ごめんなさい。僕、恋愛が下手で。

@Sasuke_notNINJA

ごめんなさい。僕、恋愛が下手で。

仕事の帰り道、家まであと少しの場所に貼っている選挙ポスター。地元で支持を得ているのかさえ不明な女性議員の"この町に住むあなたに、ヒカリを!"という恐らく名前に由来したスローガンが頻繁に視界に入り、僕はその都度なんだそれ!と心の中で野次を入れて通り過ぎる。家の中に入ろうとすると、胸ポケット入れていたスマートフォンが二度震えて光る。これがここ一〜二年ほどの僕のルーティンだ。


誰もいない家に入ると、湯水のように口から音が流れ出る。決して音色は良くないが、最新ヒットチャートの愚痴と嫉みを垂れ流しながら決まった場所にカバンや時計を置き、着替えの準備を済ませてシャワーに向かう。約十分でシャワーを終えて部屋着に着替えてベッドに腰をかけたところでスマホを開く。先程の震えは決まって職場の同期のユキちゃんからのLINEである。


「今家についた!」「おかえり!」


二度スマホが震える時は、決まってこの二つの文が入っている。三回以上震える時は会社の愚痴か彼氏との喧嘩話で、その場合はシャワーは後回しで返信し電話するというスプリクトに沿うことにするのが決まりだ。


「おつかれ! ただいまー!」


以後のトークテーマの主導は必ずユキちゃんで、社内のゴシップかたまたま流れているテレビやドラマの情報だ。返信頻度は全然多くなく、お互い恋人とのやりとりを控えてるので優先順位は基本二の次となる。


改めて僕とユキちゃんとの関係は今の会社の同期であり、最初は九人もいたが三年たった現在、気づけば僕たち二人だけである。そんな極めて優良会社とはいえない場所で、部署は違うが唯一の同期入社ということで今や親友レベルで仲良くしている。ちなみにユキちゃんの苗字は渡辺で、元々は同期に渡辺が二人いたことから下の名前で呼んでいる。


あまり社交的でなく、お昼休憩は専ら静かに一人でやり過ごす僕とは対照的に、ユキちゃんは常に明るく社交的で必ず先輩か後輩の誰かと楽しい女子会のお昼を過ごしている。ご飯を食べ終わって黙々と音ゲーを1曲終えてはSNSをチェックする僕とは対照的に、ユキちゃん達の場所からは女子会特有の高い波が押し寄せるように大きな笑い声が次々起こる。


そんなユキちゃんは、必ずと言っていいくらい休憩が終わる数十分前くらいに僕の元へやってくる。今日は少し早めにやってきた。


「さおりさん、またトミーのこといい男だって言ってたから否定しといたよ」

「なんでだよ、そこは同期としてもっと俺を褒め称えてくれよ」

「やだよ」

「優しくないなー、そんなんだったら——」


たわいもない身内ノリを繰り広げているところへ、先程の話題に出たさおりさんが満面の笑みでやってきた。今日も相変わらず出来る女感が強い。


「さおりさん、お疲れ様です」

「ごめん、邪魔しちゃったかな?ユキちゃんって本当に富岡くんと仲良いよね! みてて微笑ましい」


ユキちゃんはそうですか?の一点張りで、僕は唯一の同期なんでの一点張り。こんな低オッズの掛け合いもさおりさんには微笑ましいようだ。


「もういっそのこと、危ない恋やめて富岡くんに守ってもらった?」


やめてくださいよ!と力強く否定するユキちゃんの横で僕は柔らかい笑顔を見せ、そんないい男じゃないですよ僕は〜!とさおりさんへ言葉を投げる。さおりさんは愛弟子達が切磋琢磨しているのを優しく見守る師匠のような目で僕たちを見つめて去っていった。


「トミーの否定の仕方、なんか嫌だったわ」

「なんでだよ。事実を伝えただけだから」

「絶対自分のこと多少いい男と思ってる奴の言い方だもん」


まあまあ!とユキちゃんを宥めると、いつもはヒートアップするはずのノリが今日は確実に違った。悲しそうな顔でユキちゃんは言った。


「いいよね、トミーは楽しそうに彼女と過ごしてて」

「また上手くいってないんだな、というか上手くいくことの方が珍しいか」


ユキちゃんは、自分が妻子持ちの上司に惚れたことを定期的に後悔している。最初はユキちゃん本人も知らなかったが、半年前に妻子が居ることを告げられたらしい。だが、その後も交際は継続し真っ向から不倫をしているということ。その話題をさおりさんなどと大声で休憩中に談笑しているなんて、AirDropを解放しているくらいセキュリティの甘い共有をしている。大した女だ。


