未知への「恐怖」と「期待」について

 今回はありがたいことに応援コメントの方から問題提起を投げかけられたので、それについて考えてみます。こういうのは中々新鮮なもので、私もわかってるつもりになっているということを認識させられましたね。



 未知への「恐怖」と「感情」の違いは何か。一つの事柄から起こる相反する感情。おそらく日頃生活しているならどちらかはほぼ確実に体験していることでしょう。

 しかしながらこれを言葉にするとなると、中々一つの結論にまとめるのが難しいですね。




 一先ず、それぞれにフォーカスして考えていきましょうか。



 先に恐怖の方から。


「人間の中で最古かつ最強の感情が恐怖、恐怖の中で最古かつ最強のものが未知への恐怖」なんて言った偉人がおられるようですが、そんなふうに、この「恐怖」という感情は、他の感情と比べ割と本能的な部分が大きいように感じます。

 というのも、人間以前に動物などが感じる「恐怖」は、その未来に潜む怪我など命に関わる事象に対する防衛本能として働くものだと認識しています。その感情を覚える生き物が人間へと進化を遂げ、感情が複雑になっていっても、その根本的なものは変わらないと思います。


 話が逸れましたが、「未知への恐怖」は、その防衛本能の最たる例に当たるのかもしれません。何せ、自らの経験したことのないものを目の当たりにし、それを手に取ることでどんな損害があるかも勿論分からない。それを前にして、恐怖を感じないでください、と言われても難しいかもしれないですね。


 また、これが人間の複雑な感情と絡み合ってくると、怪我などの命の危険だけでなく金銭的な損害や民事的な損害など、より人間の生活に密接したものとして成り立っているようにも感じます。その点を考えると、経験を積んでいろんな想像ができるようになった大人の方が、「未知への恐怖」は感じやすいのかもしれないですね。

 若しくは、生命の危険や幽霊等摩訶不思議で説明のつかないものに対して引き起こされる「本能的な恐怖」と、金銭的民事的な損害等の想像によって引き起こされる「理性的な恐怖」という二つに分類したりすることもできそうです。



 今度は、「期待」の方。


 上記の「恐怖」に対して、「未知への期待」というのが複雑になった人間の感情特有のものなのかというと決してそうでもないですが、動物と人間どちらにしろ、寧ろまだそこまで経験などを積んでいない子どもの頃の方が感じやすいというのが明確な違いでしょうか。

 これに関しては私の経験不足であまり詳しく説明できないのですが、端的に述べると擬音の「ワクワク」三字熟語で「探究心」と言ったところだと思っていて、未知のものに対して、これをしたらどんな未来が待っているのだろう、という楽観的とも積極的とも取れる感情が「未知への期待」に当たるのではないかと思います。それだから、子供よりも、多くの経験を積み想像ができるようになった大人の方がそれを感じにくいのかもしれません。

 とはいえ、自らの経験したことのない「未知」に対して、それを経験した人物から情報を集め、ある程度の準備をして、それに希望的観測がもてるような状態になれば、大人でも「未知への期待」を持てる気がします(それを未知と言っていいのかは微妙ですが)。



 そしてこの二つをまとめるとなると、「恐怖」が突然分類できたり、大人や子供と言った年齢とそれによる経験の差による違い等かなり複雑にも感じますし、単に「ポジティブ」と「ネガティブ」に集約されてしまうような気もいたします。


 なんというか、自分も混乱していて微妙に答えに辿り着けてない気がしますね。頭でっかちな風船みたいな私ではこれが限界なのでしょうか。



今回はこんなところです。

尻切れとんぼといった言葉が似合うような終わり方になってしまったかもしれないですが、許してください。せっかくでしたら、これに対する意見もお願いします。

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