第5話・夜這うおじょーさま

 中華料理にまつわるどったんばったんはつつがなく終結し、いつもよりやや遅く二人が床についてからのこと。


 麻季は住み込みであるから雇用主の篠と同じフロアに一室をあてがわれているのだが…これがまー、麻季の基準ではスペースの無駄遣いもいいとこ、としか言いようのないサイズであり、およそ一般的なマンションならリビングとキッチンをまとめたくらいの面積だったりする。

 そんな部屋に使用人を住まわせるのだから、浅居の本家というのはどんな金銭感覚をしているのか。

 …自分の働きに応じて正当な対価と待遇を与えてくれる限り、文句などあろうはずもない麻季としては、それ以上思いを巡らすつもりもない。いい加減慣れたのだし。環境への適応能力について、麻季は余人の追随を許さない方だと思っている。そうでなければ、とっくにぶっ壊れていたか、警察官にでもなっていただろう。頭に「悪徳」が付く方の。


 (いやま、それはいいんだけどさ)


 なので、今麻季が寝付きの悪い思いをしているのは別にコトが原因である。


 (…なーんでキングサイズのベッドが押し込められてんだかね、この部屋)


 布団の中で大の字になってじたばたしてみても、手足の先にはベッドの端の気配も感じられない。寝返りを三回転までは問題無かった。

 厳密にはキングサイズというよりもただの特注サイズなのだが、困ったことに部屋の面積が面積なので、部屋の使い勝手にはさしたる影響も与えていないため、文句を言ったところで不思議そうな顔で却下されること間違いなし、なのである。

 なので、もうこうなったらベッドの上で生活した方がいーんじゃないか、ちゃぶ台と標準サイズの布団持ち込んで。とも思う、今日この頃の麻季である。


 そんな感じに、このベッドどーやって部屋に運び込んだんだろ、と考え始めたら寝られなくなりそうなことに気がついて慌てて仰向けの体を横に向けた頃だった。


 かちゃり。


 女の二人暮らしのことで部屋に鍵などかけるはずもない。そして麻季とて年頃であるのだから、一人じょーずの時間など欲しくなる時が無いでもないが、わざわざ鍵をかけて指と戯れていたら間違いなく、合鍵携えたお嬢さまがしたり顔で侵入してくることうけあいなので自重の日々である。いやそれはともかく。

 その、仕事とプライベートを隔てる扉が、部屋の住人の意志と関わりなく開いていくのに気がついた。

 扉に背を向けた姿勢で横になっているのだから何が起きたのかは分からずとも誰が入ってきたのかは、目をつむってても分かる。これでお嬢さまではない人物が侵入してきたのなら、このクソ高いマンション全体のセキュリティに関わる重大な問題だ。

 そして麻季の生涯収入でもこのフロアの一部屋を買うのも怪しい高級マンションの値段に相応しく、扉は音もなく開いて不意の侵入者を導き入れ、そして再び閉じた。


 「………麻季ぃ、起きてる?」


 寝てます、とでも答えたらどんな顔をするかな、とイタズラっぽく思ったものの、何をしに来たのか、好奇心が上回って麻季は狸寝入りを決め込んだ。


 「…起きてないわね。じゃあ…おじゃましまぁす」


 ご丁寧に「ぬきあしさしあし、しのびあし…」などと呟きつつ、近づいてくる気配。いや、今時そんな御託を知ってる現役女子高生というのも何なんだ、と麻季はおかしく思いつつもさせたいようにさせていた。


 「寝てるー?」


 篠はベッドの端まで歩いてくるともう一度、今度は囁くくらいの声量で同じ事を確認してきた…起きてるのを確認するのと、寝てるのを確認するのは同じことなんかな、と麻希が思っていると、背中の向こうの、布団の端が持ち上げられる様子がして、同じフロアの住人が潜り込んできたのだった。


 (…えー、添い寝とかおじょーさまいくつなんですか、もー)


 怖い夢でも見たのだろーか、となんとなく筋違いのことを思っていると、麻季の後ろ頭の向こうで何だか厚みのある繊維品を叩くような気配。どうも枕でも整えているらしい。

 意図は読めたのだが、うふふふ、とか含み笑いも聞こえてくるに至って何故か身の危険を覚え、冷や汗も出てきた。

 まさか…?と思いつつも金縛りにあったよーに身動きがとれなくなり、息すら止まった中、麻季の背中に篠がぴっとりはりついてきて、思わず「ひうっ?!」と悲鳴を上げそうになる。