「そういえば、トミーの彼女ってたしか年下だよね?」

「うん、学生時代の後輩と」

「いいなぁ」

「でも自分的に恋愛もそんな経験値がないから、実際彼女に良く思われるのか不安だよ」

「でも実際楽しんでるわけじゃん!それにトミーは純粋だから浮気や不倫なんて未知の世界でしょ?」


僕はまあね!と肯定し笑みを見せた。ユキちゃんは今日の夜、僕に愚痴を流す予約をしてきたが夜に予定がある事を伝えると、コノヤロー!とソフトタッチで肩を叩いてきた。予約は後日に回してもらった。


***


仕事が終わり職場の最寄りから一駅歩く、そんな時は決まってある女性と出会う。何回も会っている人なのに、毎回駅へ向かう途中で鏡を見つけたら髪の毛を整えSNSの通知が入らないように設定する。そして駅に着いた僕はまだ女性が着いていないことを確認し、近くのコンビニで缶のお酒四本とおつまみを買う。再び駅に戻った時に女性へ到着した旨を伝える。女性は数分後やってきて、合流し特にこれといった会話を交わし合うこともなくホテルへ向かう。


ホテルに着くと、女性はジャケットを脱ぎ白いシャツのボタンを一つだけ開けソファーへ座り込む。僕は買ってきたお酒とおつまみを机に広げ、スーツからスウェットへ着替える。


「いつものコレでいいですよね? リサさん」

「うん、いつもありがとうね! ミーくん」


僕はリサさんの缶の下の方に飲み口をくっつけて乾杯した。いつも飲んでいる缶のお酒なのに少し炭酸が強く感じて、おつまみを挟まなくても体の中にお酒が入っていく。


毎回リサさんと僕は、揃って一本目のお酒を空ける。そのタイミングでリサさんは鞄からタバコを取り出し火をつけ、追いかけるように僕もタバコに火をつける。そこから、リサさんと最近の近況報告を繰り広げる。


「ミーくんって、ゆるキャラ好きだっけ?」


そう言うと、リサさんは僕にスマホの画面に映るとても可愛いキャラクターを見せてきた。SNSで話題沸騰のキャラクターの展示会の写真だった。


「え! リサさんも行ってきたんですか?」

「そう、こないだの日曜日にね! ミーくんも行ってきたの?」

「はい。姪っ子と一緒に」


僕は自分のタバコを少し強めに吸った。自分の発言も含めて、モヤモヤとしたものは塊となって肺にクリーンヒットした。咽せる僕にリサさんは優しく背中を摩ってくれたが、その優しさで色んなものを吐きそうになったがぐっと堪えた。とにかく後味は苦かった。


お酒を飲み終えて僕はシャワーへ向かった。毎回このタイミングで自分の中にこびりつく罪を洗い流そうと思うが、入念になりすぎて徳も洗い流してしまう。お酒が回り始め少し頭が浮くような感覚でシャワーを終え、リサさんにバトンタッチをする。リサさんのシャワータイムは少し長めなので、この間にSNSなどをチェックする。ユキちゃんからのLINEもしっかり受信していた。


『今家着いた!』『おかえり!』


僕は。おつかれ!とだけ返信をした。受信から三十分が経っていたが、すぐにユキちゃんから返信がきた。


『へー楽しんでるじゃん!』『また聞かせてね!』


そしてトークを開かない限り言葉は見えないように、すぐにスタンプを送ってきた。その直後、三件の通知がLINEに入った。


『今日ゆか達とここに行ってきたの』


一文に続いて、画像と出先の施設であろうURLが添えられていた。彼女のシオリからだ。そこには満面の笑みのシオリとその友達が数人写っていた。『楽しそうだねー』と返信すると、すぐ既読が着くも五分ほど経って『次は二人で行きたいなー』という返事が来た。既読を付けずにそっとスマホを消してベッドでゴロリとしながら、リサさんがシャワーから上がってくるのを待った。


リサさんはシャワーを終えて髪を軽く乾かし、ベッドで横になっている僕を爽快なハーブの香りがほんの一瞬で包みこんだ。その時、僕の正直な気持ちに強い安心感と後戻りできない罪悪感がノミネートしたことは確かである。正反対の感覚がバチバチに対立しているのに、喫茶店で流れるジャズのような落ち着いた雰囲気でリサさんは僕の頬に口を触れた。どこか少しひんやりしていて、コップにぴったりくっ付くコースターのような気分だった。



