第28話 危機

 あれから放課後ばずっと二人で作業を進め続けた。


 こなしてもこなしても終わりの見えない作業。着実に進んでいるとはいえ、二人でとなるとかなり厳しい。


 順調とは言えない。


 日に日に八代さんの顔色は悪くなっている。隈は濃く、咳も出るようになり、体調が悪いのは明らかだった。


 それでも無理をしなければ終わらないわけで、八代さんは黙々と取り組み続ける。


 八代さんが諦めない以上、自分も辞めろとは言えず、ただ黙って手伝うしかない。


 せめて少しでも八代さんの負担が減るよう、手を貸せるところは精一杯手を貸した。


 そうしてひたすら無理やり作業を進め続けた。このままいけば間に合う目処が立つ程まで。


----だが、無理が長く続くわけがない。


「こっちの指定されていたやつは全部切り終わって、まとめておいたぞ」


「……ありがとうございます」


 この日も暗黙で放課後に集まって、作業を進めていた。


 もう慣れたもので八代さんも手伝うのを断ってくることはない。


 俺の力を借りたい作業の指示をくれるので、その通りに作業を進めていく。


 作業中はほとんど話すことはない。話すのは時々分からない部分を聞く時ぐらい。

 それ以外はひたすら集中して作業に没頭していた。


 これまで交わしていたような軽口は一切なく、ひたすら重い空気が間にあるだけ。

 それがより一層会話を億劫にさせていた。


 一通り指示されていた部分が終わり、切り終わった布を分かりやすいように、箱に入れておく。


 既に3着分の新しい衣装の材料は切り終わった。


「次、何かやることあるか?」


「…………」


 反応がない。八代さんはミシンを動かして手元の2枚の布を縫い合わせている。


 無視というわけではないだろう。嫌な違和感。


「八代さん?」


「っ! あ、はい。 どうしました?」


 びくっと身体を震わせて、慌ててこっちを見上げてきた。


 今日初めて顔があった気がする。


 綺麗な瞳。整った鼻筋。瑞々しい唇。

 そこに目立つようになった隈。もう見慣れてしまった。見慣れていいことではないのに。


 まるで真っ白な紙に垂らされた墨のように、強烈な異質さを醸し出している。

 それが現状の過酷さを表しているようで、胸が痛んだ。


「次の作業のことなんだけど……」


「……」


 話しかけているのに、どうにも八代さんのピントが合わない。どこか気が抜けているようでぼうっとしている。


「八代さん、どうかした?」


「え? ……いえ、大丈夫ですよ?」

 

 その話し方は弱々しい。八代さんは、澄ました表情のまま首を傾げる。


 一度、違和感に気付いてしまえば、他にも引っかかった。


 陶磁のような白い頰には、今日は僅かに朱が差しており、赤みを帯びている。


 さらにはピントの合わないぼんやりとした瞳は揺れて、微妙に潤んでいた。


「八代さん、熱あるでしょ」


「……」


 八代さんは目を伏せてきゅっと口を結ぶ。


 否定はされない。強がりは通じないとでも思ったのだろう。

 

 熱があるとなれば、流石に無理はさせられない。

 ただでさえ最近は寝不足で調子を崩していたのだ。これ以上悪化させるわけにはいかない。


「今日はもうやめよう」


「……別に、平気です」


「平気じゃないでしよ。これ以上悪化したらどうするんだよ」


「ですが!」


 伏せていた顔をバッと上げる。そこには気迫が満ちていた。


「……休めません。今日中に進めないと……。間に合わなくなってしまいます。絶対間に合わせたいんです。文化祭は成功させたいですから」


 語る思いは真摯で、どれだけの意思をのせているのか伝わってくる。

 隣でずっと頑張っている姿を見ていて、八代さんの想いが分からないわけがない。だとしても……。


「分かってる。八代さんが成功させたいのは分かってるから。でも、今日は休みな。大丈夫。俺が八代さんの分も進めておくから」


「でも………」


 八代さんの手元にあった布切れがくしゃりと握り締められる。だが、ゆっくりと解かれた。


「……分かりました」


 くしゃりと握っていた布切れに、手形の皺が僅かに残る。


「保健室まで連れてく」


「……はい、お願いします」


 軽く肩を貸しながら保健室へと八代さんを連れて行く。

 肩に手を添える八代さんの足取りはふらふらで、今にも倒れそうだ。

 

 倒れないように気を配りながら、保健室へとたどり着いた。


 白で統一された部屋はどこか仰々しく、異質さが漂う。

 残念ながら先生はいなかったので、勝手にベッドを借りる。


 八代さんはのそのそと遅い動きで制服のままベッドに入り、壁に背をもたれさせた。


 そっと布団をかけてやる。八代さんは少しだけ楽になったようで表情が僅かに緩む。


 近くにあった丸椅子を引きずって彼女の顔元で座る。


「じゃあ、作業の方は進めておくよ。先生はもうすぐ戻ってくるはずだから、それまで大人しくしてなよ」


「……わかりました。ありがとうございます」


「今は休んでくれ。心配だろうけど、ちゃんと俺がやっておくから」


 例えそれが見え透いた気休めであろうと、少しでも八代さんの肩の荷を下ろしてやりたい。


 不安げな八代さんに言い聞かせると、八代さんは無理に口角を上げた。


「大丈夫です。ちゃんと上手くいくとおもってますから」


「……っ」


 引き攣った痛々しい微笑みに息を呑む。


 無理に笑わせてしまっている。そのことが辛くて、悲しくて、もどかしくて。


 苦しいほどに胸に傷が走った。


 彼女の強がりをこれ以上見ていられない。立ちあがろうと足に力を入れる。


 その時、つうっと八代さんの目尻から雫が滴り落ちた。


「……あれ? どうして……」


 焦るように八代さんは指先で目元を拭う。


 だが、拭っても拭ってもどんどん涙が流れていく。

 まるでそれは今まで溜め込んだものが溢れ出たみたいに。


 どこまでも止まることなく頰を伝い、布団へと、ぽたり、ぽたりと、落ちる。じわりと布団に滲んだ。


「ごめんなさい。どうしても涙が止まらなくて……」


 顔を伏せているのでその表情は見えない。だが滴り落ちるその涙が、今の彼女の気持ちを表している。

 肩が微かに震えていた。


「ああ、分かってる」


 かける言葉は思いつかず、ただひたすら彼女が落ち着くまで、優しく背中を撫で続けた。



 


 

 


 


 

 

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