07 ロックと深海魚
ミナミが家にやってきた。
ヒダリが家の前にいなかったことに安堵する。
(紹介なんてできたもんじゃあない……)
おじゃましまーす、とミナミは靴を脱いだ。
Vansのスニーカーに、ナギはどこか安心する。
「おお、古風なお部屋」
「古臭いって言ってもいいのよ」
「畳なんて見たことねーよ。すげ、ちくちくする」
四肢を伸ばして寝転がるミナミ。
まるで、夏休みに祖父母の家に来た子どものようだった。
「ミナミ、なにか飲む?」
「水ヲ求ム」
「あいにく切らしてまして」
「えっ、水道は?」
沈黙。
ミナミは察したように笑う。
「ちゃんと払えよ」
「忘れるのよ、こういうの……」
ナギは期限というものにめっぽう弱い。
「ま、追い込まれたらトイレの水、啜るよ」
「背に腹を代えなさすぎ」
6月中旬になると、さすがに暑くなってきた。
ナギの意地で、クーラーはまだ入れない。
窓を開けると、夏になろうと意気込む風が入り込んだ。
ナギが麦茶を淹れる間、ミナミはC Dラックを眺めていた。
「おー。いい趣味してるねえ」
「そう?」
麦茶を渡す。サンキュ、とミナミ。
「ロックが多いな」
「好きなの」
「推しは……グリーンデイとみた」
「残念。本命はニルヴァーナ」
「ああ、ぽいね。うん、ぎなっちっぽい」
「ミナミは?」
「メタリカ」
「メタラーか」
「頭のおかしい人間が奏でる音楽は面白い」
「流行りの音楽とか聴く?」
「いや全く。ぎなっちは?」
「同じく」
「だよなー。変な音を使いすぎ」
「メロディに落ち着きがなくて耳障りね」
「まったく心に刺さらない」
ナギは夏になりかけている風を心地よく感じた。
ああ、なんだろう。
好きなことと嫌いなことを話すことができる。
この爽やかさ、居心地の良さ、共有の嬉しさ。
『今にしかできない音楽もあるけどね』
「あれ、さっきと言ってること逆じゃん、ぎなっち」
「いや、あたしは言ってない……」
『電子音楽のなめらかさも捨てたもんじゃあないし』
「確かに、今は今の良さはあるかもしれないけど——って」
「え、だれ?」
「いいっ!?」
「おじゃましてます、すでにね」
ヒダリがぺこりと一礼した。
いつ入ってきたのか、ナギは全く気付かなかった。
彼女はふわりと微笑むと、ナギが飲んでいた麦茶に口を付けた。
ぷはあ、と満足の吐息。
「ぼくはヒダリ。こっちはナギ。よろしくね」
「あ、よろしく……ヒダリさん、ナギさん」
「あたしを入れなくていいよね」
ミナミは戸惑っていたが、ナギと知り合いだということに気付いて、少しずつ落ち着いていった。
「……ヒダリさんは」
「ヒダリでいいよ。話し方も普通で」
「……ひだりんは、気配を消せるんスか?」
突然すぎたのか、ミナミの語調がおかしくなっていた。
意外と、初対面は大切にするタイプらしい。
「ぼくはレディオ・ヘッドとフェネスが好き」
「いや、良いセンスっスけど、あの、質問には」
「あとね、現代もいい音楽は多いよ。売れているものがいい曲とは限らないけど、埋もれているものにも砂金は多い」
「あの」
「最近ね、ミニマル・ミュージックが面白くてさ。これが電子音と相性がいいんだよ。ループ音源でも、叙情の浮かばせ方がぴったりで、気持ちがいい」
「あう」
「そこでだよ。きみたちが好きなロックサウンドと電子音が手を取り合ってミニマル化した。そしたらどうなったと思う? これがもうビックバンなんだ。ぼくの中に宇宙が生まれたね。それは今も膨張を続けている。いよいよぼくはこの世界を抱えきれなくなったよ。ははは」
「……自由じゃん、この人」
「はあああああ…………」
ナギは頭を抱えた。
そう。この構図を、見たくなかったのである。
「それで、きみは何者?」
お前が訊く立場ではないだろ、とナギは思う。
「あっ、自分はミナミッス。好きな深海魚は『ソコオクメウオ』ッス。目が退化しても生きてけるその気概に憧れてるッス」
「ミナミ?」
もはやミナミは言葉を忘れていた。
入学式後の学部内挨拶でもそんな自己紹介していたか?
「いいチョイスだね。ぼくは『ハプロフリュネーモリス』が好き。オスがメスに同化するなんて、これこそ愛だよね」
そしてなぜ、ヒダリはついていける?
「はあー、そうきましたか。なら、『ニシアンコウ』とかどうっすか」
「いいねいいね。擬似餌は美しいよ。あっ、『カイロウドウケツ』とかどう?」
「海綿まで含んだら、もうどこまでも話せちゃいますね……!」
「最近ね、ぼく、クラゲが熱いんだ……」
「熱い熱い! 深海の温泉っスよ!」
「はあああああ…………!!!」
ナギは全てを放り投げた。
好きなものは、時に残酷な牙と化すのである。
(……なんで初対面で仲良くなれるのよ。羨ましい……)
ミナミとヒダリはずれているが、ナギもまた、ずれている。
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