***


次の日のお昼休憩、いつものように一人でご飯を食べていると早い段階でユキちゃんが声を掛けてきて、僕の横に座った。


「やっぱさ、不倫ってよくないよね」


そんなストレートな単語を穏やかなお昼期にぶつけてくるくらい、ユキちゃんの顔は浮かなかった。でも、やめないんでしょ?と聞くとユキちゃんはゆっくりと俯いた。


「ふとした会話でもさ、奥さんや子どもがちらつくと私は何であの人を好きになったんだろう?って思うわけ。もちろん素敵な人だし、何をされたって訳もないけど」

「でも素敵な人なら、奥さんも子どももいて——」

「ちょっと! 流石に正論だけはやめて!」

「ごめん。ちなみにユキちゃんは奥さんと子どもがいることを知らない方がよかったの?」

「うーん、どうかな? 浮気とか不倫っていずれ知りそうだし、知った時が一番辛かったかな」

「そっか……」


とても他人事には思えなかった。恋人がいる人とお付き合いするというサンクチュアリに踏み込むと、穏やかな恋愛を求めていたはずなのにいつ園子温の映画ばりに悲惨な目に遭うのか心配になる。こんな近い人間が身をもって話しているのを聞いているのに、僕が口にしたい言葉の全てが喉元を通過することはなく何も発せなかった。


「あ、そういえばトミーってあの話知ってる?私の部署のリサ姉さん」

「あぁ、あのリサさんね」

「いや、リサさんなんて呼んだことないじゃん! 今度チクッとくね」

「いいって! で先輩がどうしたの?」

「実はリサ姉さん、同じ部署の田畑さんと籍入れるかもっていう話」


何食わぬ顔で話を受け止めたが、心の中ではありとあらゆる感情が音を立てて流れている。それと同時につい数分前の会話も再生され、もはや気持ちのターンテーブルは操作不能だ。


「へー、そうなんだ。先輩キレイで優しいからモテるんだろうな」


必死で絞り出した一言に追い討ちをかけるように、リサ姉さんは肉食だったことや今までのモテっぷりを話されたがナイトクラブ状態の心にはほぼ何も聞こえなかった。気づいたらお昼休憩が終わろうとしていた。その日の残り時間は消化試合に過ぎなかった。


***


休みの日、この日はシオリとデートだ。僕たちのデートは一日の流れはしっかり決めず、当日の気分で決めるシステムを採用している。天気も良かったので、車に乗りドライブを始めたところアジサイの花が綺麗に咲き広がっているのを見てシオリが植物園へ行くことを提案した。


園内をぐるっと回ったところで、睡蓮が広がる池の近くで休憩をした。シオリは蜻蛉が作った水面の波紋をまっすぐ見つめて言った。


「ねぇ、怒らないで聞いてくれる?」


突然の発言に、全ての神経の発汗作用が働いた。恐らく僕も連動して蜻蛉も遠くへ飛んでいった。どうしたのか尋ねるとシオリは泣きじゃくった。


「実は、ケンちゃんと…………、ごめんなさい」

「……そっか」


おそらくQ&Aでいうと確実に間違った返事をした自覚はある。でもこの問いに正解出来ないのは、自分の今までの行いが響いてるからだと確信した。僕は目の前で泣きじゃくるシオリをそっと包み込んだ。


「ちゃんと伝えてくれてありがとうね。でも、そんな事で嫌いになるような存在じゃないから。僕にも悪い部分があったからだと思う」

「——そんなことないよ」

「ううん、だからまたここから一緒に楽しんでいこうよ」


同時に出るはずのない、使命感と罪悪感に挟まれて確実に一機失ったような状態だった。コンティニューを決意したとき、決して裏に回らない道を歩むことを決めた。


***


翌日の仕事は、休み明けも重なり体調が万全とは言えない一日だった。今日は仕事終わりに一駅歩く、いつもより周りの景色も隈なく眺め向かった。駅に着いた時には既にリサさんが到着していた。


「すいません!お待たせしました。コンビニ寄ってもいいですか?」

「ううん、もう買ってあるよ! 行こっ」


そう言うと、リサさんは笑みを浮かべ僕の手を握った。今まで外で手を握ることはなかったのに、普段はホテルまで会話しないのに率先して話かけてくる。ホテルまで少し遠回りしたかのようにも思えたが、周りを見れていないので実際のところは分からなかった。


ホテルに着くと、普段はスウェットに着替えるリサさんはスーツのまま寛いでいた。僕は、リサさんが買ってきたお酒とおつまみを準備しようと袋を開けるといつもよりお酒の本数が少なかった。並べ終わりリサさんの隣に座ると、すかさず僕に抱きついた。


