうな顔をした後、踵を返してリビングへ向かった。またチョコを食べに行ったのだろうか。


「ヒューヒューアツいねぇ」

ユウジがニヤニヤしながら

「カンナちゃんって割と積極的なんだね…」

呆気に取られた様子でサギリがそれぞれ感想を言う。出来ればスルーして欲しいんだけど。




「うっっっま」

「私手作り餃子初めてかも。んまい」

「……」

ユウジとサギリはそれぞれ談笑しているが、カンナは黙々と餃子を口に放り込んでいた。

「ご飯のおかわりもあるからね」

「「「おかわり」」」

見事にハモった。

「当店はセルフサービスとなっております」

「ケチくさいぞー!」

ユウジが不満を言う。野郎の世話は見ない主義だから仕方ない。

「そーだそーだ!」

ブーブー言うサギリ。可愛くない女の世話も見ない主義だから仕方ない。

「カンナ、どれくらい食べる?」

「普通」

「かしこまりました。はい、たんとお食べ」

「……モギュモギュ」

カンナは可愛いので特別にご飯をよそってついでにほっぺにくっついた米粒も取ってやる。

「見ました?奥さん」

「ええ、ええ、おアツいですこと」

外野がヒソヒソ聞こえるように何か言って来るが気にならない。目は口ほどに物を言い、とはよく言ったものだ。先ほどからカンナの瞳は爛々と輝いて餃子を見据えている。一体この小さな体のどこに入るというのか。それでもボクの半分くらいしか食べれないのだけど。食いしん坊だけど少食って可愛いよなぁ。さっきチョコ食ってたせいでもあるんだろうけど。


「手作りっていいな」

食後の煎茶を出しているとユウジがボソりと呟く。

「たまにはいいかもね」

サギリは頷いているが、言外に毎日は無理と言っているようだ。こいつ面倒くさがりだもんな。

「毎日でも良いよ」

カンナは湯呑みをフーフーしながら上目遣いで言う。いや、毎日はやらんよ?しかもそれ作ってくださいのやつじゃないか。そんなのいくら可愛くおねだりされても週に2、3回しかやらない。いや、4回までなら無理しても良いかな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハジメの轍痕 柊ハク @Yuukiyukiyuki892

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る