黄金よりも重いもの
篠岡遼佳
黄金よりも重いもの
その日はひどい嵐だった。
昼夜を問わず吹きすさぶ風に、森の木々が大きくざわめいている。
それを一人、ぼう、と明るい家の中から、目を細めてみている人物がいる。
くすんだ灰色のローブを纏い、フードを目深にかぶり、わずかに見える髪は漆黒。このあたりでは珍しい色だ。
夜半も過ぎ、雨粒がたたきつける窓に向かってなにごとか呟くと、彼はなぜか茶の支度をはじめた。
二脚のカップとソーサー、焼き菓子を用意し、ストーブの上に薬缶を置き、湯を沸かす。
しゅんしゅんと湯が沸き始めた時、突然にその音がした。
ドンドン! ドンドンドン!
激しくドアをノックする、風以外のものの音だ。
「――――みません――――もらえますか」
風に声も消され、何を叫んでいるかもわからない。
だが、家人はにっこりと微笑み、席を立ち、ローブをちょっとはたいてから、のんびりとドアを開いた。
「すみま……!!」
「はい、どうぞ、お客人。お待ちしておりましたよ」
「!」
ノックをする手の動きのまま、その人は風にマントをなぶられながら、一瞬驚いた。
だがすぐに切り替え、問いかける。
「中に入れてもらえ――」
「さあさあ、雨も激しい、お入りなさい」
あれよあれよという間に、嵐の客人は、そのずぶ濡れのマントを預かられ、ふわふわした不思議な布を手渡され、テーブルについていた。
目の前に、慣れた色の淡い色をした茶がある。
不思議な布は、髪や手足の水分をあっという間に吸い取った。こんなに柔らかな布は使ったことがない。
「不思議かい? それはタオルというんだ。そのうち王都の方で流行るはずだよ」
「は、はあ……」
なにも聞かれず、ただ椅子に導かれるまま座った客人は、再び口を開け、何かを言おうとした。
だが、家人が鷹揚に手を振る。
「いいのいいの。私は客人をもてなすことが好きでね。菓子の腕前ばかり上がってしまった。自信作だから、食べてみてほしい。寒かったろう、茶を飲んで暖まりなさい」
押しつけがましいわけではないが、有無を言わさぬ言葉の運びだ。
客人は言われるがまま、黄金色の焼き菓子を口にした。
とても甘い。砂糖を多量に使っているようだ。牛の乳の匂いもするが、一体これは何だろう?
茶を飲んでみたが、茶はいつもと変わらない味がする。けれど、香が少し異なる気がした。深みがある、といえばよいのか。客人は食べたこともないもの達に、ただただ圧倒された。
「びっくりした? それも私の趣味のひとつでね。客人を驚かせたいのさ」
フードの下でにっこりと微笑むその笑みは、決して悪人ではなさそうだったが、一筋縄でもいかないようだ。
「さて、お客人。名前は聞かないよ。どこから来たかは知っている。生まれは北の方だね。その金髪と茶色の瞳でわかるよ。そこからこんな西の国までやってくるとは、たいしたものだ」
「ぼ、僕は……」
次々言い当てられ、客人はまごまごと台詞を選びかねている。
「すまない、ついつい。久しぶりの客人だ。浮かれてしまっているようだ」
どうぞ、と先を促され、客人は続けた。
「僕は、国から逃げてきた身です……おわかりの通り、北のノーミアからやってきました。
……信じていただけないでしょうが、僕は『錬金術』が使えるんです」
「ほう、『錬金術師』なんだね」
「……お疑いにならないんですか」
「私は一応医者でね。医者以外にもいろいろとやっているが……、まあ、人を見る目はあるほうさ。
それにこんな嵐の中、どうしても移動せざるを得ないということは、きっと追われる身なのだろうと想像もつく」
「おっしゃるとおりです……」
短い金髪の客人は視線を下げ、カップを見つめた。
「……本当の『錬金術』など、身につけなければよかった。
僕は人を助けたかったんです。医者とは言わなくても、薬使いになって、戦いで傷つくものを助けたい」
「ふむ……なるほど。才能とは時に禁断をも越える。
君が良ければ、『錬金術』を、見せてもらえるかな」
「はい……」
客人は焼き菓子をひとつ手に取ると、まっすぐにそれを見つめて、唱えた。
「"我が名に於いて命ずる。
ジュウッ。
手に取った焼き菓子は、音を立てて変容した。
ろうそくの明かりを返し、きらきらと輝く黄金。
テーブルの上に置くと、ゴトリ、と重々しい音がする。
「……僕は、これができてしまった」
「国を追われたのは、その所為ですか?」
「いいえ、秘密裏に、僕は逃がされました。この国のためにも、どの国のためにもならないと、賢き我が王がおっしゃったので」
「追われているのは、では別の」
「はい、聞きつけた別の国々が、"陰の者"を放って、僕を捕まえようとしています」
「ふうむ……」
家人はフードの影で何かを考えていたが、ふっと息を吐いて、明るく言った。
「では、私の元でしばらく働くのはいかがですか?」
「え?」
働く?
そうは言っても、この家は、このテーブルのある部屋と、備え付けの水場と、もう二つのドアがあるだけだ。家人は続ける。
「私は医者をしていてね。これを見ればわかるかな」
バサッとフードを脱ぐ。
そこには長い黒髪と、天の色をした瞳があった。
「っ! まさか!」
驚愕のあまり立ち上がりかける客人。
家人はまあまあ、と椅子をすすめ、客人に言った。
「『青の瞳』は知っているようだね。そう、私は大体のことなら見える。少しだけ先のことも見える。
それが嫌でね。村からは離れるが、ここで暮らしているんだ」
にこにこと笑い、テーブルに肘を乗せ、手を組みながら、
「最近は物騒だからね。手が足りない時もある。そういうとき、君が力を貸してくれたら、どうだろう」
「どう……とは」
「君は、『誰かを助けたい』んだろう」
すっと、その言葉は胸に染み入った。
「ノーミアは戦となった時、大国の通り道だ。護る力が必要だったのだね」
「そうです……ただ、ノーミアには戦える人も少ない……このままでは南部連合か東方一族に領土を奪われかねない。だから……」
「『錬金術』を覚えた。そして、本当にそれを造れるようになった」
「……二度と戻らないとわかっていても、僕には『錬金術』が必要だったんです。だからこそ我が王は、禁書を与えてくださった。こんなことになるとは、誰も知らなかったけれど……」
客人は言い終えると、俯き、細く息をついた。
家人は頷き、手を伸ばす。
「共に過ごしましょう。そして、共に分かち合いましょう。我々にできる、できてしまうことを」
「はい……!」
客人はその手を取って、二人はそうして師匠と弟子となった。
彼らの物語は、そうしてはじまっていく。
「ところで、君、なぜ"僕"というんだい? 女の子なのに」
「!!」
「短い金髪はもったいないね。
まずはそこから、はじめようか」
黄金よりも重いもの 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka
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