「ごめんね、実は……」


この語り出しを聞いて、緊張感と安堵感に挟まれた。


「私ね、ミーくんに言わないといけないことがあるの」

「……わかりました。その前に僕も少しいいですか?」

「うん。どうしたの?」


僕は、お昼に買っていたペットボトルのお水を口にして呼吸を整えた。


「僕、リサさんのこと凄く尊敬してます。僕が落ち込んでる時もすぐ感づいてくれるし、不器用な僕の行動にも全て笑顔で接してくれるところ。美人なのに、人が出来ててリサさんのことを一人の人間として素敵だなと思ってます。言い方は悪くなりますけど、そんな方が僕のこと構ってくれてて本当に嬉しいです!」


中学の時に苦手だった英語のように、とにかく絞り出した言葉を全て繋げたようなツギハギな文法で話した。


「……ありがとう、ミーくん」


リサさんは、目を潤せて僕を見つめた。僕はリサさんの目から出る涙を親指で拭った。


「リサさん……」


僕は全てのことを正直に話そうと、勢い付けたつもりがリサさんの表情を見て全身のフィルターがかかり何も言葉が出なかった。


「私も、ミーくんのことは年下だけど大人な男性に思えた。気配りは凄いし、どんなにしょうもない話も聞いてくれる人初めてだった。喜ぶ時は同じように喜んで、悲しみは全て分かち合わないのに、絶対に立ち直らせてくれる人ミーくんが初めてだった。私も上手に言葉では言えないけど、本当に沢山楽しませてくれた。ありがとう」


僕は、初めて自らリサさんの胸に飛び込んだ。涙が止まらない僕の頭を、リサさんは優しく包み込んだ。


「だから怒らないで聞いてね。私、結婚するの」


既に覚悟していた単語だったが、のべつ幕なしに涙が止まらない状態で防御力もなく真正面からダメージを受けた。僕はリサさんの胸から離し、振り絞った声で「おめでとうございます」と祝福した。


リサさんは、目を潤せて「ありがとう」と呟くと何かを見透かしたかのように僕の頭を撫でて言った。


「全て私がダメだったの、ミーくんには何も悪いところはないわ。本当にごめんね」

「でも僕……」


声を出そうとすると口に指を当てて、リサさんはゆっくりと首を横に振った。


「最後の乾杯しよっか」

「はい。では……」


乾杯をしお酒を一口飲むと、部屋に飾っているヒヤシンスの写真が目に入った。その日の夜は、とても長く感じた。


***


次の日、お昼休みに少し目を腫れ上がったユキちゃんが笑顔で僕の前に現れた。


「トミー!今日の夜、ラインで愚痴会ね!」

「いや、こっちの予定が空いてるか確認しろよ」

「え?また彼女さんと?」

「今日は何もないけど」


ユキちゃんは笑いながら僕の肩を叩いた。夜の愚痴会を了承して去ろうとすると、待って!とユキちゃんが呼び止めてきた。


「今日、終わり時間同じだよね?一緒に帰らない?」

「いいよ!じゃあ、終わったら1階集合で!」

「うん!」


——仕事が終わって、1階でユキちゃんと合流した。愚痴会は前倒しで始まり、駅に着くまで本題が始まらなかった。


「ねえ、一駅歩かない?」

「元気だな。いいよ!」


一駅歩く間も、ユキちゃんの愚痴は止まらなかった。本題は、ユキちゃんが今まで続けた不倫が遂に終わったことだった。どうやら相手の男が「もう二度と目の前に現れないでほしい」と突き放してきたらしい。ユキちゃんは歩きながら怒りと泣きを繰り返す。


「最低だなそいつ。いずれどこかで罰でも喰らうだろうし」

「だよね!でも、私もどうかしてた。奥さんがいる人のこと好きになって、そりゃ奥さんが一番なら私なんて要らない存在だもんね……」

「そんな落ち込むなよ。言い方変えたらユキちゃんは魅力ある人間なんじゃない?」

「トミー、ありがとう」


ユキちゃんは、僕の胸に顔を寄せ泣いた。僕は立ち止まり端の方にゆっくり寄って、ユキちゃんの頭をそっと撫でた。暫くすると、ユキちゃんは僕の顔を見て言った。


「なんでトミーに彼女が居るんだろう。そりゃそうか……」

「ごめんな。今日は話聞くからさ、許してね」

「なにそれ?じゃあ沢山聞いて貰うからね」

「もちろん、ほら行くよ!」


——僕はユキちゃんの手をそっと握り、ホテルに通じる裏道へと進んだ。ユキちゃんの手はどんどん暖かくなっていった。


僕は心の中で呟いた。

「ごめんなさい。僕、恋愛が下手で」

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