第6話 ダンスパーティ
バカにされているのだと直感した。あまりに浮き世離れした話題では私は理解することも出来ない。だから適当に受け流せばそれで良い。
だが、私は踊り子だ。踊りに関しては一家言を持っている。だからこそ、踊りの分野で恥をかかせたかったのだろう。平民舞踊を披露していたので、どうせ貴族の踊りなんて踊れないだろうと高を括っているらしい。
はらわたが煮えくり返る思いだ。これは、魔法使いに『火は出せるのか? 出してみろ』と要求するようなものだ。当然そのくらい出来るに決まっている。
ここで激高なんてしたら彼女たちの思うつぼだ。努めて冷静に、笑顔で答える。
「えぇ……踊れますよ。皆さんほどではないですけれど」
「あらぁ。良かったですわ。さすが踊り子さんね。私はオリーブ・エリヤ。オリーブでいいですわ。よろしくお願いしますね。平民のリリーさん」
いちいち『平民の』とつけなくても、この会話の輪にはリリィ・ルフナはいないので二人が返事をすることはない。わざとなのだろうけど、チクチクと嫌味を言う人だ。
オリーブは口元だけいやらしく微笑みながら、両手を差し出してくる。その手を思いっ切り掴んだらそれなりの握力で返してきた。気も強いらしい。
手を振りほどいて二人で向かい合う。
「殿方の方は経験がないのでお願いできますか?」
「えぇ。いいですよ」
オリーブに近づいて手を取り、呼吸を合わせる。
「皆さん、離れていてくださいね。欲情させられても知りませんわよ」
周りの人がクスクスと笑いながら私達と距離を取る。勘違いされたままなのも嫌なので一応訂正しておく。
「それはきちんとした修行を積んだ人が正しい振り付けで踊った場合に起こる効果です。ただの貴族舞踊では何も起こりません」
オリーブはニヤニヤするばかりで私の話にうんともすんとも言わない。
音楽はないので適当な音楽を口ずさむ。オリーブの腰に手を添えて、ゆっくりとステップを踏む。
「あら。小さい頃に良く聞かされた曲ですわ。作曲者の方がわざわざ家まで来て演奏してくれたんですのよ」
こんな嫌味であればずっと聞き流していられる。名も聞いたことがない作曲者が家に来ることがどれくらい凄いことなのか私には分からないからだ。
「すごいですね」
私の、心からどうでも良さそうな棒読みの返事は無視された。
かなり高いヒールを履いているのに、オリーブの足捌きは見事なものだ。テンポを徐々に上げていっても難なくついてくる。戦いを挑んでくるだけの事はあったようだ。
お互いに目線は相手の目から離さない。特に理由はないのだが、目を逸らすとなぜか負けた気になるからだろう。
オリーブは、翡翠のような色の目が瞼の裏に隠れるほどにニッコリと目尻を下げて微笑んだ。
何事かと訝しむ間もなく、足が引っ掛かって転げてしまった。天井のシャンデリアがさんさんと輝きを放っていて眩しい。
「あらぁ。すみません。大丈夫? 足をもつれさせるなんてまだまだなのね」
周りからもクスクスと笑いを殺す音が聞こえる。私がもつれさせた訳ではない。明らかにオリーブの方から足を引っ掛けてきたにも関わらず誰もその事を咎めない。これが裁判だったら私はありもしない罪を着せられていた事だろう。
いいネタがあるのではないかと、騒ぎを聞きつけた新聞記者がやってくる。
だが、オリーブが記者に無いことを吹聴しようとした途端、リリィ・ルフナが割って入ってきた。
「オリーブ。今のは明らかに故意だったわよね。皆さんも美女の顔にばかり気を取られて足元への注目がお留守だったみたいね」
「い……いや……この方が勝手に足をもつれさせただけ……」
リリィ・ルフナには頭が上がらないようで、オリーブはしどろもどろになりながら言い訳を並べ立てている。
「最初から見ていたから分かるわよ。どう見てもあなたの足が不自然にリリーさんの足に引っ掛かっていたわ」
「そ……それは……わざとではないですのよ!」
「つまり、リリーさんが勝手に一人でコケたのではなく、自分の足が引っ掛かったと認めるのね?」
リリィ・ルフナが私の側に立つと思わなかったのか、オリーブの言い訳は支離滅裂だ。私が一人で足をもつれさせた設定だったのにわざとではない、と自分から言うあたり、本当にわざとだったようだ。
大きなため息をついてリリィ・ルフナが続ける。
「女性の側から足を引っ掛けるのは、同格以上の貴族の求婚を無理矢理破談にする意味合いがある事はご存知よね? それが故意なのか偶然なのかは関係ないのよ。それを平民のリリーさんにやるだなんて、恥知らずも良いところね。エリヤ家のご当主が知ったらどうなるかしら」
オリーブは俯くばかりで何も言わない。上流階級ではそんな一挙手一投足が命取りになるのかと驚く。
気づけばオリーブの体がガタガタと震えていた。そんなに当主が怖いのだろうか。
オリーブのした事がどれだけの大事なのか分からないが、リリィ・ルフナが介入してきてから明らかに空気が変わった。格下の相手に足を引っ掛けるのは、余程品のない行為なのだろう。
オリーブは自家の力をいいことにその慣習を捻じ曲げていた。だがリリィの前ではその力も大した事はない、という関係なのだろう。
私が良く踊っていた酒場では、足を引っ掛けるのは女から男を口説く時の常套手段だったので見慣れてはいるが、やった事もやられた事もない。
リリィ・ルフナが私の方を向いてくる。
「リリーさん。オリーブが失礼をしました。私からも謝罪します」
腰を直角に曲げると、綺麗な銀髪が床に向かって垂れ下がる。どうやって手入れしているのか不思議に思うほど綺麗な髪の毛をしている。枝毛もくせ毛もない。統率の取れた軍隊のように全ての毛が同じ方向を向き、盾を構えているかのように光を反射している。
「あ……いえ。大丈夫です」
どうせなら二の句で『まさか貴族の方がこんなに踊りがお上手だとは思いませんでしたわ』と言いたかったが、リリィ・ルフナという虎の威を借る狐になりたくもないので、ぐっと言葉を飲み込む。
リリィ・ルフナは私との距離を詰めるようににじり寄ってくる。さっきの私がしたように、腰に手を添えてくる。前のめりになってお互いの胸がぶつかるが彼女はそんな事は気にならないようだ。
顔だけをオリーブの方に向けて言い放つ。
「折角なのでオリーブにお手本を見せて差し上げましょう」
次は私が女役という事らしい。上手くやっても下手にやっても反感を買いそうなのだが分かってやっているのだろうか。彼女を睨みつけたが、鼻で笑って私の眼力を受け流した。
今度はリリィ・ルフナが歌を口ずさみながらステップを踏み始めたので、私は彼女に身体を委ねた。
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