05 悩みと距離


「あんたはさ」


「うん」


「なんでいつもあたしの家の前にいるわけ?」


 バックパックを畳に放り投げ、ナギは大きいクッションに飛び込んだ。どこまでも深く潜っていき、視界の両脇がクッションで見えなくなる。『トレインスポッティング』みたいだ、とナギは思う。当然、麻薬はやっていない。

 唯一見える中心部分に、ヒダリが映る。

 彼女は今日も全身が白かった。


「そりゃあ、そこにナギの家があるからさ」


「大学から少し歩きますけど」


「恋愛に距離は関係ない、そうでしょ?」


「これは恋愛ではない」


「もはや愛では」


「あったとしても、あんたの一方的な片想いよ」


 そっか、とヒダリは畳に座った。

 彼女はスプリングコートのポケットから一冊の文庫本『秘密の花園』を出した。

 手荷物は他にないのだろうか、とナギはいつも思う。


「ねえ、あんた、サークルとか入った?」


「さーくる?」


「そ」


 うーん、とヒダリは考えるそぶりを見せたが、首を振った。


「あんたも孤独死コースか」


「ナギは入らないの」


「入りたいことには入りたいけど……」


 ナギは思い返す。

 4月に顔を出した軽音サークル。

 音楽はやりたかったが、入らなかった。

 いや、入れなかったのだ。


「入ったらどう? 青春できるかもよ」


「出た。なんでみんなそう言うのよ」


 みんな、と言ってもミナミだけだが。


「人が集まる場所には3種類ある」


「はあ」


 ヒダリの突拍子もない話が始まった。

 さて、どこで冗談を返すか——ナギは身構える。


「居心地がいい場所と、面白いものがある場所」


「最後は?」


 内容が気になってしまったことを、ナギは悔しく思う。


「自分が成長できる場所」


「成長ねえ」


 嫌なことを我慢してまで、自分を成長させる必要などあるのだろうか。

 だったらコミュニティなどに属さず、ひとりで自分と向き合っていた方が得られる物も多いのではないか。

 成長の機会か、成長の効率か——そんな両天秤。


 窓に青空が映っている。

 雲の流れは速い。


「ぼくはナギには入ってほしくないけどね」


「その心は」


「きみは集団で満足する性格じゃあない」


「知ったような口を」


「わかるよ。ナギはそういう人だ」


 ヒダリはふわりとほほえんだ。

 夏のそよ風に合う、彼女の柔らかさ。


「あたしに呪いをかけるな」


「当たってるかい?」


 当たってるわよ——その言葉を飲み込み、ナギはクッションに顔を伏せた。

 4月に買ったばかりなのに、もう穴が開いていた。


「ぶぁーあ……ばやみふぁおおいお〜」


「悩みが多くて当然だよ。1年生なんてそんなものさ」


「あんふぁ、ばやみふぁ?」


「あることにはあるけど、ないことにしてる」


 強い人間だ、とナギは思う。


「今度さ、一緒に外に行こうよ」


「どふぉに?」


「海」


「ふみ?」


 顔を上げると、すぐそばにヒダリの顔があった。

 ふわりとした笑み。


「そ。ぼく、海に行きたい」


「いいけど……人、多いと思うよ」


 群衆が苦手なナギは、海もまた苦手である。


「人のいない海があるよ」


「どこに?」


「すぐ近くに」


「ええ……?」


 つくづく、ヒダリの意図はかけらも読めない——そう思うナギだった。




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