第四章-2

 まず目をひくのは、他の木々よりも一際大きい、しめ縄がまかれた古木。葉は真っ黄色で、暗い森では輝いて見える。

 木の隣には、小さな井戸と家がある。家の前には焚き火のあとがある。まだ新しい。

 リエはソラの背からおりた。家の戸を叩く。

「ごめんください」

 少し間が空いたあと、か細い男の人の声が聞こえた。

「どうしました?」

「シグレさんですか? あの、私はリエっていいます。一晩泊めてもらえませんか?」

 そろりと戸が開く。

 その瞬間、リエはあ、と呟いた。部屋から漂ってきた臭いが、家でよく嗅いだ臭いと同じ、薬の臭いだ。

 気弱そうな目が、リエを見る。

「一人だけかい?」

「えっと、私だけじゃないです。ヒナリもいます」

 リエは振り返った。荷物を持ったヒナリが立っている。ソラはまた隠れたようで、姿は見えない。

「二人だけで? この森を旅してきたのか?」

「えっと、はい。世ノ河の源流へ行きたいんですけど、悪霊がいて、夜はとても歩けそうにないんです」

「入りなさい」

 二人は家の中に入った。

 えらく散らかっている。土間を一歩上がった先は、干した薬草や、それらを詰めた箱、薬を煎じる道具が散らかり、足の踏み場もない。その反面、かまどの周りはとても綺麗で、ちり一つない。

 壁には、弓がかけられている。リエのものより大きく、からくり仕掛けはない。

「散らかっててすまない。誰か来ると思ってなかったんだ」

 シグレは、灰色の着物を着た男の人だ。背は高く、ひょろりとしている。顔に元気はなく、やつれている。

 シグレは床に散らばった薬箱や道具を壁際に押しやった。二人に座布団を勧めると、かまどで湯を沸かす。三つの湯呑みに白湯を注ぎ、二人の前に戻ってくる。

「源流へ行くんだって?」

 リエは頷く。

「はい。呪いを解くために」

「どんな呪いだい?」

「常闇の呪いです」

 リエは手首を見せると、シグレはああ、と呟く。

「そういうアザを持つ人を、何度も見たことがあるよ」

「え? 私以外にもいるんですか?」

 リエは目を見張る。

「いるよ。ここに泊まりに来たんだ」

「その人達はどうなったんですか? ちゃんと呪いは解けたんですか?」

 リエは前のめりになって尋ねた。手元の湯呑みが揺らぎ、白湯が少しこぼれる。

「解けたといって、笑顔で帰ってきた人もいるよ。だが、ほとんどは消息が分からない。呪いが解けて無事故郷に帰ったのかもしれないし、あるいは命運尽きて、辿りつけなかったのかもしれない。彼らの行方を追っている旅人もいたね。その人も今はどうしているやら、分からない」

「そうですか……」

「私に分かるのは、源流までの道のりがとても険しいということくらいだ。それと、今この森には悪霊が彷徨っていて、とてもじゃないが表を出歩けない、ということ。君達、よく無事だったね」

「悪霊を倒す方法って、あるんですか?」

 シグレはゆるゆると首を横に振る。

「分からない」

 その言葉には、悲しみと悔しさが滲んでいた。

「そっか……」

 ヒナリは白湯をごくごくと飲みほすと、立ちあがった。

「どこへ行くの?」

「外。結界をはるの。早いとこ、守りを固めないとね」

 小屋を出ていくヒナリ。シグレはぽかんとその背を見送る。

「何者だい? あの子?」

「竜宮のお姫様なんですよ」

「は? 竜宮?」

 リエはこれまでのことをシグレに話す。しかし、いまいちシグレはよく分かっていない様子で、きょとんとしている。

「まあ、すごい人だってことは分かったよ。強い人じゃなければ、この森をやってくるなんてできないだろう」

「そんなに悪霊って怖いんですか? どんな見た目なんです?」

 ただでさえ血色の悪いシグレの顔が、更に悪くなる。

「犬や狼に似ている。四本の足で地面を走り、大きな牙で獲物を狩る。だが身体は腐り、泥や枝がこびりついている。目だけが不気味に赤く光っていて、こちらを睨みつけてるんだ。口では、あの不気味さ、恐ろしさをとても伝えきれないだろう」

 リエには十分伝わった。ぶるりと身体が震える。想像したくもない。

「そ、外、見てきます」

 そそくさと家を出るリエ。

 ソラはいない。ヒナリ一人だけだ。家の外れでしゃがんでいる。リエは近づき、背中側から覗いた。地面に土をかけている。

「真珠を埋めてるの」

「それで結界ができるの?」

「うん。しばらくは大丈夫」

 ヒナリは小走りで広場の端へ走ると、またしゃがむ、を繰り返す。

 遅れて、シグレが家から出てきた。土いじりをするヒナリを、彼は怪訝な顔で眺める。

「あれで、本当に大丈夫なのかい?」

「ヒナリはそう言ってます。あ、あの」

「ん、何だい?」

「弓が使えるんですか?」

 リエは壁にかかっていた弓のことをしっかり覚えていた。

「え? まあ、それなりには」

「私も、弓を持ってるんです。でも使い方が分からなくて。教えてもらえませんか?」

「え? いや、君みたいな小さな子が、弓を?」

「お願いします!」

 シグレは目をそらす。子どもに武器を持たせるなんて、しかし危険だから……ブツブツと呟く。リエは期待をこめた目で、シグレを見つめる。

 やがて、彼ははあ、とため息をついた。

「……分かった。身を守る手段は必要だ。自分の弓は持ってるかい?」

 リエは自分の弓矢をとってきた。シグレはそれを手に取り、見聞すると、リエに返した。

「良い弓だね。これなら身を守るには十分だ。じゃあ、早速教えるよ」

 シグレは、大きな板を持ってきて、壁に立てかけた。

「まずは、あれに当てられるようになろうか。使い方は大丈夫?」

 リエは記憶をたどりながら、時間をかけてどうにか弦を張り、矢をつがえる。板に向かって引き金を引くと、矢はまっすぐ飛び、板に刺さった。

「うん、いいね。続けようか」

 リエは練習し続けた。

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