泣き虫なあの子

泣き虫なあの子

 私の幼馴染は泣き虫で、昔はそれでよくからかわれていた。けれど彼女は、芋虫が蝶になるように成長するにつれてとてつもなく美しくなっていくものだから、いつからか周りの人はみな彼女が泣き始めるとそれに見惚れるようになってしまった。


「私、泣き虫を直したいの」


「どうして?」


「だって、みんな私のこと、泣き虫だってからかうんだもの」


「私は泣き虫なあなたも好きだけれど。それだけ心が動いているってことでしょう」


 サプライズが嬉しくて。遊園地が楽しくて。試合に負けたのが悔しくて。花が枯れたのが悲しくて。夕焼けが美しくて。毎日が幸せで。その度に涙を流す彼女が、私は好きだった。彼女の豊かな感情が愛おしかった。


 けれど彼女は泣き虫な自分が嫌だったらしく、泣き虫を治したいと神様に祈ってしまったらしい。


 そうしたら、彼女の涙が飴玉になってしまった。


 彼女が涙を流すたび、ころん、と小さな音を立てて床に転がるそれは、まんまるで、甘い匂いがして、太陽にかざすと美しく煌めく。


 美しい幼馴染は、流す涙でさえ美しくなってしまった。


 私は彼女が泣くたびに涙を拾って、瓶につめることにした。きらきらと光るそれを眺めるのが好きだった。瓶の中の飴玉はだんだんと増えていき、その度に煌めきを増していった。


 それに比例するように彼女が泣くことが減ったと気づいたのは、彼女の誕生日のことだった。私がサプライズでプレゼントを渡すと、彼女は嬉しい、ありがとう、と言って笑ったのだ。涙は一つも流れなかった。私、あなたの笑顔も好きだけれど、流される涙が一番好きだったのに。


 家に慌てて帰って瓶を確認すると、瓶の中身はもうほとんど飴玉で埋まっていた。この瓶がいっぱいになったら彼女の涙は枯れるのだろうという、確信めいた予感があった。それは嫌だった。


 それから、彼女が泣くのが怖くなった。涙を一つも取りこぼすまいと今まで以上に彼女のそばにいるようになった。瓶の中身が少しずつ増えていくのを、毎日絶望的な気持ちで見ていた。あれほど好きだった煌めきも、今では憎くて仕方がない。


 これはきっと、彼女の心なのだ。彼女の感情はまるで泉のようで、常にこんこんと湧き出て目からこぼれ落ちていたのに、神様が栓をしてしまった。湧き出ることがなくなってしまった涙はこぼれ落ちるたびに減ってしまって、今こぼれ落ちているものはきっと心に残っていた最後の感情で、それがすべてこぼれ落ちれば彼女の心は空っぽになってしまう。


「それは、嫌だな」


 けれど解決策はなんにも浮かばなくて、そうしているうちにとうとう瓶の中身はいっぱいになってしまった。すると、私の予想通り、彼女の心は枯れてしまった。サプライズをしても、ありがとうと笑うだけ。遊園地に行っても、楽しいねと微笑むだけ。試合に負けても、悔しそうに眉をしかめるだけ。花が枯れても、残念だねと言ってすぐに捨ててしまった。スマホばかり見て夕焼けなんて見向きもしない。毎日の幸せを、当たり前のような顔で享受している。


「ねえ、泣いてよ」


 そんな彼女に耐えきれなくて、私は面と向かってそう言ってしまった。けれど、そんな私に、彼女は美しく微笑むだけ。


「どうして? 私、泣き虫じゃなくなって嬉しいの。もう誰にもからかわれないわ」


「わ、私は、泣き虫なあなたの方が好きだった」


「あなたはそう言ってくれるけれど、いつまでも泣き虫のままなんて恥ずかしいのよ」


 彼女のその言葉は、私を絶望の底へと突き落とすには十分な威力を持っていた。


 どうして。


 みんなと違って何が悪いんだ。


 どうかこの子の心を否定しないで。『当たり前』だなんて型にはめようとしないで。


 ──ああ!


 もう、私の好きなあの子は、いなくなってしまったのだ。


 そんな絶望とともに、私は彼女の隣にいることをやめた。一人で下校する途中、チラリと視界の端で捉えた彼女は、友達に囲まれて笑っていた。見ていられなくてすぐに顔を背け、早足で帰路を進む。ああ、ああ、その笑顔でさえ、美しいとは思えなくなってしまった!


 帰宅し、自分の部屋に入ると、引き出しから飴玉の入った瓶を引っ張り出す。きらきらと光るそれを、大きく振りかぶって床に叩きつけた。けたたましい音を立てて瓶が割れ、破片が床に飛び散る。ころころと部屋中に転がった飴玉のうちの一つが、私のつま先にぶつかって動きを止めた。


「……あ」


 その甘い匂いに誘われるようにして、そっと飴玉を拾い上げる。彼女の、涙。彼女の心だったもの。


 ぱくりと口の中に含むと、飴玉は途端に溶け出して姿を消してしまった。代わりのように、ぽちゃりと、心の中に雫が落ちたのがわかる。その雫は私の心に波紋を広げて、いつしか大きな波になって、私の心を揺さぶって、こんこんと私の心の底から溢れ出た感情が、雫となって頬を伝った。


 ああ。


 ああ。


「やっぱり、そうじゃん……」


 この涙こそが、あなたの心だったのに!

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泣き虫なあの子 @inori0906

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