 いや厳密には貼りついたというより、額を麻季の丸くなった背中にくっつけているだけなのだが、同じ布団の中に篠のにおいが満ちていくような錯覚を覚えて、麻季は数瞬までとは違う汗が首筋に垂れていくのを自覚せずにはおれなかった。


 (ちょっ、何考えてんのこのひとっ……やっば、なんかドキドキしてきた)


 それはイケない遊びでもしてるかのよーで、麻季は久しく覚えてなかった類の動悸に身を震わせる。


 「……麻季?もしかして、起きた?」


 篠の、警戒するような声。今度は冷や汗とハッキリ分かった上で、体の微動も止まれと鼻先にある自分の手をぎゅうっと握りしめた。


 「……んー、寝てるよ、ね…?」


 その甲斐あってか、篠はもとの体勢に戻って、そればかりかほっとした声と共に、ひどく熱く感じる吐息を麻季の背中にあてていた。


 (……いやその、なにしたいんだってばもー…)


 限界が近い。何の限界かはよく分からないが、とにかくほっといたら面倒なことになりそうだ。

 そう思って振り返ろうとした時、篠の指が背中をなぞる感覚に息が止まる。

 上になってる方の肩甲骨のところをしばし撫でた指は、ゆっくりと背中の真ん中のところへ「つつつ」と滑っていく。

 くすぐったいようなかゆいような感覚に麻季はすっかり眠気など吹っ飛んで、息を飲むうちに、篠の指が自分の背中に何かを書こうとしてることに気付き、背中の触覚に全神経を集中させる。


 (…おじょーさま、なにを?……あ、ま、まさか…)


 麻季もこれでもいっちょまえに少女漫画なぞを嗜んでいた時期はある。その中に似たよーな場面があったことを思いだし、その時は確か、と……ヒロインの少女が好きな男の子の背中に「す、き、で、す」とか指で書いていた場面のことを思い出した。


 (まさか…まさか……まさ…か…?)


 たどたどしい指の動きは麻季のパジャマの布に時折ひっかかりながら………何度も何度も「の」の字を書いていた。

 …つまるところ。


 「何がしたいんですかってばあなたはっ!」

 「わぁっ?!」


 ただ、イタズラのよーに麻季の肌に触れてただけ、のよーだった。

 いやそれよりも、体を起こした麻季の剣幕に、篠は寝返りをうつ要領で麻季から体を離し、勢い余ってベッドから転がり落ちていたりする。


 「…あ、おじょーさま?頭は大丈夫ですか?」

 「いたた…そういう言い方はなくない?麻季のせいなのに」

 「ひとの寝込みを襲っておいて言うことですか、まったく。ほら、手を貸しますからさっさと自分の部屋に戻ってください」


 布団ごと巻き込んで落下していたからケガなどしてはいるまいが、麻季は時間外労働の働きとして、勝手にふとん蒸しのよーになっていた篠を解体し、ネグリジェ姿の雇用主を助け出した。


 「ほら、とっくに勤務時間終わってんすから、残業代請求されたくなかったらはよ部屋へハウス、です」

 「わたしは犬かっ!…もー、夜這いに来た女子高生を追い返すとか据え膳なんとかって言葉知らないの?」

 「未成年相手にしてインコー罪に問われるのはイヤなので。十秒以内に出てかないとタイムカード切りますからね?」


 タイムカードなんか無いじゃない、とぶつぶつ言いながらも、篠は立ち上がって部屋を出て行こうとする。


 「…おじょーさま、枕忘れてます」

 「それは麻季に貸したげる。わたしだと思って抱いて眠ってね?」


 アホ言ってないで子供は寝る時間でしょ、といくらか語気荒く枕を投げつけたら、篠はきゃあきゃあ言いながら駆け出ていくのだった。


 「…えーいもう、明日の朝食は手抜きしてやる。おやすみっ!」


 まあそうは言っても、任された仕事に手を抜ける性分ではない。麻季は妨害された睡眠をきっちり取り戻すために頭から布団の中に潜り込んだのだが。


 (………なんだこれ)


 自分の布団に混ざる他人の残り香、というものにひどくドギマギして、結局明け方近くまで寝付けなかったりしたのだった。 

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