第2話 その男の名は


「そろそろ街につきますよ、お客さん」

 いつの間にか馬車の揺れがとまっていた。


 俺は、馬車の片隅で物思いに耽るうちに眠っていたようだった。

 丁寧にも御者が声をかけて起こしてくれたのだ。


「ああ、すまない。不覚にも眠っていたようだ」

 馬車で揺られるだけ。そんな穏やかな時間が随分と久しぶりだったからだろうか。

 それとも、日ごろのトレーニングや魔物狩りで疲労が蓄積していたのだろうか。

 理由は分からないが眠りに落ちていたのは事実だった。


「おかげで領都で寝過ごさずに済んだ。感謝する」

 手短に礼を言うと、ボロボロの革袋を一つ掴みあげた。

 俺の旅支度は、この革袋が全てだ。


 

 ゆらり。


 俺が育った開拓村に伝わる歩法で、気配をたてずに立ち上がる。


「うひゃっ!」

 突如として、俺の巨躯が目の前に現れたように見えたのだろう。

 御者が驚いて声をあげた。


「すまない。驚かせるつもりはなかったのだが……。これは気持ちだ。受け取ってくれ」

 そういって押し付けるようにしてチップの銅貨を数枚渡すと、俺は音もなく馬車から地に降りた。


 ふわり。

 羽毛が落ちるかのように柔らかい着地だった。


「す、すげえ……ッ!」

 御者は驚きながらも、俺に対して頭を下げて礼をする。


 俺は、そんな御者に背を向けると街中に歩きだしたのだった。





 後に残された御者は、遠くなっていく男の背に呟いた。

「きっと名のある武人に違いねぇ……」



-----------------------


 俺は、駅舎から離れるようにして街の中心を目指す。


(領都の中心にある大聖堂が目的地ということだったが……。なるほど、あれか。確かに分かりやすい目印だ)

 

 なんせ、開拓村から外に出るのは初めてなのだ。

 ちゃんと目的地に辿りつけるのかどうか常に不安はあった。


(しかし随分と人が多いな。多すぎて歩きづらいこと、この上ない)



 大聖堂の近くまで進むころには、他人を避けることに疲れてしまい、肩で息をするほどだった。

 目立たないように、腰をかがめて歩いたせいで、少し腰も痛くなってきた。


(慣れないからか何かと疲れるな。これなら山で狩りでもする方がマシだ)

 そんなことを思いながら、俺は大聖堂を見上げる。

 

(さすがに創造神を祀るだけある。村の教会とは比較にならんな)

 そびえたつ尖塔と、その中心に位置する丸みを帯びた建築物。

 典型的な王国式の宗教建築だ。

 

 初めてみる巨大な建造物に圧倒されそうになるが、"武侠"を目指すからには何物にも怯まない胆力が求められる。

 俺は深く息を吸って、心を鎮める。


「さて、行くか……」

 俺は門をくぐって、敷地のなかに足を踏み入れたのだった。



----------------------



 たどりついた聖堂の入口には、受付用の長机が置かれていた。

 そこには修道女シスターと思われる女性が一人、手持無沙汰にしていた。

 きっと受付なのだろう。


 俺は、おもむろにその女性に近づき、声をかけた。

「"神託の儀"はここで行われるということでよろしいか?」


 腰をひくくして声をかけたにもかかわらず。

 俺の風貌や身にまとう雰囲気のせいか、修道女は悲鳴をあげそうになった。


「ひぃっ」

「申し訳ない。悪気はないんだ」

 俺は少し傷つきながらも、女性に頭を下げる。


 身長二〇三センチで体重一〇四キロの鍛え抜かれた鋼の体躯。

 南方の民に特有の浅黒い肌と、厚い唇だけでなく、顔には熊につけられた大きな爪跡がある。


 驚いたり怖がったりする方が正常だ。


「驚かせてしまったようですまない。今日、"神託の儀"を受ける予定のムーラチッハという者だ。信じられないかもしれないが、こちらが紹介状だ。どうか手続きを進めてほしい」


 そう言いながら、俺は書状を差し出す。

 差し出された書状を受け取った修道女は、腰をひきながら開封して中身に目を通す。


 内容を確認して、俺の素性が分かって安心したのだろう。

 修道女は誰何するかのように言葉をつむぐ。


第八開拓村エイトヴィレッジのムーラチッハさん……。ほ、本当に十五歳なんですね……」

「ええ」

「いえ。私が勝手に怯えてしまっただけの話ですから……。こちらが入館証になります。首から下げて順路に沿って進んでください」


 俺はストラップが付いた入館証を受けとって、首から下げた。

 そして、聖堂の扉を押し開いて中に進んでいったのだった。





 後に残された修道女は、手元の書類に不備がないか確認をしていく。

 受付を済ませた後には、書状への受領印の押印や、保管などの細かい工程が存在する。

 その前段として、再度の書類チェックに入ろうとしたのだが……。


「あら。実績証明書リファレンスが別添で付いていたのね。随分と珍しい……。えっ、デスグリズリーの単独討伐に、キラーエイプの群れの単独討伐?!! こ、こ、こんな実績ありえないわよ!」


 彼女の驚愕した声が、他に誰もいない聖堂の入口にむなしく響いたのだった。

 


 


■■あとがき■■

2021.12.02

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