第26話・唐揚げに、レモン汁かけたら始まる争い
「あ、はい。りょーかいです、何事も無くてよか…………あー、はいはい分かりました。でもそれはお姉さんが正しいんで感謝してあげてくださいって。……こちらはこちらでやってますんで……いえ別に浮気もなにも、そーいう関係と違うでしょーが、お嬢さまとあたしはー。あーはいはい、そっすね。それは承りました、『お仕事』として。じゃあまたー、旦那さまと奥さまによろしくお伝え…されても困りますけどね、ってだからそーいう先走った真似するんじゃねーですってばー…あーはい、おやすみなさい、お嬢さま…いえ別に構いませんけど他のひとに聞かれないよーにしてくださいよ…あたしの立場ってもんも多少は考えてー……あ、切れた」
「おつかれー。長かったわねー」
「…気が抜けたのか解放されたのか分からねーですけど、とにかくお嬢さまも…なんていうか…まあ、上手くいって良かったッスよ」
「そ。じゃあ乾杯でもする?」
「あー、いーすね。んじゃかんぱーい」
「…麻季ちゃんのジョッキ空なんだけど」
店内もそれほど混み合ってたわけではないので、お座敷の席に着いたまま、篠からかかってきた電話に受け答えした。
内容は、というと、久しぶりに会った父親は、だいぶ憔悴していたみたいで、素直に謝って謝られた、義理の母親は相変わらずだったけれど、年をとったせいか昔のように篠の母を口汚く罵るようなこともなく、むしろ気を遣われていた、みたいな内容で、麻季にしてみれば思っていたよりも真っ当な会話になったようでホッとはしたものだ。
「…それだけじゃなかったんでしょ?」
「まあねえ…あたしのことをご両親に報告しよーとしてお姉さんに止められて怒ってたッスけど。そんな真似されたんじゃあたしが追い出されますっての」
「あはは、光景が目に浮かぶよーねー。いかにも篠ちゃんらしー暴走っぷりだわ」
「…お嬢さまのことは何でも分かってる、みてーな口振りッスね」
「お肉おごってもらった時にけっこーねー。いやー、これで麻季ちゃんも晴れて篠ちゃんと恋人どーしかー。どお?お嬢さまと結ばれてうれしい?」
「………」
あからさまにはやし立てるような仁麻の煽りは、麻季を怒らせも照れさせもしなかった。
ただ麻季は、考え事をしてる風な顔つきのまま…
「あ─────────っっっ?!」
「え?あの、ちょっ、何スか一体」
…黙って軟骨のから揚げにレモンを搾っていた。
「…麻季ちゅわぁぁぁぁぁんんん……それやったら戦争になるって、知ってるでしょぉぉぉ…?」
「知らねーッスよ。大体ここの払い、あたしがもってるんすから味付けの権利はあたしにあります。レモンがイヤならもうひと皿頼んでください。自分の金で」
「ううう……麻季ちゃんが貧乏人を苛むぅ…」
人聞きのわりーこと言うんじゃありません、と言いつつ自分でもうひと皿頼むあたり、麻季も大概である。
「…わーい、麻季ちゃんやさしーから好きよ?」
「どーせ金の切れ目が縁の切れ目でしょーが。ったく」
「今晩に限ればね。また明日になれば麻季ちゃんはわたしのかーいー従姉妹よん。で、聞きたいんだけどね?やっぱり篠ちゃんとふかぁい仲には、ならないの?」
「あのですね、あたしは別にそっちの気は無いんで。お嬢さまのことは好きですけど、そーいうのはありません」
「それ篠ちゃんが知ったら何て言うかしらー」
「さあね」
枝豆を囓りながら、投げやりに麻季は言う。
実際、篠がどういうつもりで麻季に「好き」とか言ったのか理解が出来ないのだ。
そもそもとして、麻季は恋愛経験がない。誰かを好きになったことがない。少女漫画を読んで憧れたこともない…ことはないが、フィクションの出来事と同じようなことが我が身にも起こるとはどうしても思えなかった。
「派手な反抗期」の時期もほとんど一人で行動していて、誰か他人と絡む時などケンカの時くらいのもので、それも麻季の腕っ節が知れ渡ると絡んでくる者もほとんどいなくなったために、毎日毎日、クソウゼェ、というツラを街中で晒していただけだ。
ただし、麻季が篠の言動に添いきれないと思うのは少し理由が違う。
「…まだホントの問題の解決にはなってねーって気がする、んスよねぇ」
「え?どゆこと?」
そっぽを向いて独り言のつもりで言ったのに、仁麻は耳敏く聞きつけていた。それとも思ったより大きな声になっていたのか。
仁麻をひと睨みする。何も分かってないのか、それとも分かった上でのことか。麻季にはなんとなく後者のように思える笑顔でいる仁麻に、聞いてみたい気はした。
「んー、ニオ姉。これは例え話として聞いて欲しいんスけどね」
「……昔の呼び名持ち出して口を封じるの、ずるくない?」
「いやなら『バカ』とかにするッスけど?」
「あ、うそうそ。ちょっと懐かしくて嬉しくなっただけ。例え話として聞くから続けて続けて」
チョロいなー、と思いながら麻季は話を再開する。
それは、主に篠の境遇についての話だった。
庶子として生まれ、認知はされたものの簡単な立場ではなかったこと、今日のついさっきの話し合いで家族和解はなった…のだろうけど、篠の中ではまだ折り合いのついてない問題があるのではなかろうか、と。
あくまでも例え話として語ったから、仁麻もそれを汲んで篠に余計なことは言わないだろう。仕える者としての節度からは完全に踏み外してはいるけれど、それもお嬢さまの心を救うためだ、と感情移入過多な自己弁護で話し続けた麻季は、やがて初めてベッドに篠を迎え入れた夜のことに話が至る。
「麻季ちゃん言い方ー」
「とっとと…確かにコレだとアレっすねー。まーどうでもいいけど。で、そン時に、すね」
「アレとかコレとかそれもどうかと思うけど。で?」
「あー、まー、そのー…なんかコレ言いづれぇな…そん時に、お嬢さまがッスねー、あたしの前で、泣いてたんす。『お母さん』って呟きながら。多分、寝言。そういう夢でも見たのかって聞こうとしたけど、朝になったらケロッとしてたんで、聞くに聞けなかったとゆーかー…」
そのまま麻季は、むにょむにょと口を動かしながら黙ってしまった。
話はこれで終わり、というよりもこの先の整理が出来ていないのだろう、と仁麻は解釈し、そして篠の、ではなく麻季の内心を看破して、言った。
「…なるほど、麻季ちゃんとしては…篠ちゃんにお母さん代わりにされてるみたいで面白くないのね~?」
「…あン?」
そう聞いた時、自分の口から漏れ出た音の持つ響きにあまり物騒なものを覚えなかったのは、単に向けられた仁麻が平然としてたからに過ぎない。
きっと隣の席にでも仕事帰りのサラリーマンがいたならば、それと知れずとも背筋の一つや二つは凍り付いたかもしれない。そうならなかったのはただ単に、土曜の駅前ということで酔漢がそれほどいなかったからだ。
「……おい、ニオ公。テメ今なんつった?」
「それも久しぶりよね~。今日は久しぶりがいっぱいで楽しいこと~」
「ザケんな!テメェ言うに事欠いて母親代わりにされてる、だ?このアタシがか?よりよって母親代わりィ?おもしれェ冗談じゃねえかよ、オイ。こっちも久々に笑いが止まらねェよ、アア」
言葉の通り、麻季の顔には唇の端が吊り上がるような笑みが貼りついている。ただし、享楽や歓娯を思わせるものではなく、自分と世界をあざ笑うような凄惨さに満ちたものだ。
そして登藤苑子と角突き合わせた時のような余裕も、無い。今すぐ目の前にいる人間を血塗れにでもしかねない、本気の殺気が麻季の眉間の間には、あった。
「…おい、表出ろや。そのチビたタッパをもう半分にしてや…ルっ?!」
片膝ついて立ち上がりかけた麻季は、仁麻との間にあったテーブルを飛び越えて、気がつけば仁麻の隣に転がっていた。
幸い後ろの席には誰もいなかったから静かなものだったが、麻季の体が中空を跳ねるのを見たと思しき店員が「お客さぁん、カンベンしてくださいよお」と穏やかな抗議に留めたのは、仁麻が「ゴメンゴメン」とにこやかに応じていたからだ。
でなければ、寝転がって何が起きたか全く把握していなさそうな麻季に、「大丈夫ですか?」の一言くらいはかけただろう。
「頭冷えた?」
まだ目を白黒させてる麻季に声をかける。
麻季の立ち上がる勢いを利して片手で跳ね上げ、たたき落とし、畳の上に転がした。
簡単に言えばそうなるのだが、実際にこの体格差でやるとなるとよほどの使い手でないと出来るものでもない。
そして仁麻はそれが出来、麻季は子供の頃から何度もやられていた。
「…ほんと、今日は久々なことがいっぱい、だ。あてて…」
体が覚えていた動作で、小さく受け身はとっていたから痛みは少ない。そう言ったのはただの当て付けだったのだが、それでも仁麻は「ごめんね。大丈夫?」と律儀に言って、麻季が体を起こすのを手伝ってやった。
まあそれで、終わったようなものだ。
「少し騒ぎになっちゃったみたい。麻季ちゃん、出よっか」
「…ッスね。すいませーん、お会計お願いシマース!」
すっかり酔いの醒めた態で店員を呼び、計算をしてもらうと思っていたよりも安く済んでいる。
年中酔っ払っているような言動の割に、仁麻もお酒はそれほど頼んではいないようだった。
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